なぜ離婚してしまったのだろう…後悔しても戻れない愛する子供との別れ

私は完全に妻として母親として、失格どころか非情な女でした。 夫やふたりの子どもたち、そして我が子のように大切にしてくれた義母。 こんな私を愛してくれた暖かいひとたちをことごとく裏切り、自分勝手な振る舞いを続けたあげく離婚に至ったのです。 すべて私のせいでした。 どんな苦しみが待っていても自業自得とわかりながらも、激しい後悔と闘いながらもがき続けてきた話を聞いていただこうと思います。 5歳の娘が、声を出さずに涙を流す 公務員として働きながら年子の子どもを持つ母親といえば、バイタリティにあふれた女性が想像できるかと思われますが私はそうではありませんでした。 子どもたちが乳児の頃から発症したうつ病も悪化し、自分に自信がないばかりに仕事にも行き詰まって、思い通りに過ごしてはくれない子どもたちに対して苛立ちを抑えきれず、怒鳴ったりするばかりでした。 元夫はまるで母親のように家事や育児を率先して協力してくれていました。 抑うつ状態で家族と一緒に過ごすこともできず書斎に籠っている私を見て、気持ちが落ち着くなら出かけておいでと言ってくれたのをいいことに、ギャンブルにホスト遊び、ついには浮気ともいえるデリバリーホストとの遊びを覚えて、家庭のことなど省みない無茶苦茶な女になっていた私は、ある時勝手に家を出て家族と別居していました。 別居してから3カ月ほど過ぎた頃、元夫からちゃんと話がしたいと連絡がありました。 私は離婚しようと切り出されるものと思い込んで、離婚後の約束等をしたためた念書と離婚届を持って家に向かいました。 元夫は私が切り出した離婚の段取りを無言で了承し、子どもたちにもきちんと話すことになりました。 当時娘は5歳、息子は4歳。娘は義母の横に座り、息子は何もわからない様子だったと思います。私は今さらながらに涙が止まらず、元夫が口を開きました。 「お父ちゃんとお母ちゃんは、結婚をやめるんだよ。」 すると、娘は義母の膝に顔を伏せて泣き始めました。別居している時点で幼いながらも何かを察していたのでしょう。 鼻をすする音だけが聞こえ、普通5歳くらいの子どもなら「イヤだ!」といって泣きわめいてもおかしくないのに、ただただ静かに、声を出さず義母の膝で泣いていました。 私ではなく、義母の膝で。 その時に私は、自分のしてきたことの重さに頭を殴られたような気がしました。 5歳の子どもに、黙って泣くことを覚えさせてしまった母親。何という重い罪だろうと。 しかしもう後戻りすることはできず、元夫の弟と私の父に証人のサインをもらって届けを出しました。 自分の首を絞めた念書の存在 私が勝手に作った念書は、主にこのようなものでした。 ・元夫と共同名義で建てた家、すべての権利や財産はすべて放棄する。ただし夫婦の収入を考慮して計画したため、毎月10万円を慰謝料・養育費として家のローンが終わるまで、もしくは子どもたちが成人するまで支払う ・子どもとの面会は、子どもたちの意思に任せる。私のほうから会いたいということはしない 当時私はうつ病で病気休暇を取っては復職しまたしばらくして病休を取るような状況だったにも関わらず、元夫が家のローンを、そして私が子どもたちの保育園代や生活費を負担していたことを考えてその額を決めました。 虚勢を張ったのか見栄を張ったのか、もしくは何とかなるだろうと気楽に考えていたのか。貯金もなく何の保証もないのに提示した金額でした。 病気のせいにしたくはありませんが、正常な判断ができていなかったところもありました。 その後2カ月ほどして当時の仕事を退職。どう考えてもその仕事を続けていけるとは思えなかったからです。 また同じ土地には住んでいられない気がして、隣県に引っ越しました。 初めは正社員として就職したものの、精神的に安定せず短期間の間に離職・また別の仕事を探すといった生活で、養育費を送りながら自分の生活をしていくことなど到底できません。