DV夫とのスムーズに離婚する為にやるべき準備4つ(7年間のDV被害から離婚した女性の発信)
今や3組に1組の夫婦が離婚しているこの時代。
数ある離婚の理由の中でも、DVによる離婚は厄介です。
何故なら、感情を自分でコントロールすることができず、いつでも自分の行いを正当化するので冷静な話し合いができる相手ではないからです。
それに、逆上してさらなる暴力を奮われる危険があるので、話し合いには第3者を同席させる必要があります。
そうなると協議離婚は難しく、調停や裁判になる可能性もあると考えるべきでしょう。
私は、付き合っていた時から数えて7年間のDV夫との生活から逃げ出し、離婚しました。
別居が突発的だったこともあり、離婚に至るまでは行き当たりばったりなことも多く、色々と苦労がありました。
ですが、今なら事前に何をしてどのように動けば、もっとスムーズに事が進んだのか分かる気がします。
ですので今回はこれから離婚を考えている方へ、私の経験を踏まえてどのような準備をすべきなのかについてお話します。
離婚準備1、DVの証拠を日頃から集めておく
調停や裁判を想定した場合、まず重要になってくるのがDV被害の証拠集めです。
【DV被害の証拠集めの例】
・暴力を奮われた際のケガや破損した家具や壁などの写真
・病院に行った際の医師の診断書
・DV内容を詳しく記した日記
・DV最中の暴言などを録音した音声
など離婚に向けて動き始める前に、できるだけ沢山証拠を集めておきましょう。
私は、元夫から携帯電話を数台壊されていたため、あまり写真を残せませんでした。ですから早めにプリントアウトをしたり、SDカードに保存したりしておくことをオススメします。
また日記をつけていないと言う方は、後から思い出して書いたものでも有効だそうです。私は起きた出来事を、時系列にまとめたレポートを作成し調停に臨みました。
そして何より強い証拠になるのが医師の診断書です。小さな怪我でもなるべく病院に行き、診断書を作成しておきましょう。
離婚準備2、家を出る際の荷物セットを用意する
私が突発的に家を出て一番失敗したと思ったのは、荷物に関してです。
事前に準備をしていなかったため、最低限の着替えと財布、手帳程度しか持ち出せませんでした。
離婚が決まってから、荷物はめちゃくちゃに段ボールに入れたものが実家宛てに送られてきましたが、子供の母子手帳、へその緒や写真は入っておらず、おそらく二度と手元に戻ってくることはないでしょう。
そういった経験から事前に荷物を用意しておくことをオススメします。
それにDVの被害から身を守るため、計画より早い段階で、私のように突発的に家を出なくてはならない可能性も十分あり得るからです。
【家を出る際の荷物リスト例】
・数日分の着替えと下着
・現金とキャッシュカード
・子供と自分の名義の通帳・印鑑
・健康保険証・母子手帳
・免許証・パスポート
・子供の生活必需品(薬やオムツ、ミルクなど)
・子供と自分の大切なもの(子供のお気に入りのおもちゃや写真、自分の宝物など)
これらを準備し、ひとまとめにしておきましょう。
ただし、絶対にDV夫にバレない所に隠しておくか、信用できる友人などに預けるようにしてくださいね。
離婚準備3、周りの人や機関にDV被害を話しておく
私は、自分がDVに遭っていることをほとんど人に話していなかったので、いざ家を出た際に職場や同僚、友人などへの説明を一からするのは大変でした。
それにそこで私も知らなかった離婚に向けての情報なども教えてもらったので、もっと早く人に相談していれば、ここまで我慢する必要がなかったと思っています。
また友人へ相談した際のメールやラインなどのやりとりも証拠の一つとして提出できるそうです。
それから、もし身近な人に相談することに抵抗がある場合は、居住している地域にある配偶者暴力相談支援センター、役所の市民(区民)相談窓口、警察の相談窓口などに相談に行きましょう。
今後に向けての的確なアドバイスがもらえる他、来所記録を残すことで、離婚したいという気持ちの強さが明確になり、調停や裁判の際に事が有利に動く可能性が高まります。
そして何より、背中を押してくれるので行動を起こしやすくなりますよ。
警察に相談する際の注意点
ちなみに私は、夫からのDVで身の危険を感じた時、110番通報をして警察に自宅まで来てもらったことがあります。
その時事情を話した警察官から、
「旦那さんは否定しているけどどうする?傷害罪になるから被害届出してもいいけど、旦那さんと2度と元のように戻れなくなるし、お子さん可哀相じゃない?」
と言われました。
私はその投げやりな対応が怖くて、その後の行動をためらってしまいました。
きっとこのような夫婦間トラブルはたくさんあり、私がいくら訴えても夫が否定している限り大事にはしたくなかったのでしょう。
今思えば、以前から相談窓口などに相談し記録を残していたら、もっとあの時親身に対応してもらえたのではないか…と感じています。
私が受けた対応はきっとたまたま悪かっただけで、最初から丁寧に対応してくれる警察官もたくさんいると思いますが、やはり事前に記録を残しておくことは重要だと思っています。
離婚準備4、今後の住まいや仕事について考えておく
夫婦が別居をする際、別居先としてまず自分の実家が思い浮かぶかと思いますが、相手がDV夫の場合実家にずっといるのは非常に危険です。
何故なら、夫は当然自分の実家の場所を知っているので、離婚に納得できない場合連れ戻しに来たり、報復しようと押しかけたりする場合があるからです。
DV被害者が一時的に避難できるシェルターもありますが、いられる期間も決まっているので、やはり自分で離婚をするにあたり、今後どう生活の基盤を固めていくべきかシミュレーションする必要があります。
【別居・離婚後の動きで検討すべき例】
・どこで暮らすか
・仕事はどうするのか
・生活費はどのくらいいりそうか
・行政の支援はどのようなものがあるのか
・年金や健康保険は?
