実録!DV夫との調停離婚の費用はたったの6000円だった
DVに長い間耐え続け、ついに離婚を決意した時。
相手がDV夫の場合は、協議で円満離婚できる可能性なんてほとんどないですよね。
となると、最初に考えられる方法は、調停離婚かと思います。
私も付き合い始めから数えて7年間に渡るDV夫との生活を、調停離婚によって終わらせました。
はっきり言って離婚は心身共に疲弊します。
よく結婚の100倍大変といったことを耳にしますが、本当にその通りだと思います。
しかし、乗り越えた先には必ずDVから解放された自由が待っているんです。
私は調停離婚をしたことで、自分たちの今までの生活が間違いであったとより一層確信でき、離婚に対して1ミリも後悔はしていません。
今日は私が実際に行った調停離婚の体験を踏まえ、調停離婚とは何なのか、どれくらいの費用が掛かるのか…についてお話したいと思います。
調停離婚とは
離婚調停とは、家庭裁判所で行われる夫婦関係調整調停(夫婦間に第三者である調停委員が仲介役として入り、両者の関係を調整するもの)のひとつで申立人が離婚を求めているものです。離婚時の話し合いにおいて、中立な立場である調停委員の関与の下、夫婦が話し合いをしていく場です。
出典:best-legal.jp
私たちの場合は、私が申立人となり家庭裁判所に申請をしました。
私は最初から弁護士をつけなくてはならないのかと、金銭面で不安になっていましたが、第三者である調停員が双方の話を整理し、話を進めてくれるので必ずつけなくてはいけないという訳ではありません。
ただし弁護士を付けた場合、高いお金を払ってまで離婚をしたい強い意志があるのかという心証を受けるので、いくら中立の立場とは言え調停員からの印象は違ってくることもあるようです。
私は弁護士を付けずに離婚調停をし、期間は1ヶ月に1度。6回目の調停で無事離婚が成立しました。
ちなみに調停は半年から長くて1年くらいかかる場合もあるそうですが、大抵は話し合いが平行線でこれ以上は無意味だと判断された場合、途中で不成立となり調停は終了となるそうです。
私も子供の親権についてなかなか決着がつかず、調停員の方から
「あと1回で決まらなかったら、不成立にして離婚訴訟起こし、裁判することを考えてみては?」
と言われかなり焦りましたが、なんとか最後の1回で慰謝料・養育費の請求は一切しないことを条件に親権は私が取り、離婚が成立しました。
経済的DVでもあった元夫は、親権が欲しかったわけではなく、私に1円も払いたくなかったことから親権を主張しただけでした。本当に最悪です。
調停離婚にかかる費用
申し立て手数料
まず調停離婚を申し立てるにあたり、「夫婦関係事件調停申立書」という書面を、裁判所のHPよりダウンロードします。
この書面と、申し立て手数料として収入印紙1,200円分を郵便局やコンビニなどで購入し、一緒に納めます。
大きい裁判所ですと裁判所内で売っていることもあるようですが、原則として離婚調停は、相手側の居住地の最寄りの家庭裁判所で行わなくてはならないため、事前に購入して持って行った方がいいと思います。
ちなみにこの調停申立書ですが、調停員が二人の状況を知る最初の手がかりになりますので、あまり相手を貶める言い回しはせず、でも自分が苦しんできたDVの被害を正直にアピールして書くといいと思います。
ですので、記入は慎重に丁寧に行いましょう。
予納郵券
郵券とは切手のことです。申し立てた家庭裁判所から相手側に対して書類を送るための切手代を、申立人が負担しなくてはいけません。
私の場合800円分でしたが、裁判所ごとに多少違うそうなので、申し立てる裁判所に問い合わせてみて下さい。
…相手のために800円ですら払うのは惜しいですが、これで離婚に前進できるのだと思えば破格のように感じますよね。
必要書類
本籍のある役所から戸籍謄本450円を取得します。
本籍地が遠い場合、郵送で取り寄せることになるので、別途切手代などもかかってきます。
また、住民票200円(市区町村によって異なるみたいです)も必要です。
その他
コピーや現像代など
DVによる離婚調停には、DVの証拠を調停員に見せることが重要になります。
普段手帳などに日記を書いている人はそれが十分な証拠になりますし、後から思い出して書いたものでも大丈夫だそうです。