そこでたどり着いた答えは、風俗の世界に足を踏み込むこと。 当時31歳だった私はデリヘル嬢として収入を得る生活を始めました。幸いなことに稼ぎはよく、多い日で5万もの給料を持って帰れることもありました。 これで何とか生活していける。店の開店から閉店まで出勤して睡眠時間は長くても4時間ほど、体重は10キロ以上落ちてガリガリに痩せても働き続けました。 でも、うつ状態がひどい時は死んでしまえば楽になるかもしれないと思うこともありました。そうやって思い詰めた時にはリストカットやオーバードーズ(大量服薬)をしてしまい、床に流れる血をうつろに見ながら涙がこぼれ、いったい私は何をしているんだろう。 子どもたちがこんな私を見たらどう思うのだろう。 なぜ私は幸せだったはずの家庭を壊してしまったんだろうと自分を責め続けながら生きていました。 子どもたちが、どんどん遠くなっていく 別居していた頃、そして離婚後もまだ幼かった子どもたちは何かと私に会いたいと元夫にせがんで電話をかけてきてくれました。 「おかあちゃん遊びに行こう!」「運動会だから来て!」と嬉しそうな声に、少し涙をにじませて電話を取っていたのを覚えています。 保育園の運動会や近くの小さな遊園地に4人でいると、周りからは普通の家族に見えていたと思います。 ふたりの卒園式や小学校の入学式にも行きました。私が県外に離れてからも元夫が連絡をくれて、引け目を感じながらもまだ無邪気な子どもたちと写真も撮って。 そんな成長を見るたび元夫と義母が大切に育ててくれていることに感謝でいっぱいでした。 時にはテレビ電話をかけてきて、「おかあちゃん元気??」「おかあちゃんやせた?」とふたりが画面を取り合う姿を見て、泣いているのがわからないように堪えたこともあります。 小学生のうちは運動会、地域のお祭りで毎年子どもたちが参加している踊りを見に行くことが会える機会になっていました。それが私にとって活力になる時間でもあり、逆に後悔を感じる時でもありました。 なぜこの子たちをいとも簡単に手放したのだろう。 こんなにも愛しいのに、なぜあの時私は自分の気持ちにしか従えなかったのだろうと。会うごとにそんな後悔で心がぎりぎりと音を立てているように苦しかったです。 やがてふたりとも中学生になり、お祭りにも参加しなくなって部活に励んでいるようでした。 毎年誕生日とクリスマスには贈り物をしていたので、小学生ぐらいまでは毎回「おかあちゃんありがとう!」と連絡をくれていたのですが…そのうち気がつくとその電話もなくなってきて一方的に送りつけるような感じになってきた時は、ついに来たか、と思いました。 子どもたちもいつまでも子どもじゃない。 まして離れて暮らしている「母親だったひと」という存在になっているかもしれない。 元夫が離婚に至った理由を子どもにどう話しているのかもわからない。思春期になり少しずつ大人の事情が分かってきて、自分たちを捨てた母親の私を恨んでいるだろうか。プレゼントが届いているはずの夜は、そんなことを考えて眠れないこともありました。 当然です。当然のことです。憎まれて罵られても、恨まれて顔も見たくないと、お前なんて私たちを産んだだけじゃないかと言われてもおかしくないだけのことをしてきた母親です。 なのに今さらつながっていたいと思うのは自分勝手なんて言葉だけでは全然足りない話だとわかっているのに。 悔みました。 かつての自分を憎みました。取り返しなどつかないことだとわかっていても、仮に、もしかしたら当時は最低な母親だったけれど離婚などせずに子どもたちと共にあれば、少しはましな母親になれていたかもしれない…。 都合の良すぎる後悔ですよね。わかっています。どんなに非難されても反論などすることはできません。 娘はもう高校生になりました。女である私が離婚して後悔したこと。 自分が経済的に苦しんだことは自業自得とはいえ、やはり大きかったのは愛すべき子どもたちを無責任に捨てたことが後悔として大きく残ったことでした。