このようなことはざっくりでもいいので書き出しておきましょう。
ちなみに私は子供を連れて一時的には実家に帰りました。
しかし、やはり夫が押しかけてくる可能性があることが怖くて、実家に近い場所にワンルームの安いアパートの一室を借りて、そこで娘と暮らすことにしたのです。
そして当時資格も職歴もろくになかった私は、役所の子ども家庭課の相談窓口へ行き、色々な手続きをしながら家庭の状況を話しました。
そこで職員の方に職業訓練を紹介してもらい、半年間通いながら就職に向けていくつか資格を取得することができました。
このような制度があることも、離婚して初めて知ったことです。
また月に2人でどのくらいのお金が必要で、行政からの支援は何がどのくらいあるのかなど、一切分かっていなかったので、初動が遅れ生活の基盤がなかなか固まらず、両親などにとても迷惑をかけてしまいました。
また、娘の保育園もどのような園がどこにあるのか一切分からず、一から調べることになったので申請も手間取ってしまいました。
離婚をすることを決めたなら事細かくなくてもいいので、今後一人もしくは子供との生活を早く安定させるために、住む場所の候補と、ある程度その地域の情報は仕入れておくべきだと思います。
終わりに…
いかがでしたでしょうか。
DV被害に遭われている方の中には、いわゆる経済的DVも受けていて働けなかったり、お金を全て管理され、逃げるための資金がなかったりして離婚自体を諦めてしまっている方もいるかと思います。
でも決して諦めず、各支援センターなどに相談してみてください。離婚に向けて役立つ的確なアドバイスが貰えるはずです。
また、残念ながらDVによる暴力は治りませんし、傷害罪という立派な犯罪です。
かつては愛していた人なので、情で暴力がいつかおさまるのでは…という期待を持ってしまうことも痛いくらい分かります。
しかし自分や子供がDV夫と長く暮らせば暮らすほど、より暴力がエスカレートする危険が高まるのが現実です。
何よりも自分や子供の身の安全を一番に考え、今から動き出す準備を始めましょう。
実録!DV夫との調停離婚の費用はたったの6000円だった
DVに長い間耐え続け、ついに離婚を決意した時。
相手がDV夫の場合は、協議で円満離婚できる可能性なんてほとんどないですよね。
となると、最初に考えられる方法は、調停離婚かと思います。
私も付き合い始めから数えて7年間に渡るDV夫との生活を、調停離婚によって終わらせました。
はっきり言って離婚は心身共に疲弊します。
よく結婚の100倍大変といったことを耳にしますが、本当にその通りだと思います。
しかし、乗り越えた先には必ずDVから解放された自由が待っているんです。
私は調停離婚をしたことで、自分たちの今までの生活が間違いであったとより一層確信でき、離婚に対して1ミリも後悔はしていません。
今日は私が実際に行った調停離婚の体験を踏まえ、調停離婚とは何なのか、どれくらいの費用が掛かるのか…についてお話したいと思います。
調停離婚とは
離婚調停とは、家庭裁判所で行われる夫婦関係調整調停(夫婦間に第三者である調停委員が仲介役として入り、両者の関係を調整するもの)のひとつで申立人が離婚を求めているものです。離婚時の話し合いにおいて、中立な立場である調停委員の関与の下、夫婦が話し合いをしていく場です。
出典:best-legal.jp
私たちの場合は、私が申立人となり家庭裁判所に申請をしました。
私は最初から弁護士をつけなくてはならないのかと、金銭面で不安になっていましたが、第三者である調停員が双方の話を整理し、話を進めてくれるので必ずつけなくてはいけないという訳ではありません。
ただし弁護士を付けた場合、高いお金を払ってまで離婚をしたい強い意志があるのかという心証を受けるので、いくら中立の立場とは言え調停員からの印象は違ってくることもあるようです。
私は弁護士を付けずに離婚調停をし、期間は1ヶ月に1度。6回目の調停で無事離婚が成立しました。
ちなみに調停は半年から長くて1年くらいかかる場合もあるそうですが、大抵は話し合いが平行線でこれ以上は無意味だと判断された場合、途中で不成立となり調停は終了となるそうです。
私も子供の親権についてなかなか決着がつかず、調停員の方から
「あと1回で決まらなかったら、不成立にして離婚訴訟起こし、裁判することを考えてみては?」
と言われかなり焦りましたが、なんとか最後の1回で慰謝料・養育費の請求は一切しないことを条件に親権は私が取り、離婚が成立しました。
経済的DVでもあった元夫は、親権が欲しかったわけではなく、私に1円も払いたくなかったことから親権を主張しただけでした。本当に最悪です。
調停離婚にかかる費用
申し立て手数料
まず調停離婚を申し立てるにあたり、「夫婦関係事件調停申立書」という書面を、裁判所のHPよりダウンロードします。
この書面と、申し立て手数料として収入印紙1,200円分を郵便局やコンビニなどで購入し、一緒に納めます。