私の場合は「この時何があって何をされた」「この日にあの事件が起こった」などを時系列にまとめたレポートを作成しました。
それを自分用、調停員用、自宅保管用など複数枚ずつコピー。
それからメモリーカードに残してあった痣や、壁にあいた穴の画像など、暴力の証拠になるものを何枚か現像しました。
また、当時の私は無知だったので用意できませんでしたが、DVを受けた時に病院へ行き、診断書を貰っておくのが何よりの証拠になるようです。
そうなると、受診料や診断書を発行する際の費用などもかかってきますね。
その他に調停記録をコピーすることがあるのでそのコピー代、裁判所に書面を提出する際の郵便代なども負担しました。
交通費
先ほどもお話したように、離婚調停を行う家庭裁判所は、相手側の居住地の近くになります。
DV被害者の調停離婚の場合、相手からの報復を避けるため、ほとんどが別居してから行うのではないでしょうか。
DV夫は怒らせたら何をするかわかりませんから、自分の身を守るためにも絶対に別居をオススメします。
実際私は、調停員には絶対に鉢合うことのないように、来所・退所時間をずらし、別室で待機させてもらうよう徹底してもらっていました。
ですから2県先の実家近くのアパートから車で毎月通っていた私は、ガソリン代などの交通費がその他にかかりました。
これが調停離婚において私には一番大きい出費だったかと思います。
離婚調停成立時にかかる費用
離婚届を提出する際に、必要となる「調停調書謄本」を取得します。
1枚あたり150円をこちらも収入印紙で納めます。
私はしませんでしたが、年金分割手続きも行う方はもう1枚必要になるようです。
それから調停調書の正本が必要な場合(双方で合意した慰謝料や養育費などの支払いがなされなかった時など)その郵送代は1000円強かかるようですが、こちらも私は慰謝料も養育費も貰わなかったので必要ありませんでした。
最後に…
これらを合わせて、私が調停離婚にかかった費用は交通費を入れても6,000~7,000円ほどしか、かかりませんでした。もっとかかるものだと思っていたので、金額面ではとても安心しました。
ただ離婚調停で決着がつかず、離婚裁判に進んだ場合、そこではたくさんの費用が必要になってしまうかと思います。
…1度は心を通わせ、愛していた人とのたった1枚の離婚届を書くために、毎月裁判所という慣れない場所で忘れてしまいたい過去を話すのは本当に辛く、帰りの車の中では毎回泣いていました。
また、調停員がたまに元夫を擁護するような発言をすると、私の味方はどこにもいないのではないかと孤独感と焦燥感でいっぱいになりました。
弁護士をつけるメリットの一つとしては、そういった部分をカバーしてくれるところにもあるかもしれませんね。
私はトータル7年の元夫との生活の中で、離婚を決意したのは最後の数か月になってからです。それまでは、いつか改心してくれるのではないかと、心の中でいつも期待していたのだと思います。
最後に現在、DV被害に悩み毎日苦しんでいる方へ。
これは当時調停員に言われたことですが、DV夫が口先だけでなく本当に改心した例は彼の知る所1例もないそうです。
多くの方がDVから解放される1歩を踏み出せますように。
1年半生活費がもらえなかった!生活費を巡った私の離婚調停体験談
「嫌いになった」愛していた夫からの突然の言葉。ここから約2年の別居生活がスタートし離婚。
今回の記事は私が体験した、「1年半生活費がもらえなかった生活費を巡った離婚調停体験談」になります。
離婚の経緯「嫌いになったから離婚して欲しいと言われた私」
それは突然の宣言だった
17年ほど前、私は以前の夫から「嫌いになった」と宣言されました。「嫌いになったから離婚を考えている」と突然言われて頭の中が真っ白になったのをよく覚えています。
とにかく、とにかくその時はショックでした。
この人は何を言っているのか?私は棄てられてしまうのか?こんなの嘘だ等々、頭の中で考えながら私はつい言ってしまったのです。
「あまりにショックで一緒にいられない。アパートから出て行って欲しい」と。
混乱して自分の口から出たのがそのフレーズだったのです。別居生活のスタートです。
別居後1年半で生活費を入れなくなった夫