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私が別居中の恋愛で辛いと感じた7つの事

あなたはいまどんな方とお付き合いをしていますか? このお話は、私が元夫との別居中に体験した恋愛を通して「この恋、やめた方がいいよね?」と思いつつも貫き通したお話しです。 恋愛には楽しいこと、辛いことたくさんあると思います。 その中でも、「常識では許されない恋」をしている人はジレンマを感じながら恋愛に向き合っているのではないでしょうか? 別居中の恋愛が辛い…そんな風に思ってるあなたに読んで欲しいです。 

好きでもない人と結婚したのが間違い? 私が最初の結婚をしたのは25歳の時。 周りの友人がどんどん結婚していき、当時付き合っていた彼とも別れたばかりの私は正直焦っていました。 そんな時に出会った元夫。5歳上で、私が今まで付き合った人とは違う「私をとても大事にしてくれる人」でした。その時はそう見えたのでした。 でもお付き合いしてすぐプロポーズされ、結婚まで約一年。その間に「おかしいな?」と思う事は度々ありました。 それでも結婚したのは「婚約破棄した女」と思われたくなかったというちっぽけなプライドでした。そんな元夫はとの生活は続くはずもなく。。。 結婚して二年経った頃、義両親との同居がきっかけで、私は義両親と大喧嘩をして実家へ帰りました。 マザコンの元夫は、私より実の両親との生活を選んだのです。そこから私は、本来してはいけない恋愛をしてしまいました。 

彼との出会いは別居してから
 彼との出会いは、別居中に共通の友人から誘われた食事会でした。実家へ帰った私を心配した友人が食事をしようと言ってくれたのです。 男女合わせて6人ほどの食事会でした。 友人が連れてきた彼は私より7歳下で21歳。すごく大人しくてほとんど会話もしなかった彼を見て「無理やり連れて来られたんだろうな。可哀そう」としか思っていませんでした。 けれど、そこで終わる事はありませんでした。また共通の友人と彼と三人で飲みに行く話が出ました。 友人も一緒ならまぁいいか。と軽く考えていたので特別意識もしませんでしたが、飲み会の最中、以前とは全く違う饒舌な彼を見てびっくりしたのです。 そして携帯番号を聞かれてもなんの抵抗もなく教えている私がいました。その数日後から、彼から連絡が来るようになりました。 最初は全く気にも留めなかった彼なのですが、2人で話をしていると、すごく楽しくて。何時間もお互いの話をしていました。 いつしか、電話がくるのが楽しみで仕方ありませんでした。そんな時、彼に「二人でどこかに遊びにいかない?」と誘われました。 突然のお誘いに、ビックリしたと同時にすごく嬉しくドキドキした私が居たのです。 返事は「OK」でもその直後に「別居中だしこれ、まずいんじゃないの???」そんな不安も襲ってきました。
 
別居中のデートは制限だらけ 

彼と二人で会うのはいつも夜でした。そして、地元をさけて知人とあまり会わないであろう場所ばかりを選んでいました。 彼は運転することが好きで、ドライブがてら遠くに行くのはむしろ大歓迎という人だったので、そこは怪しまれることはありませんでした。 でも私の車を運転したいと言い出したり、昼間に会いたいと言われることが私にとっては一番つらかったです。 ウソを並べてなんとかなだめていましたがいつも取り繕う私の姿は不自然だったかもしれません。 とにかく、人目を避けるために必死でした。 なので、遠く離れた場所まで行ってホテルで過ごすのが私にとって一番落ち着く場所になりました。 別居中の恋は制限が多いだけに辛いことも多いです。これから辛いと感じたことを6つご紹介します。 