大きい裁判所ですと裁判所内で売っていることもあるようですが、原則として離婚調停は、相手側の居住地の最寄りの家庭裁判所で行わなくてはならないため、事前に購入して持って行った方がいいと思います。
ちなみにこの調停申立書ですが、調停員が二人の状況を知る最初の手がかりになりますので、あまり相手を貶める言い回しはせず、でも自分が苦しんできたDVの被害を正直にアピールして書くといいと思います。
ですので、記入は慎重に丁寧に行いましょう。
予納郵券
郵券とは切手のことです。申し立てた家庭裁判所から相手側に対して書類を送るための切手代を、申立人が負担しなくてはいけません。
私の場合800円分でしたが、裁判所ごとに多少違うそうなので、申し立てる裁判所に問い合わせてみて下さい。
…相手のために800円ですら払うのは惜しいですが、これで離婚に前進できるのだと思えば破格のように感じますよね。
必要書類
本籍のある役所から戸籍謄本450円を取得します。
本籍地が遠い場合、郵送で取り寄せることになるので、別途切手代などもかかってきます。
また、住民票200円(市区町村によって異なるみたいです)も必要です。
その他
コピーや現像代など
DVによる離婚調停には、DVの証拠を調停員に見せることが重要になります。
普段手帳などに日記を書いている人はそれが十分な証拠になりますし、後から思い出して書いたものでも大丈夫だそうです。
私の場合は「この時何があって何をされた」「この日にあの事件が起こった」などを時系列にまとめたレポートを作成しました。
それを自分用、調停員用、自宅保管用など複数枚ずつコピー。
それからメモリーカードに残してあった痣や、壁にあいた穴の画像など、暴力の証拠になるものを何枚か現像しました。
また、当時の私は無知だったので用意できませんでしたが、DVを受けた時に病院へ行き、診断書を貰っておくのが何よりの証拠になるようです。
そうなると、受診料や診断書を発行する際の費用などもかかってきますね。
その他に調停記録をコピーすることがあるのでそのコピー代、裁判所に書面を提出する際の郵便代なども負担しました。
交通費
先ほどもお話したように、離婚調停を行う家庭裁判所は、相手側の居住地の近くになります。
DV被害者の調停離婚の場合、相手からの報復を避けるため、ほとんどが別居してから行うのではないでしょうか。
DV夫は怒らせたら何をするかわかりませんから、自分の身を守るためにも絶対に別居をオススメします。
実際私は、調停員には絶対に鉢合うことのないように、来所・退所時間をずらし、別室で待機させてもらうよう徹底してもらっていました。
ですから2県先の実家近くのアパートから車で毎月通っていた私は、ガソリン代などの交通費がその他にかかりました。
これが調停離婚において私には一番大きい出費だったかと思います。
離婚調停成立時にかかる費用
離婚届を提出する際に、必要となる「調停調書謄本」を取得します。
1枚あたり150円をこちらも収入印紙で納めます。
私はしませんでしたが、年金分割手続きも行う方はもう1枚必要になるようです。
それから調停調書の正本が必要な場合(双方で合意した慰謝料や養育費などの支払いがなされなかった時など)その郵送代は1000円強かかるようですが、こちらも私は慰謝料も養育費も貰わなかったので必要ありませんでした。
最後に…
これらを合わせて、私が調停離婚にかかった費用は交通費を入れても6,000~7,000円ほどしか、かかりませんでした。もっとかかるものだと思っていたので、金額面ではとても安心しました。
ただ離婚調停で決着がつかず、離婚裁判に進んだ場合、そこではたくさんの費用が必要になってしまうかと思います。
…1度は心を通わせ、愛していた人とのたった1枚の離婚届を書くために、毎月裁判所という慣れない場所で忘れてしまいたい過去を話すのは本当に辛く、帰りの車の中では毎回泣いていました。
また、調停員がたまに元夫を擁護するような発言をすると、私の味方はどこにもいないのではないかと孤独感と焦燥感でいっぱいになりました。
弁護士をつけるメリットの一つとしては、そういった部分をカバーしてくれるところにもあるかもしれませんね。
私はトータル7年の元夫との生活の中で、離婚を決意したのは最後の数か月になってからです。それまでは、いつか改心してくれるのではないかと、心の中でいつも期待していたのだと思います。
最後に現在、DV被害に悩み毎日苦しんでいる方へ。
これは当時調停員に言われたことですが、DV夫が口先だけでなく本当に改心した例は彼の知る所1例もないそうです。
多くの方がDVから解放される1歩を踏み出せますように。
1年半生活費がもらえなかった!生活費を巡った私の離婚調停体験談
「嫌いになった」愛していた夫からの突然の言葉。ここから約2年の別居生活がスタートし離婚。
今回の記事は私が体験した、「1年半生活費がもらえなかった生活費を巡った離婚調停体験談」になります。
離婚の経緯「嫌いになったから離婚して欲しいと言われた私」
それは突然の宣言だった