別居後一年半を経過した頃から夫は生活費を入れてくれなくなりました。
私には慢性的な持病があり、パートでアパートの家賃をギリギリ払える程度のお給料しか当時は稼げませんでした。
それで、夫からの生活費が入って来なくなり、自分の診療費も出なくなって死活問題になったのです。
別居中なのを知っている親からお金を工面してもらったりしていましたが、限界があります。
弁護士に勧められた調停申立
そこで、別居生活3年目に入った頃、知り合いの紹介で思い切って弁護士さんに相談に行きました。
そこで勧められたのが、調停を申立てるということだったのです。
調停を申立てる場合、当時は相手が住んでいる地域の管轄家裁=家庭裁判所に出向き申立てることが法律で定められていました。(今は法律が改定されています)
夫は隣りの市に移り住んでいて、たまたま家裁の管轄が同じだったので遠くまで行かずに済んでそのことは助かったのを覚えています。
調停申立の準備と家庭裁判所への申立
別居中の生活費の請求は「婚姻費用の分担請求調停の申立て」と言い、申立てに際して事前に必要な書類があります。
【必要だった書類】
①婚姻費用の分担請求調停の申立書
②夫婦の戸籍謄本
③申立人(私)の収入関係の資料(源泉徴収票、確定申告書、給与明細等)
④(もし持っていれば)相手方の収入関係の書類
申立書はどこの家庭裁判所でも無料で配布してくれますし、今ではインターネットからダウンロードすることも出来ます。
かかった費用は手続き上必要な収入印紙代1800円と相手側に書類を送るのに必要な切手代800円の計2000円。
意外と安く済むんだなと思ったのを覚えています。
調停日の通知「呼び出し状」
第一回目の調停日の通知は申立て日から2週間くらい後に「呼び出し状」という名目で送られてきました。
当然、夫にも届けられています。
夫の住まいの住所はわからなかったので、会社の住所を通知先にしたように記憶しています。
調停日には呼び出し状に書いてある時間までに家裁まで出向きます。そして、待合室で呼び出しを待ちます。
待合室では他の調停を待っている人と鉢合わせたこともありましたが、夫とは会わないようになっていました。
調停のときは全てを正直に話すこと
第一回目のときに、男女1名ずつの担当の調停委員さんがこれからの調停の流れを説明してくれて、まずは申立人の私から申立てた経緯を説明しました。
質問に対しては事実を答えるように言われたので、全てを正直に話しました。
自分の気持ちも含めて、です。
30分くらいで退室を促されて待合室に戻り再び待機します。
待機している間に夫が調停室に呼び出されて、かわりばんこに調停委員さんから相手の主張を聞かされ、自分の主張を述べることが続きます。
夫側からも離婚調停を申し立てられた
第一回調停日の調停室に呼び戻された二度目の時、私はまた愕然とする事実を突きつけられました。
私が婚姻費用の分担請求調停を申立てたと知るや否や、「夫側も離婚調停を申立てて来ていた」と調停委員さんからそう言われたのです。
それを聞いた時、あまりにも展開が意外過ぎてまた頭がおかしくなりそうでした。
夫の本性がようやく分かった
その事実を聞いた時、私はようやく気づいたのです。夫はつくづく酷い男だったのだと。そして、私と本気で離婚したいと思っているのだなと。
実はその当時、私は今の主人と知り合っていて色々と相談していたので、調停終了後に泣きながらその事実を報告しました。
そして、離婚するにしろしないにしろ、このまま言うことを聞いて終わる訳にはいかないと決めたのです。
1年半貰えなかった生活費は請求できなかった
婚姻費用の分担請求でもらえるお金(別居中でも支払われるべきだった費用など)は、申立てて請求した日からなので、1年半もらえなかった生活費分は請求できないというのも調停中に知りました。
何だか踏んだり蹴ったりだなと感じましたが、私の調停が通れば離婚する時までは生活費はもらえることになるし、離婚には応じないと言い続けようと改めて心に決めました。
3回目の調停でバカ男の要求を呑み10万円で離婚
調停の間隔は大体月に一度でした。
間にお盆が入ったので夏場だけ二ヶ月空きましたが、その間に今の主人と親しくなり生活もかなり助けてもらっていました。