辛かったこと① 嘘をついてばかりの恋愛
 楽しいはずのデートはウソだらけ。 彼「〇〇へ行こうか?」 私「今日はそこじゃなくてあそこがいいな~」 彼「今度の日曜日は〇〇へ行こうよ」 私「その日は予定があって。ごめんね」 彼「ごはん食べに行こうよ。」 私「今日はコンビニのお弁当がいいな」 そんなやり取りばかり。本当は会いたいのに。 昼間も堂々と地元でデートしたりご飯を食べたりしたいのに。 いつまでもウソをついている自分が嫌になってきました。 彼は純粋に気持ちをぶつけて来てくれるのに私は騙している気分になることもありました。 実際既婚者なのに独身と思わせていましたので騙していましたね。 でもこの時の私は気持ちが止められなくなっていました。 
辛かったこと② 名前さえも偽る日々 彼に対してついていたウソのなかに名前を偽っていたこともありました。当時まだ元夫の姓を名乗っていた私。 彼と初めて会った時、私はとっさに旧姓を名乗っていました。 もうあの名字を使いたくもなかったし、離婚したあとのことを瞬時に考えて、旧姓を名乗ったのです。 でもそのツケが回ってくる事件がありました。 私の車の調子が悪くなり、急きょ彼の叔父さまの経営する修理工場へ行く事になりました。 そこで車検証を見せて欲しいと言われ、彼が私の車のダッシュボードから出そうとしたところでハッと気づいたんです。 そう、車検証は夫の姓のまま記載されているのです。 「まずい!!」私はなにかを確認するふりをしながら彼の手を制止して直接叔父さまに渡しました。 叔父さまに名前を言われたらどうしよう???と軽くパニックになっていましたが 叔父さんは私の名前を読み上げることなく、修理は済みました。

あとから彼に聞いた話ですが、実はこの時、彼が怪しんでいたようです。 
 
辛かったこと③ 浮気調査されているかもという不安
 彼とのお付き合いは順調でした。 でもその裏でいつも心配だったのは「夫が探偵を頼んでいるのではないか?」という疑念でした。 「いや、そこまでするはずがない」という根拠のない自信は最初だけ。付き合いが深くなるほど、その心配は常にありました。 どんなに遠くに行っても実は後ろからずっとつけられているんじゃないか?写真を撮られているのでは…そんな不安と恐怖はいつもつきまといました。 時々キョロキョロしたり、バックミラーから後続車の様子を伺ったり、待ち合わせの場所に行くときは、わざとグルグル回って遠回りしてみたり。。。。 彼の車の助手席に座る時は必ずシートを深く倒してなるべく顔が見えないようにしたり。 私の車を使う時は、彼がどうしても運転したがるのでとにかく私は助手席で顔を隠すのに必死でした。 とにかく知り合いに会いませんように!!と願っていました。 彼を思えば思うほど、こんなことしたくない。堂々と会いたい。夫と早く決着を着けたい。 そんな気持ちになりました。 夫とは10か月の別居中、何度も二人で話し合いました。でも平行線で決着がつかず二人ともイライラしていました。 だからこそ、彼に会いたい気持ちが強くなったのもあるんだと思います。 

辛かったこと④ 彼を巻き込んでいる罪悪感 別居中で、復縁する意思はない者同士とはいえ、私は戸籍上既婚者。こんな関係が許されるはずもありません。 それは十分わかっていながらも、彼を巻き込んでしまっている罪悪感にかられました。 もしこの関係がバレたら。。。。 彼も慰謝料を請求されてしまうかもしれない。 そんなことをさせたくない。 今別れれば、彼になんの影響も及ぼさないだろう。 だったら、いま別れよう。 こんなことを真剣に考えました。彼のことを傷つけたくないその一心で。 自分勝手な考え方だと思います。でも好きって気持ちはどうしても止められなかったんです。 出した結論は「彼は私を独身だと思って付き合っている。私が騙した」ことにしておこうと。 ほんと、虫が良すぎる話ですね。でもそう決めたんです。法律に詳しくないのでそれが理論として通るのかは定かではありませんがそう決めたんです。
 
