もしかしたら私もモラハラ妻!?モラハラ妻の特徴8つ
身体的な暴力でなく、言葉や態度による心への暴力である、モラルハラスメント。いわゆるDVの一種です。
世間のイメージとしては、夫から妻に対して行われる行為のように思われますが、最近では妻から夫に対するモラハラが数多く発生しています。
そしてモラハラ妻の多くは、自分自身がモラハラ妻であることに気づいていません!
知らず知らずのうちに夫を追い詰め、突然離婚を切り出されることだってあるんです。
私も夫に対し、八つ当たりや我儘を言ってしまう事があるので、モラハラの気があるような気がします。
そこで、今回はモラハラ妻に悩む夫側の話をもとに、モラハラ妻の特徴を集めてみました。
あなたや私はいくつ当てはまるでしょうか?チェックしていきましょう!
☑①何でも夫のせいにする
モラハラ妻は、自分に都合の悪いことやうまくいかないことを、何でも夫のせいにしたがるようです。
「出かける支度が遅くなったのは、あなたがモタモタしているせい」
「夕飯の味付けが濃いのは、あなたが途中で話しかけたから」
夫はこのように言われると反論するどころか、そうなのかな…と罪悪感を感じるようになります。そして次第に夫の心を支配し洗脳していくのです。
…ギクッとしました。
つい先日も、
「あなたがあと10分早く起きてくれたら、〇〇分の電車に間に合ったのに」
と自分の支度がギリギリだったことを棚に上げて、平気で言ってしまっていました。。。
☑②子供の前でも夫を見下し、自分が優位に立つ
モラハラ妻は無意識のうちに自分を優位に立たせようと、夫を蔑みます。
「なんでそんな簡単なこともできないの?」
「汗かいて汚い(臭い)んだから近寄らないでよ!」
このようなことを子供の目の前でも平気で言うので、いつも怒られているパパを子供もいつの間にか見下すようになり、次第に冷たい態度になっていってしまいます。
私は、子供の前では、夫を悪く言わないように気を付けています。見下すことはしていないつもりです。
でもだからと言ってあまり立ててもいないような…あくまで対等です(笑)
☑③自分が全て正しいと思っている
モラハラ妻は、夫よりも絶対的に自分が正しいと思い込んでいます。
つまり、世間の非常識であっても妻が正しいと思っていたら、それが家庭内での常識になってしまうということです。
「常識的に考えたら普通わかるでしょ!」
「そんなの非常識だからやめて!」
自分が常識人であると信じて疑わないモラハラ妻は、すぐに「常識」という言葉を武器のように振りかざし夫を言いくるめるのです。
これも耳が痛い項目です。
家事の苦手な夫にお手伝いを頼む際、細かく説明をしないと、部屋の片づけをする前に掃除機をかけ始めたり、畳んだ洗濯物を種類ごとに重ねて置きません。
でも↑これって世間のではなく、私の家事のルールですよね。
なのに忙しい時などついイライラして「常識的に考えて~」のくだり、私完全に言っちゃってます…。
☑④自分の非を絶対に認めない
モラハラ妻は、①でお話したように、何でも夫のせいにしたがります。
ですから、明らかに自分に非のあることでも絶対に認めませんし、何なら
「だってあなたが〇〇だって言うから!」
「私はこんなに頑張っているんだからこれくらい仕方がないじゃない!」
と何かと言い訳や理由をつけて謝罪を回避します。
どうしても夫に対して素直にごめんねが言えないんです。だって、謝った時点で優位だった立場が逆転してしまいますもんね。
…これに関しては私はセーフ。
前の夫がDV夫だったせいか、今の夫は何をしても滅多に怒らないのに、何でもすぐに謝ってしまうクセがついてしまっているようです(笑)
☑⑤夫に厳しく子供や自分には甘い
モラハラ妻は夫に少ないお小遣いの中でやり繰りさせているくせに、自分では月に何回も友人とランチに出かけたり、高い化粧品を買い、子供に欲しいものをすぐ買い与えるのです。
日中、昼寝する時間すらあったのにも関わらず、仕事から疲れて帰ってきた夫に休む間も与えず、
「私だってこんなに我慢している」
「私の方が大変で辛い」
とアピールし、育児や家事の手伝いをさせるのです。
大変アピールは私してしまっています。
ただ、私は自分が時々友達と自由に遊びに行ったりしやすいように、逆に夫にも飲み会などにもっと積極的に参加し遊んでくるように言っています。
要するに自分に甘く夫にも甘くですね。
無理に遊んで来いというのも一種のモラハラかもしれませんが…。
☑⑥外面が良く内弁慶である