17年ほど前、私は以前の夫から「嫌いになった」と宣言されました。「嫌いになったから離婚を考えている」と突然言われて頭の中が真っ白になったのをよく覚えています。
とにかく、とにかくその時はショックでした。
この人は何を言っているのか?私は棄てられてしまうのか?こんなの嘘だ等々、頭の中で考えながら私はつい言ってしまったのです。
「あまりにショックで一緒にいられない。アパートから出て行って欲しい」と。
混乱して自分の口から出たのがそのフレーズだったのです。別居生活のスタートです。
別居後1年半で生活費を入れなくなった夫
別居後一年半を経過した頃から夫は生活費を入れてくれなくなりました。
私には慢性的な持病があり、パートでアパートの家賃をギリギリ払える程度のお給料しか当時は稼げませんでした。
それで、夫からの生活費が入って来なくなり、自分の診療費も出なくなって死活問題になったのです。
別居中なのを知っている親からお金を工面してもらったりしていましたが、限界があります。
弁護士に勧められた調停申立
そこで、別居生活3年目に入った頃、知り合いの紹介で思い切って弁護士さんに相談に行きました。
そこで勧められたのが、調停を申立てるということだったのです。
調停を申立てる場合、当時は相手が住んでいる地域の管轄家裁=家庭裁判所に出向き申立てることが法律で定められていました。(今は法律が改定されています)
夫は隣りの市に移り住んでいて、たまたま家裁の管轄が同じだったので遠くまで行かずに済んでそのことは助かったのを覚えています。
調停申立の準備と家庭裁判所への申立
別居中の生活費の請求は「婚姻費用の分担請求調停の申立て」と言い、申立てに際して事前に必要な書類があります。
【必要だった書類】
①婚姻費用の分担請求調停の申立書
②夫婦の戸籍謄本
③申立人(私)の収入関係の資料(源泉徴収票、確定申告書、給与明細等)
④(もし持っていれば)相手方の収入関係の書類
申立書はどこの家庭裁判所でも無料で配布してくれますし、今ではインターネットからダウンロードすることも出来ます。
かかった費用は手続き上必要な収入印紙代1800円と相手側に書類を送るのに必要な切手代800円の計2000円。
意外と安く済むんだなと思ったのを覚えています。
調停日の通知「呼び出し状」
第一回目の調停日の通知は申立て日から2週間くらい後に「呼び出し状」という名目で送られてきました。
当然、夫にも届けられています。
夫の住まいの住所はわからなかったので、会社の住所を通知先にしたように記憶しています。
調停日には呼び出し状に書いてある時間までに家裁まで出向きます。そして、待合室で呼び出しを待ちます。
待合室では他の調停を待っている人と鉢合わせたこともありましたが、夫とは会わないようになっていました。
調停のときは全てを正直に話すこと
第一回目のときに、男女1名ずつの担当の調停委員さんがこれからの調停の流れを説明してくれて、まずは申立人の私から申立てた経緯を説明しました。
質問に対しては事実を答えるように言われたので、全てを正直に話しました。
自分の気持ちも含めて、です。
30分くらいで退室を促されて待合室に戻り再び待機します。
待機している間に夫が調停室に呼び出されて、かわりばんこに調停委員さんから相手の主張を聞かされ、自分の主張を述べることが続きます。
夫側からも離婚調停を申し立てられた
第一回調停日の調停室に呼び戻された二度目の時、私はまた愕然とする事実を突きつけられました。
私が婚姻費用の分担請求調停を申立てたと知るや否や、「夫側も離婚調停を申立てて来ていた」と調停委員さんからそう言われたのです。
それを聞いた時、あまりにも展開が意外過ぎてまた頭がおかしくなりそうでした。
夫の本性がようやく分かった
その事実を聞いた時、私はようやく気づいたのです。夫はつくづく酷い男だったのだと。そして、私と本気で離婚したいと思っているのだなと。
実はその当時、私は今の主人と知り合っていて色々と相談していたので、調停終了後に泣きながらその事実を報告しました。
そして、離婚するにしろしないにしろ、このまま言うことを聞いて終わる訳にはいかないと決めたのです。
1年半貰えなかった生活費は請求できなかった
婚姻費用の分担請求でもらえるお金(別居中でも支払われるべきだった費用など)は、申立てて請求した日からなので、1年半もらえなかった生活費分は請求できないというのも調停中に知りました。
何だか踏んだり蹴ったりだなと感じましたが、私の調停が通れば離婚する時までは生活費はもらえることになるし、離婚には応じないと言い続けようと改めて心に決めました。
3回目の調停でバカ男の要求を呑み10万円で離婚
調停の間隔は大体月に一度でした。
間にお盆が入ったので夏場だけ二ヶ月空きましたが、その間に今の主人と親しくなり生活もかなり助けてもらっていました。
三回目の調停の前に、今の主人からその当時の奥さんとの離婚が成立したと報告を受けました。私は別居していたとはいえ、W不倫をしていたのです。