三回目の調停の前に、今の主人からその当時の奥さんとの離婚が成立したと報告を受けました。私は別居していたとはいえ、W不倫をしていたのです。
その是非はさておき、これでこの調停を終わらせることができると安堵したのを覚えています。
別にすぐに誰かと結婚したいとは考えていませんでした。
それよりも何より、調停中というこの状況とバカ男から解放されたいという想いが強くなり、最終的にはバカ男の要求を呑み10万円で離婚することで合意したのです。
10万円は余りにも安すぎるとは思いましたが、バカ男の稼ぎがそれくらいしかないのは私が一番よく知っていたし、そこからまた粘ったところで10万が100万になるはずもないので合意したのです。
そして、私が申立てた調停は取り下げという形で終わりました。
合意が決まると調停成立ということになり、その日のうちに裁判官が夫婦二人を前にして調停調書というのを読み上げます。
そこで久しぶりに別居中の夫婦が顔を合わせるわけですが、その時のバカ男は自分の思い通りになってすっきりしたような顔をしているように見えて怒りがこみ上げてきたのを覚えています。
私はこんな男に惚れていたんだと自分に対しても腹が立ちました。
離婚調停成立後の流れ
離婚調停後は、10日間のうちに離婚届を出さなければいけないという決まりがあります。
夫婦二人と証人二名の署名捺印は必要ありませんが、調停調書謄本というのを提出しなければなりません。
当然、離婚の手続きはバカ男がしたのですが、その後に戸籍謄本を確認したら「調停離婚」と離婚の種類みたいな記載がされていて気分が落ち込んだのを覚えています。
話が前後しますが、調停が成立すると申立人とその相手に調停調書というのが送られてきます。調停の内容と経緯が記載されていて読み直して事実と違うことが書かれていたら訂正してもらうことも出来ます。
離婚してわかったこと「離婚は結婚よりもずっと大変」
よく世間で、離婚することは結婚することよりずっと大変だという話が出ますが、本当にその通りでした。
私はその後、調停中から助けてもらっていた今の主人と結婚をして子供も授かり17年前のあの日から想像もつかないくらい幸せな日々を送っています。
そして、夫婦という立場でも他人だという事を忘れずに、気を許しすぎてはいけないという事も離婚を通じて学びました。
前夫のバカ男には微塵の感謝もありません。生涯を通して、唯一私が不幸になれと願っている人間です。
DV&モラハラ夫との壮絶結婚生活を告白!エスカレートしていくDV…そして調停離婚。
DV&モラハラ夫との壮絶結婚生活を告白します!
10数年前から、ツンデレやドSなキャラの男性との恋愛映画や漫画が、女性の多くに愛されるようになりました。
当時高校生だった私もその一人で、そういった性格の男性。
昔ながらの言い方をすると「亭主関白」な男性に憧れ、恋愛や結婚をし、一生ついて行きたいと思っていました。
そして数年後、20歳の時に友人の紹介で14歳年上の男性と知り合います。
全てはここから始まりました。私の壮絶な7年間をこれからお話します。
徐々に感じる不安
程なくして、その男性(以後・元夫)と意気投合し、付き合うことになります。
14歳も年上で頼りになるし、ちょっと口は悪いけれど優しく引っ張って行ってくれる「亭主関白」タイプ。
まさに理想の男性に巡り会えた…そう思っていました。
お互いお酒が好きで、会うと必ず一緒に飲んでいました。
お酒が入りすぎるとちょっと気が大きくなるのか、お店で飲むと店員さんへの口調が乱暴になったり、友人にも突然キレて喧嘩腰になったり…。
でも私が制止すると収まりましたし、その矛先が私に向くことはなかったので、まあ仕方がないくらいに考えていました。
初めて私に攻撃的な面を見せたのは、一緒にいる時に私の男友達からメールが届いたのを見られた時です。
浮気を疑われ、否定するとその場で私の携帯電話を奪い取り、その友達に電話をかけました。相手がなんと答えたかわかりませんが、元夫は一方的に怒鳴り散らしていました。
電話が終わると、その場で私のメモリにある男性の名前を全て消去させられました。
とても恐怖でしたが、その頃は彼が大好きでしたし、これは嫉妬からくることだからと素直に応じました。
そして、消去が終わった後はいつもの優しい態度に戻ったのです。
しかし、これをきっかけに徐々に行為がエスカレートしていきます。