モラハラ妻は、夫に対しては非情な態度を取りますが、外では良い妻、良い母というイメージを持たれる人が多いです。
外でいい子を頑張っている分、夫の前では感情のコントロールが効かなくなってしまうんですよね。
ですから、一緒に外にいる時には何も言われなかったのに、
「何であの時〇〇さんにあんなこと言ったの?」
「ああいうことするのやめて!恥ずかしいから。」
と、帰宅してからいあれやこれや文句を言ったりする人は、モラハラ妻である可能性が高いです。
これは100%当てはまってしまいました。
なんの言い訳も浮かびません(笑)
☑⑦自分を守るための嘘をつく
モラハラ妻は自分が一番だと思っている上に被害者意識がとても強いと言います。
ですから自分が夫に対し、このような態度をとってしまうのも全て夫のせいだと思っているのです。
「夫が私に、いつもこんなことばかりする」
「日常的に夫からモラハラを受けている」
友人やご近所さんにも自分が可哀想、いつも頑張っていると思われたくて真逆の嘘をついたりすることもあります。
女性は噂が大好きな生き物。
ご近所にその噂はあっという間に広がり、あそこの家は夫が酷いという印象を持たれ、夫は肩身の狭い思いをするのです。
…これはセーフでした。
嘘をついてまで夫の悪口を言ったところで、誰一人得をすることはないと思うからです。
それに夫を否定することは、そんな夫を選んだ自分をも否定することになる気がします。
☑⑧自分の実家に依存している
モラハラ妻は、結婚後も自分の実家に入り浸り、自立できていない人が多いと言います。
自分が一番な妻を、無条件で甘やかしてくれる親の存在が近くにあることで、いつまでたっても親離れできませんし、味方が近くにいることでより一層夫に対し、強く出られるのです。
「もうやだ!実家に帰る」
「今日実家で夕飯食べるから、作れないからね」
何かあるとすぐ実家に帰る!と言いますが、愚痴吐きと楽をしに行くだけなので、本当に離婚しようなんてこれっぽっちも思っていないはずですよ。
私も実はたった2駅しか離れていない場所に自分の実家があるので、気を付けないと、あっという間にこうなりかねません。
終わりに…
いかがでしたでしょうか。
8つの項目のうちあなたはいくつ当てはまりましたか?
0個の方がいらっしゃいましたら、私は心から尊敬してしまいます。
実際、私は半分くらい当てはまってしまいましたし、他の項目を見ても今後当てはまってしまう可能性が十分にあると思い、内心焦っています!
そして驚くべきことは、やはり私もこのように指摘されるまで、全て無意識で行っており、まさか自分がモラハラ妻の要素があるなんて思ってもいなかったことです。
今気付けたことで、今後は言動に気を付けていこうと思っていますが、既に知らず知らずのうちに夫を傷つけ追い込んでいたのかもしれませんね。
とりあえず、今夜夫が帰ってきたら謝ります(笑)
モラハラは冒頭でお伝えしたように、立派なDV行為です。
男なんだからこれくらい言っても大丈夫なんてことはなく、このまま続けていれば、いつ離婚を切り出されてもおかしくありませんよ。
これはキツかった…モラハラ夫から言われた辛い言葉7つ
モラルハラスメント…通称モラハラ。
言葉での暴力・精神的なDVとして、ここ数年急速に世の中に浸透していっています。
モラハラの怖いところは、最初は心に小さな傷がついても自分ではそのダメージに気づきにくく、言われ続けることで慣れが生じてしまうことです。
その目に見えない心の小さい傷はどんどん広がっていき、気づいた時にはかなり精神を蝕まれています。
「自分がもっとちゃんとしていれば…。」
「私はとても駄目な人間なんだ…。」
と、知らず知らずのうちにマインドコントロールされていきます。マイナスな感情に支配されて、相手と戦う気力も喪失してしまうのです。
私は20代の半分以上をモラハラ夫と過ごし、耐える日々を過ごしていました。離婚してもう6、7年経ちますが今はとても幸せで、自分ではすっかり表面上は立ち直っています。
しかしそれでも未だに元夫がたまに夢に出てきては、当時と同じように私を罵るのです。
特別カウンセリングなどを受けたわけではありませんが、悪夢から覚めた後に心の傷はやっぱり完全にはまだ癒えていないのだと実感します。
これから私が体験した夫からの数々のモラハラ発言の中で、今でも忘れることのできない辛かった言葉を7つお話したいと思います。
それとともにどういう心理から発した言葉なのかも、自分なりに考えてみました。それは離婚した今だからこそできることです。