その是非はさておき、これでこの調停を終わらせることができると安堵したのを覚えています。
別にすぐに誰かと結婚したいとは考えていませんでした。
それよりも何より、調停中というこの状況とバカ男から解放されたいという想いが強くなり、最終的にはバカ男の要求を呑み10万円で離婚することで合意したのです。
10万円は余りにも安すぎるとは思いましたが、バカ男の稼ぎがそれくらいしかないのは私が一番よく知っていたし、そこからまた粘ったところで10万が100万になるはずもないので合意したのです。
そして、私が申立てた調停は取り下げという形で終わりました。
合意が決まると調停成立ということになり、その日のうちに裁判官が夫婦二人を前にして調停調書というのを読み上げます。
そこで久しぶりに別居中の夫婦が顔を合わせるわけですが、その時のバカ男は自分の思い通りになってすっきりしたような顔をしているように見えて怒りがこみ上げてきたのを覚えています。
私はこんな男に惚れていたんだと自分に対しても腹が立ちました。
離婚調停成立後の流れ
離婚調停後は、10日間のうちに離婚届を出さなければいけないという決まりがあります。
夫婦二人と証人二名の署名捺印は必要ありませんが、調停調書謄本というのを提出しなければなりません。
当然、離婚の手続きはバカ男がしたのですが、その後に戸籍謄本を確認したら「調停離婚」と離婚の種類みたいな記載がされていて気分が落ち込んだのを覚えています。
話が前後しますが、調停が成立すると申立人とその相手に調停調書というのが送られてきます。調停の内容と経緯が記載されていて読み直して事実と違うことが書かれていたら訂正してもらうことも出来ます。
離婚してわかったこと「離婚は結婚よりもずっと大変」
よく世間で、離婚することは結婚することよりずっと大変だという話が出ますが、本当にその通りでした。
私はその後、調停中から助けてもらっていた今の主人と結婚をして子供も授かり17年前のあの日から想像もつかないくらい幸せな日々を送っています。
そして、夫婦という立場でも他人だという事を忘れずに、気を許しすぎてはいけないという事も離婚を通じて学びました。
前夫のバカ男には微塵の感謝もありません。生涯を通して、唯一私が不幸になれと願っている人間です。
離婚検討者へ!ギャンブルで借金200万夫と協議離婚した私のメッセージ
ギャンブルにハマってしまってやめられない人って意外と多いですよね。私の元夫もそうでした。
そわそわしたり、やたら優しかったりして「なんだか様子がおかしい」と思い、こっそりお財布をのぞいたところ、ビックリするような大金と大量のキャッシングのレシートが…。総額なんと200万!
キャッシングの履歴をたどっていくと、1週間に30万も使い果たしているときも…。そう、夫は完全に重度のギャンブル依存だったのです…
夫の借金、妻にも返済義務はあるの?
もうこれ以上、私や子供に迷惑をかけられたくないと離婚を決意しましたが、やはり心配なのはお金のこと。
夫婦なので婚姻中にどちらかが勝手に作った借金も、2人の借金として返済しなければならないのか、それが本当に心配でした。
もしかしたら、これを読んでるあなたも同じように悩んでいるのでは?安心してください!
一切払う必要はありません!
ただし、夫のみが使ったというところがポイントです。たとえば同じ負債でも、住宅ローンや生活費として使った場合は妻にも返済義務がありますので要注意です。
夫の名義で、趣味やギャンブルなど夫のみが使った借金の場合、妻にはなんの返済義務もないのです。
夫が勝手にギャンブルで作った借金なんて、絶対払いたくないですよね。むしろ払わなくて当然なのです。
財産分与はどうなるの?私が出した2つの条件
離婚する際に、最も揉めるといっても過言ではない「財産分与」借金があるとさらに揉めます。
私も、向こうの義実家の人たちも巻き込んで揉めに揉めました…。
基本的には、婚姻中に夫婦で築き上げた財産は離婚するときに折半になります。
借金がない場合はそれでいいですが、勝手にギャンブルにハマって200万も借金を作った夫に、節約してコツコツ貯めた貯蓄を半分も持って行かれるなんて、絶対にイヤでした。
当時はパートで働いていて、経済的にもなるべく貯蓄は手もとに残しておきたかったのです。
といっても、向こうも一文無しでは離婚に応じないでしょうから、条件を2つ出しました。
私が出した2つの条件が通り無事離婚へ
条件1、慰謝料と相殺して、貯蓄のすべてをもらうこと
条件2、夫の給料日に離婚し、その給料はすべて夫のものとすること
つまり、慰謝料をもらわない代わりに貯蓄をすべてもらい、離婚後の夫の生活費はすぐに使えるように給料日に離婚しましょうということです。
どうせ慰謝料を請求しても払わないでしょうし、夫は結婚前からほとんど貯蓄していませんでしたから、とりあえず生活できればいいタイプ。
そういった夫の性格もよくわかっていましたから、財産分与で揉めた際にこちらからこの条件を切り出したところ、私の予想通りに夫もこの条件で納得して無事に離婚することができました。