DV・モラハラの日々
付き合って一年、私は妊娠しました。
元夫からは以前に結婚を匂わせるような話もされていたので、喜んでくれると思ったのですが、話した途端表情を曇らせました。
理由は、「今結婚するのは、俺の考えていた時期と違う!!時期がきたら結婚するから堕ろそう!!」
…その後、色々ありましたが、無事結婚が決まり、これからの明るく幸せな生活を送っていこう、という希望しかありませんでした。。
妊娠から出産
妊娠を機に、私は力仕事の多かった職場を退職。
車がないと不便な町にアパートを借りることになったので、元夫から運転免許を取れと言われ僅かな貯金は教習所代に消えました。
次に、自分だけ働いて私が家にいることが許せないらしく、教習所に通うのと並行して働くようにと強要されます。
妊婦を雇ってくれるところなんてないと言うと、数日後、スナックの求人を持ってきてここに電話しろと。
以前は男性と連絡を取ることすら嫌がっていたのに…。それ以上に自分だけが働いて犠牲になることが許せなかったようです。
…こうしてお腹が目立つまでの数か月間、私は昼間は教習所、夜はスナックで働きました。
寝不足の毎日に、夜はタバコの煙の中でたまにお酒も強要されます。辛かったですが、これから生まれてくる我が子と元夫との幸せな生活を守るため、必死でした。
お腹が大きくなり、ずっと家にいるようになると、元夫は私に頻繁に暴言を吐くようになりました。
主に深くお酒が入った時。子供の性別は女の子が良かった彼は、
「女じゃなかったら育てないからな。」
「妊婦だからって甘えるな。嫌なら堕ろせ。」
「このデブ!働け!!」
など、出産間近には初めて手をあげられ髪を引っ張り、引きずられました。
その反面、日中の機嫌のいい時は料理を作ってくれたり、ベビーグッズを二人で楽しみながら購入したりするのです。
この楽しい時間の方が圧倒的に長かったので、当時別れることは一切考えていませんでした。
子どもが生まれたら私も働けて、怒らなくなってくれると信じていたのです。
洗脳された結婚生活
冬の寒い朝、私は彼立ち合いのもと元気な女の子を出産しました。
娘のことは溺愛し、見たこともないような笑顔で喜んでくれたのでとても安堵したことを覚えています。しかし....
1か月の里帰りを経て我が家に帰宅。何事もなくただ笑って暮らせていたのは、ほんと数週間でした。
家で家事と育児をしている私が、外で働きもせずのんびりした生活をしているように映ったのでしょう。
「誰の金で生活できると思ってるんだ。」
「家政婦は家政婦らしく働け!!」
など、まるでドラマのワンシーンかのような典型的なモラハラ夫のセリフを浴びせられ始めました。
暴言はしょっちゅうでしたが、暴力も最初は2、3か月に1度から徐々に1ヶ月に1度、数週間に1度と頻度を増していきました。
「俺は子供は養うが、お前を養う義務はない!携帯代や自分の使った分の光熱費は自分で払え」
と、今度は内職の求人を持ってきて、子供が保育園にあがるまで内職をさせられました。
家事の合間や睡眠時間を削って1日10時間以上費やしても、2万円ほどの収入でしたが、
「これでも足りない分は俺が払ってやってるんだ。俺がいないと、お前は何も出来ない奴なんだ。」
と言われ、今考えると本当に不思議なのですが、当時の私はその通りだと思い言いなりになっていました。一種の洗脳状態だったのかもしれません。
別居へ
娘が保育園に上がると、私は日中パートに出ました。これでお金のことで文句を言われなくなる…。
そう安心していたのも束の間、今度は家事の面で文句を言われるようになりました。
元夫の仕事は必ず定時で終わり、職場も近かったため17時すぎには帰宅します。私は17時にパートが終わり、娘のお迎えと買い物を済ませてから帰宅するので、私が帰る頃には、もうお酒がすすんでいるのです。
夕飯を出すのが遅くなったり、家事をしながら話を聞いていて相槌がおろそかになったりすると、娘の前でも平気で怒鳴りつけ、この頃にはもう暴力も数日に1回のようになっていたので、蹴られ髪を引きずられる日々…。
娘はこの光景を見るたびに号泣していました。
元夫は暴力を奮う際、よくこんなことを言っていました。
「顔や腕に傷をつくると周りにバレるし恥ずかしいだろ。だからケツや腹を蹴ってやってんだよ。」