辛かったこと⑤ 調停離婚に向けての話し合い
 別居が半年以上たった頃、実家に私宛の封書が届きました。裁判所からの通知でした。 夫が申立人となり、離婚に向けての調停が開始されることになったと書いてありました。 裁判所からの呼び出し。私は被告人のような気持ちになりました。 いつまでたっても平行線のお互いの罵り合いを続けるよりは第三者に入って頂いたほうが楽だと、相談した弁護士さんにも言われていたのでなにかほっとしたような気持にもなりました。 調停というものが、どういうものなのかもわからずもしかしたら裁判になるのかも?という不安もありながら私は恐怖で眠れませんでした。 きっと裁判になったら色々調べられるんだろう。。。 裁判になったら絶対バレる。 やっぱり会わないほうがいいかもしれない。 そう思って、私はまたウソをつき、会う回数を減らしました。 学生だった彼はバイトもしていましたし私も仕事が忙しかった時期だったので会う回数が減ったとしても不審には思われませんでした。 でもやっぱり会いたいものは会いたい。夜待ち合せして車の中でご飯を食べたりしていました。 
 

辛かったこと⑥ 先の見えない不安

調停が始まってからも夫との罵り合いが続きました。 でも良かったことはそれぞれ個室に通されたことと、調停委員さんがいてくれたおかげで冷静に話しを進めることが出来たことです。 夫に一度も会うことなく調停は進んでいきます。でもすぐに決着をすることは出来ませんでした。 話し合いが終わり、裁判所を出る時。「いつになったら終わるんだろう」と絶望感もありました。 いっそ、慰謝料を払ったら楽になれるんだろうか? それは周囲に反対されました。私だって払いたくない。でも終わらせるには慰謝料払えば楽になれるかもしれない。 先の見えない不安に押しつぶされそうでした。




 辛かったこと⑦ 離婚はエネルギーが必要 離婚するにはエネルギーがいる。よく聞く言葉です。実際、本当にエネルギーが要ります。 私だけでなく、両親にも相当のストレスをかけてしまい母は倒れてしまいました。 私は彼が居てくれたおかげでストレスがあっても頑張れたのですが両親の方が悩んでいたんだと思い、本当に申し訳なかったと思っています。 私の場合はお互いにもう愛情もなかったですし、夫から「憎い」と言われていましたので、離婚に向けてのベクトルは一緒だったせいか調停に入ってからは「どうしたらお互いが納得して離婚できるか?」というところが焦点になっていました。 だったらもう協議離婚でもなんでもいいから済ませちゃえばいいのに。。。。どれだけお金欲しいんだこの人は??? 内心そう思いながらも調停に行っていました。

ちなみに慰謝料を請求されたのは私の不貞行為が発覚したのではなく、精神的苦痛の面からでした。 

調停3回目に急展開が!!
 調停は相変わらずお互いを罵り合う場でした。 調停委員さんはなるべく裁判まで持ち込まないようにお互いの気持ちや現状を第三者の目で見てアドバイスしてくれました。 「どうしても離婚したいという思いが一緒なら条件面で折り合いをつけていきませんか?」 という方向で進めてくださっていました。私はいつしか調停委員さんの言うとおりにしていました。
 そして三回目の調停に臨んだ時のこと。いきなり夫から妥協案が提案されたのです。 私は嬉しくて嬉しくてその要求を呑みました。結局は財産分与の件で私が余剰分を払うという形で成立となったのです。 まだまだ続くだろうと思っていた調停が、ついに成立したのです! 成立した旨の書類が出来上がった時、私はなんとも言えない気持ちになりました。今でもその光景は覚えています。 数日後、夫と離婚届けを提出し、握手して別れました。その時の爽快感と達成感と言ったら!! その時の事も一生忘れる事はないでしょう。そして一番に会いたいと思ったのは彼でした。 
離婚成立。彼に全てを告白した 