離婚協議書は必ず作っておきましょう!そのメリットと必ず入れるべき文言
私の離婚は、双方の話し合いで離婚するいわゆる協議離婚です。いってしまえば、さっきの条件はただの口約束に過ぎません。ですので、離婚後に夫が「やっぱり貯蓄の半分よこせ!」といってくる可能性も十分にあり得ます。
せっかく離婚したのに、そんなことになっては、もう面倒くさすぎますよね。なので離婚協議書は必ずつくっておくことをオススメします。
「なんだか難しそう…」と思うかもしれませんが、ネットで調べればサンプルがたくさん出てきますから、全然難しくありませんでした。(例えば「離婚協議書の雛形と文例の見本」など)
ただし、慰謝料や養育費を絶対にもらいたい場合は公正証書にする必要があるので、少し時間とお金がかかります。(公正証書とは、養育費や慰謝料の支払いがされなかった場合、給料等から差し押さえることができる証拠のようなものです。)
私の場合は、慰謝料は財産分与としてもらいますし、借金の返済もあって養育費はほとんどあてにならないだろうと思っていたので公正証書にはしませんでした。
それに、公正証書にするには代理人を立てることもできますが基本的に2人で公正役場まで行かなくてはいけません。お互いに険悪な状態でいつ行くかなど予定を立てることすらできそうにありませんでした。
そんなこんなで、なかなか離婚できないでいるうちにまたどんどん借金が増えていくかもしれないと思うと、とても怖かったですし、なにより早く離婚したかったので、公正証書にはしませんでした。
じゃあ、公正証書にしない離婚協議書に何の意味があるの?と思われるかもしれませんが、個人が作成した離婚協議書も強制執行する力はなくても、「こういった約束したという証拠になる」というメリットがあります。簡単に作れますから作っておいて損はないでしょう。
離婚協議書の最後に必ず「本書に定めた以外には、お互いに相手方に対して、なんらの請求をしないこと」という文言を入れましょう。お互いに後から文句言わないという約束になります。
ギャンブル、借金のみで離婚していいのか?「ギャンブルは一種の依存症、簡単に治らない未来は暗い」
暴力もなく、浮気もなく、ただ借金を作っただけで離婚していいのか?
ギャンブル癖が治れば、子供にとってはいい父親なのかも…と離婚を踏みとどまっている方もいるかもしれません。私も正直迷いました。
でも、ギャンブルというのは一種の依存症です。治そうと思っても、なかなか難しいものです。一時はやめられるかもしれませんが、いつか何かのきっかけでまたやりたくなる可能性も高いです。私は「もうやらない」と言われても、もう一度夫を信じられる気がしませんでした。
それに、いつもお金を取られるかビクビクして生活するなんてまっぴらごめんです。実際、離婚してイライラすることもなくなりましたし、なんとか経済的にもやっていけていて毎日が幸せです。
どんな理由で離婚するかは人それぞれですが、私は離婚して本当に良かったです。
離婚後の生活はやっていける?「母子手当」の手続きをまずはしよう!
私が離婚したのは、子供がまだ8ヶ月のときです。育休明けて、職場復帰したばかりで経済的にもあまり余裕はありませんでした。
そこで離婚を決意してからすぐに向かったのは市役所です。なぜかというと母子手当(児童扶養手当)がいくら貰えるのか聞くためです。
母子手当(児童扶養手当)とは、離婚などで父母のどちらか一方からしか養育を受けられないひとり親家庭などの児童のために受けられる手当です。
子供1人の場合、最大で42,290円の手当が受けられます。子供が2人の場合は最大で52,280円です。かなり大きい金額ですよね。
ほかにも医療費助成があったり、子供を保育園に預けるための保育料などは世帯収入で計算されるため、離婚すれば必然的に安くなりますし、ひとり親家庭を支援する制度はたくさんあります。
借金夫と多額の借金を返しながら生活するのと、離婚していろいろな制度を活用して生活するのを具体的な金額を計算して比べてみたところ、さほど差はありませんでした。むしろ離婚したほうがまだマシでした(^^;)それほど借金の返済額が大きかったのでしょうね…。
一度、全ての借金返済額と離婚した場合に受け取れる手当を書き出しみるといいかもしれません。
受け取れる手当の金額を市役所の人に聞くのはなんだか勇気が出ない…という方も、とても丁寧に教えてくださいましたので大丈夫です。「児童扶養手当について聞きたいんですけど…」と勇気を出して聞いてみましょう。
注意点としては、前年度の収入と扶養人数で手当の金額を計算するので、前年度の収入が高かったり、前年度にはまだ子供が産まれていなかった場合は受け取れる金額が少なくなります。該当する方はその点も含めて市役所の人に聞いておきましょう。
DV&モラハラ夫との壮絶結婚生活を告白!エスカレートしていくDV…そして調停離婚。
DV&モラハラ夫との壮絶結婚生活を告白します!