同じくモラハラの被害に遭っている方が共感し、少しでも戦う力を取り戻せたら…。モラハラ被害に気づいていない方が、自分のパートナーがモラハラ夫なことに気づくきっかけになってくれたら…と思います。
その1.「お前みたいなやつが、他の誰からも相手にされるはずないだろ」
モラハラが始まるきっかけになった出来事。
もともと束縛の激しかった元夫と結婚する前、一緒にいる時に私の携帯電話に男友達からメールが来ました。
夫と知り合う前からの本当にただの友人だったのですが、やり取りを見られ勝手に浮気を疑われてこの言葉を吐かれました。
この言葉を訳すと
「調子に乗るな。俺が付き合ってやっているんだからありがたいと思え。」
という意味でしょう。
このように勝手に嫉妬して、私を精神的に支配するため「お前みたいな奴」とこれをきっかけに私をさげすみ始めました
脅さなければ安心できないくらい、愛されている自信がない人だったのでしょう。
その2.「絶対俺の子じゃないだろ?!」
あまり結婚自体にも乗り気じゃなかった元夫。
妊娠が発覚し、ドキドキしながら報告した時の第一声がこれでした。ろくな避妊もしなかった癖に、一体何の自信があるのか…。
これは私にも大きな責任がありますが、元夫は14歳も年上でしたので若かった私は、順序が逆になっても大丈夫だと思っているところがありました。
それくらい2人でいる時は包容力があって、頼もしいと思っていたのに…
手の平を返したような態度に、絶対に彼以外あり得ないのに、こんな風に思われていたのか?!と、非常にショックを受けました。
今思えば分かります。おそらく自分のせいで大きく今後の事態が変わってしまうことが怖かったのでしょう。
誰でもいいからその責任を押しつけたかったのでしょうね。
その3.「子供が男だったら捨てるよ。俺は女の子以外育てないからな!!」
なんとか結婚が決まり、新しい生活がスタートしました。
母子手帳や、育児雑誌などを見て浮かれていた私が、元夫は気に入らなかったのでしょうか。
ある時、何でもないようなテンションであっけらかんと、こう言ったのです。
「女の子以外認めない」と…。
少し抵抗したら、それが嫌なら堕ろせとまで言われました。
私は当時まだ元夫を心から愛していたので、とにかく彼の子供を授かれたことが嬉しかったのに…。
こんな発言が彼の心の何処から出るのだろうと、ショックと共にとても傷つきました。
それから出産までの検診は、つわりとは違う吐き気をもよおすくらい、毎回とても憂鬱だったのを覚えています。
この家族の行く先を全て牛耳るのは自分だと主張したかったのでしょうか。
それにまだ現実を受け止められなかったのかもしれません。
そして一応結果ですが、私の願いがちゃんと届いたのか無事女の子を出産。私のもとに生まれてきてくれたことを今でも本当に感謝しています。
その4.「豚!!デブ!!」
容姿に対する暴言は、自分自身の存在を全否定されたように感じます。
これは妊娠中からずっと言われていたことです。
しかし当初は、確かに妊娠中10キロ以上太ってしまったので、文句は言えないと思っていました。
明るくいこうとノリ良く返すと「豚」に「ちゃん」がついたりしたので、これならまだ…と自分で自分をフォローしていました。
ただ妊娠中は情緒が不安定になるのか、嫌われたくない一心から気にしすぎてご飯が食べられなくなったり、便秘の為に処方された下剤を倍の量飲んだり、お腹の子に対して非常に良くない行動をしてしまっていました。
元夫の場合は容姿をけなすことで、私の自信やプライドを破壊して、より服従させていたのだと思います。
その5.「妊婦だからって甘えるな。水商売でもして出産費用くらい自分で稼げ!」
私は妊娠を機に、力仕事が多かった職場を辞めざるを得なくなりました。
今まで自分のお金を好きに遣い続けてきた元夫は、私との生活の為に今までのように遣えるお金が減ってしまうことを、最後までとても嫌がりました。
けれど妊婦がいくら就職活動しても雇ってくれる会社はありません。そしてある日、元夫はスナックの求人を持って来てここで働くように言ったのです。
結局お腹の大きさを隠し切れなくなるまで、煙草の煙の充満した狭い空間で、断っているのにお酒を強要されながら働きました。
今思えばと本っ当に最低な行為で、書いている今もものすごく悔しい思いが込み上げてきますが、当時の私はこれを乗り越えて3人で幸せに暮らすことを夢見ていたので、耐えてしまっていました。