自分のDVが止められなくなって、いよいよ周りに発覚してしまうことを恐れたのかもしれません。
そんな毎日の中にもまだ、一家で笑い合う時間がたくさんありました。これが離婚に踏み切れない大きな理由です。
けれど仕事のストレスや精神的に追い詰められ、もう毎日死を考えてしまうほど精神状態はボロボロになっていました。
…そして転機は突然訪れました。
ある夜、洗濯物をたたんでいる時に仕事の同僚から相談の電話が来ました。元夫は隣でお酒を飲んでいましたが、話が長くなるにつれ機嫌がだんだん悪くなっていきます。
20分くらいでしょうか。そろそろ切り上げないと危ない…そう思った矢先、彼は私の手から携帯を取り上げたのです。
しまった!!と思いましたが、もう手遅れ。「お前と違ってうちはそんな暇じゃねーんだよ。ふざけんな!!」
そのまま電話相手の女性を怒鳴りつけ、罵倒し私の携帯電話を真っ二つに折りました。
頭の中で何かがぷつんと音を立てて切れた、という表現を良く聞きますが、まさにそう。そこですうーっと頭の中がクリアで冷静になりました。
今まで私だけが我慢すれば全てうまくいくものと思っていたけれど、周りに被害が及んだことでそうではなかったことが分かったこと。
また、人に自分の夫がそういう人なんだと知ってもらえたことで、彼女には本当に申し訳ないですが、なんだかほっと安心したこと。
そこからは自分の行動力に自分でもびっくりしますが、元夫が深酒をして熟睡しているその日の深夜に、最低限の荷物を車に運び出し、娘を連れて家を出たのです。
決意の離婚
実家に帰った私は、両親に全てを話しました。両親は泣きながら、話の全てを受け止めてくれました。
不思議なことに自分のことを人に話すと、自分を客観視できるのか話すエピソード全ておかしいことに気づきました。
あんなに自分が悪いんだ。自分さえ頑張れば…と思っていたのに。元夫の言動がどれも異常だとそこで初めて分かったのです。
離婚に向けて動き出しました。顔を合わせての協議離婚はどう考えても不可能でしたので、調停離婚。
それも絶対に鉢合わせることのないよう徹底してもらいました。
最初の調停に、彼は現れませんでした。その日は、この5年間の結婚生活で起きたことを時系列にまとめたレポートを元に調停員に話をし、終わりました。
2回目の調停には現れましたが、話を聞いた調停員から、
「双方の言っていることに食い違いがある。親権は譲らない、むしろ復縁したいと言っている。あなたも今は熱くなっていると思うから、少し冷静にもう一度考え直してみては?」
…愕然としました。
当時私は26歳。社会経験はほとんどありません。一方、14歳も年上の元夫は外面が本当に良く、金銭面で子供1人を育てるのに苦労はしません。
調停員の目には、少し私が話をオーバーにしていると映ったようでした。
先ほど、調停の際には一切鉢合わせることのないよう徹底してもらったと書きました。帰る時間もずらすようにしてくれましたが、駐車場は同じ。
帰りに元夫の車を見つけた時は恐怖で鳥肌が止まりませんでした。
それから数回、私の必死の訴えも空しく話は平行線を辿り、離婚も親権もお互い譲らないまま、次で決まらないようなら裁判へというところまで来ました。
そして最後の調停。私は最後に、とにかく離婚がしたいこと、慰謝料も養育費も一切いらないから親権だけは譲って欲しいことを訴えました。
…するとあっさり離婚に応じたのです。
全ては私に一銭も払いたくなかったことからの発言だったのです。この手のひら返しには調停員もあきれているようでした。
私も親権を譲りたくないということは、それだけ娘を大事に思っていてくれているのかと、少しだけ心が揺らぎそうになったのに…。
やっと終われることと娘のことを思うと、涙が止まりませんでした。
幸せな今
現在私は、理解ある心から信頼できる優しい男性と再婚し、新たに授かった娘と家族4人、血のつながりを超えた幸せな生活を送っています。
あの壮絶な7年間を忘れることはできません。未だにたまに夢に元夫が出てきては私に暴力を奮います。
今、DVで悩んでいる方にこれだけは伝えたいです。
家族でも友達でも、相談窓口でも誰でもどこでもいいから、自分の身に起こっていることを誰かに話してください。
絶対離婚に向けての解決の糸口が見つかります!!