10数年前から、ツンデレやドSなキャラの男性との恋愛映画や漫画が、女性の多くに愛されるようになりました。
当時高校生だった私もその一人で、そういった性格の男性。
昔ながらの言い方をすると「亭主関白」な男性に憧れ、恋愛や結婚をし、一生ついて行きたいと思っていました。
そして数年後、20歳の時に友人の紹介で14歳年上の男性と知り合います。
全てはここから始まりました。私の壮絶な7年間をこれからお話します。
徐々に感じる不安
程なくして、その男性(以後・元夫)と意気投合し、付き合うことになります。
14歳も年上で頼りになるし、ちょっと口は悪いけれど優しく引っ張って行ってくれる「亭主関白」タイプ。
まさに理想の男性に巡り会えた…そう思っていました。
お互いお酒が好きで、会うと必ず一緒に飲んでいました。
お酒が入りすぎるとちょっと気が大きくなるのか、お店で飲むと店員さんへの口調が乱暴になったり、友人にも突然キレて喧嘩腰になったり…。
でも私が制止すると収まりましたし、その矛先が私に向くことはなかったので、まあ仕方がないくらいに考えていました。
初めて私に攻撃的な面を見せたのは、一緒にいる時に私の男友達からメールが届いたのを見られた時です。
浮気を疑われ、否定するとその場で私の携帯電話を奪い取り、その友達に電話をかけました。相手がなんと答えたかわかりませんが、元夫は一方的に怒鳴り散らしていました。
電話が終わると、その場で私のメモリにある男性の名前を全て消去させられました。
とても恐怖でしたが、その頃は彼が大好きでしたし、これは嫉妬からくることだからと素直に応じました。
そして、消去が終わった後はいつもの優しい態度に戻ったのです。
しかし、これをきっかけに徐々に行為がエスカレートしていきます。
DV・モラハラの日々
付き合って一年、私は妊娠しました。
元夫からは以前に結婚を匂わせるような話もされていたので、喜んでくれると思ったのですが、話した途端表情を曇らせました。
理由は、「今結婚するのは、俺の考えていた時期と違う!!時期がきたら結婚するから堕ろそう!!」
…その後、色々ありましたが、無事結婚が決まり、これからの明るく幸せな生活を送っていこう、という希望しかありませんでした。。
妊娠から出産
妊娠を機に、私は力仕事の多かった職場を退職。
車がないと不便な町にアパートを借りることになったので、元夫から運転免許を取れと言われ僅かな貯金は教習所代に消えました。
次に、自分だけ働いて私が家にいることが許せないらしく、教習所に通うのと並行して働くようにと強要されます。
妊婦を雇ってくれるところなんてないと言うと、数日後、スナックの求人を持ってきてここに電話しろと。
以前は男性と連絡を取ることすら嫌がっていたのに…。それ以上に自分だけが働いて犠牲になることが許せなかったようです。
…こうしてお腹が目立つまでの数か月間、私は昼間は教習所、夜はスナックで働きました。
寝不足の毎日に、夜はタバコの煙の中でたまにお酒も強要されます。辛かったですが、これから生まれてくる我が子と元夫との幸せな生活を守るため、必死でした。
お腹が大きくなり、ずっと家にいるようになると、元夫は私に頻繁に暴言を吐くようになりました。
主に深くお酒が入った時。子供の性別は女の子が良かった彼は、
「女じゃなかったら育てないからな。」
「妊婦だからって甘えるな。嫌なら堕ろせ。」
「このデブ!働け!!」
など、出産間近には初めて手をあげられ髪を引っ張り、引きずられました。
その反面、日中の機嫌のいい時は料理を作ってくれたり、ベビーグッズを二人で楽しみながら購入したりするのです。
この楽しい時間の方が圧倒的に長かったので、当時別れることは一切考えていませんでした。
子どもが生まれたら私も働けて、怒らなくなってくれると信じていたのです。
洗脳された結婚生活
冬の寒い朝、私は彼立ち合いのもと元気な女の子を出産しました。
娘のことは溺愛し、見たこともないような笑顔で喜んでくれたのでとても安堵したことを覚えています。しかし....