離婚届が受理されたと言っても、これで堂々とお付き合い出来る!と言うのは時期尚早というのはわかっていました。 なので、しばらくはいつも通り夜だけ会っていました。いよいよ彼に全てを話そうと決心したのです。 私「話したいことがあるから今度いつ会える?」 そんなメールに彼は「別れ」を切り出されるのかもと思っていたと後日話してくれました。 一台しか停められない、秘密の夜景スポットに彼を連れて行きました。 そこで私は今まで突き通してきたうその数々を話し、既婚者だったこと、別居中だったのに隠してお付き合いしていたこと。 名前も旧姓を名乗っていたこと。 すべて話しました。 「騙してたのか、じゃあ別れよう」って言われても仕方のないことをしていたので内心どんな返事が来るかドキドキしていました。 でももう離婚も成立し、これからはうそのないお付き合いを真剣にしていきたいと伝えました。 彼は受け容れてくれました。 彼が唯一質問してきたのは「子供はいるの?」でした。「子どもがいるならちょっと考えちゃったかもしれないけど」と、正直に話してくれました。 「でも話してくれてありがとう」と最後は言ってくれました。そこから8年、私たちはお付き合いをしていました。 周りから「結婚するんでしょ?」と言われるくらい私たちは仲良しでしたし、私も彼と結婚すると思っていました。 
8年後・・・別れのとき

 別れは彼から切り出されました。 お付き合いしている8年間、何度も言われていた 「会いたい時に会いたいって言って欲しい」 私はそれを直すことができませんでした。 別居中の恋愛の仕方が板についてしまったのか、私は自分から会いたいと言えなくなってしまいました。 そして、彼が私を愛してくれているという奢りから私はいつも彼の連絡を待つ女になったのです。 そんな傲慢になった私に愛想を尽かしたのか、ある日から彼は一ヶ月ほど連絡をくれませんでした。 私はというと「忙しいんだろうな」と勝手に決めつけ、自分から連絡をしなかったのです。 今思えば、なんで連絡しなかったんだろう。週末が近くなると、会いたくてたまらなかったのに。平日の夜、少しでも会えればすごく嬉しかったのに。 自分のプライドが邪魔をしていただけなのに。。。。 結局彼は私に会うと決心が揺らぐからと、メールでお別れしました。何度も「会って話したい」とメールしても返事は変わりませんでした。 その夜、自分のふがいなさに泣く事しか出来ませんでした。 翌日も泣きはらした目で仕事に行き、仕事中も自然と涙が出てしまいとても辛かったです。 
あれから20年ほど経ちました。…
 別居中に辛いと感じたことを7つほどまとめてみました。 あんなに好きでずっと一緒に居たいと思っていた彼と別れ、現在はその後出会った夫と二人の息子、愛犬に囲まれて幸せに暮らしています。 夫とはなんでもオープンに話せる仲なので、元彼のことも知っています。 過去は過去とお互いわかっていますし、信頼もしています。

不貞行為という法律に反したことをしていたあの時期は、元夫にばれたら・・・という不安がいつも付きまとっていました。 でも、辛さや不安よりも、彼に会いたい気持ちは抑えられなかったのです。 
世の中には私のように、日の当たる場所で堂々と好きな人に会えない恋愛をしている人も多いと思います。 私も実際してきたことなので、他人の恋愛に対して肯定もしませんし、否定もしません。
この先離婚成立となり、再婚。というゴールには行きつかないかもしれません。 再婚ではなく、今の関係をずっと続けられたらそれでいい。それでもいいのであれば、どんな形でもいいと思います。 私のように彼とは別れたけれど、違う人と再婚。というケースもあり、さまざまです。 別居中の恋愛は楽しいこともあるけれど、制限があるために辛く感じることは沢山ありました。 でもそれでも続けていきたい相手なのか?日の当たる場所で堂々とお付き合い出来る日まで我慢したほうがいいのか? 私は続けることを選択しましたが、それを決めるのはあなたです。 いけないことをしているのはわかっているけれどやめられない。そんなあなたへ。 このお話が、あなたにとって一つでも参考になれば嬉しいです。