1か月の里帰りを経て我が家に帰宅。何事もなくただ笑って暮らせていたのは、ほんと数週間でした。
家で家事と育児をしている私が、外で働きもせずのんびりした生活をしているように映ったのでしょう。
「誰の金で生活できると思ってるんだ。」
「家政婦は家政婦らしく働け!!」
など、まるでドラマのワンシーンかのような典型的なモラハラ夫のセリフを浴びせられ始めました。
暴言はしょっちゅうでしたが、暴力も最初は2、3か月に1度から徐々に1ヶ月に1度、数週間に1度と頻度を増していきました。
「俺は子供は養うが、お前を養う義務はない!携帯代や自分の使った分の光熱費は自分で払え」
と、今度は内職の求人を持ってきて、子供が保育園にあがるまで内職をさせられました。
家事の合間や睡眠時間を削って1日10時間以上費やしても、2万円ほどの収入でしたが、
「これでも足りない分は俺が払ってやってるんだ。俺がいないと、お前は何も出来ない奴なんだ。」
と言われ、今考えると本当に不思議なのですが、当時の私はその通りだと思い言いなりになっていました。一種の洗脳状態だったのかもしれません。
別居へ
娘が保育園に上がると、私は日中パートに出ました。これでお金のことで文句を言われなくなる…。
そう安心していたのも束の間、今度は家事の面で文句を言われるようになりました。
元夫の仕事は必ず定時で終わり、職場も近かったため17時すぎには帰宅します。私は17時にパートが終わり、娘のお迎えと買い物を済ませてから帰宅するので、私が帰る頃には、もうお酒がすすんでいるのです。
夕飯を出すのが遅くなったり、家事をしながら話を聞いていて相槌がおろそかになったりすると、娘の前でも平気で怒鳴りつけ、この頃にはもう暴力も数日に1回のようになっていたので、蹴られ髪を引きずられる日々…。
娘はこの光景を見るたびに号泣していました。
元夫は暴力を奮う際、よくこんなことを言っていました。
「顔や腕に傷をつくると周りにバレるし恥ずかしいだろ。だからケツや腹を蹴ってやってんだよ。」
自分のDVが止められなくなって、いよいよ周りに発覚してしまうことを恐れたのかもしれません。
そんな毎日の中にもまだ、一家で笑い合う時間がたくさんありました。これが離婚に踏み切れない大きな理由です。
けれど仕事のストレスや精神的に追い詰められ、もう毎日死を考えてしまうほど精神状態はボロボロになっていました。
…そして転機は突然訪れました。
ある夜、洗濯物をたたんでいる時に仕事の同僚から相談の電話が来ました。元夫は隣でお酒を飲んでいましたが、話が長くなるにつれ機嫌がだんだん悪くなっていきます。
20分くらいでしょうか。そろそろ切り上げないと危ない…そう思った矢先、彼は私の手から携帯を取り上げたのです。
しまった!!と思いましたが、もう手遅れ。「お前と違ってうちはそんな暇じゃねーんだよ。ふざけんな!!」
そのまま電話相手の女性を怒鳴りつけ、罵倒し私の携帯電話を真っ二つに折りました。
頭の中で何かがぷつんと音を立てて切れた、という表現を良く聞きますが、まさにそう。そこですうーっと頭の中がクリアで冷静になりました。
今まで私だけが我慢すれば全てうまくいくものと思っていたけれど、周りに被害が及んだことでそうではなかったことが分かったこと。
また、人に自分の夫がそういう人なんだと知ってもらえたことで、彼女には本当に申し訳ないですが、なんだかほっと安心したこと。
そこからは自分の行動力に自分でもびっくりしますが、元夫が深酒をして熟睡しているその日の深夜に、最低限の荷物を車に運び出し、娘を連れて家を出たのです。
決意の離婚
実家に帰った私は、両親に全てを話しました。両親は泣きながら、話の全てを受け止めてくれました。
不思議なことに自分のことを人に話すと、自分を客観視できるのか話すエピソード全ておかしいことに気づきました。
あんなに自分が悪いんだ。自分さえ頑張れば…と思っていたのに。元夫の言動がどれも異常だとそこで初めて分かったのです。
離婚に向けて動き出しました。顔を合わせての協議離婚はどう考えても不可能でしたので、調停離婚。
それも絶対に鉢合わせることのないよう徹底してもらいました。
最初の調停に、彼は現れませんでした。その日は、この5年間の結婚生活で起きたことを時系列にまとめたレポートを元に調停員に話をし、終わりました。
2回目の調停には現れましたが、話を聞いた調停員から、
「双方の言っていることに食い違いがある。親権は譲らない、むしろ復縁したいと言っている。あなたも今は熱くなっていると思うから、少し冷静にもう一度考え直してみては?」
…愕然としました。
当時私は26歳。社会経験はほとんどありません。一方、14歳も年上の元夫は外面が本当に良く、金銭面で子供1人を育てるのに苦労はしません。
調停員の目には、少し私が話をオーバーにしていると映ったようでした。
先ほど、調停の際には一切鉢合わせることのないよう徹底してもらったと書きました。帰る時間もずらすようにしてくれましたが、駐車場は同じ。
帰りに元夫の車を見つけた時は恐怖で鳥肌が止まりませんでした。
それから数回、私の必死の訴えも空しく話は平行線を辿り、離婚も親権もお互い譲らないまま、次で決まらないようなら裁判へというところまで来ました。
そして最後の調停。私は最後に、とにかく離婚がしたいこと、慰謝料も養育費も一切いらないから親権だけは譲って欲しいことを訴えました。
…するとあっさり離婚に応じたのです。
全ては私に一銭も払いたくなかったことからの発言だったのです。この手のひら返しには調停員もあきれているようでした。
私も親権を譲りたくないということは、それだけ娘を大事に思っていてくれているのかと、少しだけ心が揺らぎそうになったのに…。
やっと終われることと娘のことを思うと、涙が止まりませんでした。
幸せな今
現在私は、理解ある心から信頼できる優しい男性と再婚し、新たに授かった娘と家族4人、血のつながりを超えた幸せな生活を送っています。
あの壮絶な7年間を忘れることはできません。未だにたまに夢に元夫が出てきては私に暴力を奮います。
今、DVで悩んでいる方にこれだけは伝えたいです。
家族でも友達でも、相談窓口でも誰でもどこでもいいから、自分の身に起こっていることを誰かに話してください。
絶対離婚に向けての解決の糸口が見つかります!!