この経済的な暴力タイプのモラハラも離婚寸前まで続けられました。最終的には携帯代や美容・洋服代はもちろん、私にかかる光熱費や食費まで、少ないパート代から出させられたのです。
それにより友達と遊びに行くお金も、なかなか捻出できなかったので、今思えば束縛する意味でもこのような方法を取られたのかもしれません。
その6.「お前は家政婦以下だ!!」
1ヶ月の里帰り出産を経て、3人での生活をスタートさせた私たち。
当然すぐには外で働けないので、私がずっと家にいるのが気に入らないのか毎日のようにモラハラをされていました。
「主婦は暇でいいよな。」
「家政婦は家政婦らしく、黙って俺の言う事だけを聞け!!」
夜間の授乳と夜泣きで睡眠不足が続き、うっかり日中うとうとしているのがバレようものなら、「家政婦以下だ!!」と怒鳴りつけられました。
元夫は常に自分だけが働いて苦労している。自分だけが損しているという風に思っていたのだと思います。
その7.まとめ「俺にこんなことを言わせるお前が全て悪いんだ!!」
私が今まで言われてきた暴言だけに限らず、世の中全てのモラハラ男の言動の着地点は、ここであると思っています。
高圧的で、プライドが高く、一見強い人のように感じます。でも実は被害者意識が強く、そのくせ自己中心的で傷つきたくない一心から虚勢を張っているだけなのです。
離婚する少し前に1度、元夫がこの言葉を私に浴びせながら大粒の涙を流していたのを見たことがあります。
もしかしたら心の何処かではモラハラをしてしまう自分をコントロールできないことに、後悔の気持ちがあったのかもしれません。
決して謝りませんが、許して欲しいという思う気持ちも。
でも私には今まで数年間に及ぶモラハラ発言の全てを、正当化させるただの言い訳だとしか思えませんでした。
一つだけ言えます。例え謝罪の気持ちはあっても、これはある意味病気なので完全に改心することはありません。
情に流され、許し続ける限りモラハラ行為は続いていくのです。
DV&モラハラ夫との壮絶結婚生活を告白!エスカレートしていくDV…そして調停離婚。
DV&モラハラ夫との壮絶結婚生活を告白します!
10数年前から、ツンデレやドSなキャラの男性との恋愛映画や漫画が、女性の多くに愛されるようになりました。
当時高校生だった私もその一人で、そういった性格の男性。
昔ながらの言い方をすると「亭主関白」な男性に憧れ、恋愛や結婚をし、一生ついて行きたいと思っていました。
そして数年後、20歳の時に友人の紹介で14歳年上の男性と知り合います。
全てはここから始まりました。私の壮絶な7年間をこれからお話します。
徐々に感じる不安
程なくして、その男性(以後・元夫)と意気投合し、付き合うことになります。
14歳も年上で頼りになるし、ちょっと口は悪いけれど優しく引っ張って行ってくれる「亭主関白」タイプ。
まさに理想の男性に巡り会えた…そう思っていました。
お互いお酒が好きで、会うと必ず一緒に飲んでいました。
お酒が入りすぎるとちょっと気が大きくなるのか、お店で飲むと店員さんへの口調が乱暴になったり、友人にも突然キレて喧嘩腰になったり…。
でも私が制止すると収まりましたし、その矛先が私に向くことはなかったので、まあ仕方がないくらいに考えていました。
初めて私に攻撃的な面を見せたのは、一緒にいる時に私の男友達からメールが届いたのを見られた時です。
浮気を疑われ、否定するとその場で私の携帯電話を奪い取り、その友達に電話をかけました。相手がなんと答えたかわかりませんが、元夫は一方的に怒鳴り散らしていました。
電話が終わると、その場で私のメモリにある男性の名前を全て消去させられました。
とても恐怖でしたが、その頃は彼が大好きでしたし、これは嫉妬からくることだからと素直に応じました。
そして、消去が終わった後はいつもの優しい態度に戻ったのです。
しかし、これをきっかけに徐々に行為がエスカレートしていきます。
DV・モラハラの日々
付き合って一年、私は妊娠しました。
元夫からは以前に結婚を匂わせるような話もされていたので、喜んでくれると思ったのですが、話した途端表情を曇らせました。
理由は、「今結婚するのは、俺の考えていた時期と違う!!時期がきたら結婚するから堕ろそう!!」
…その後、色々ありましたが、無事結婚が決まり、これからの明るく幸せな生活を送っていこう、という希望しかありませんでした。。
妊娠から出産
妊娠を機に、私は力仕事の多かった職場を退職。
車がないと不便な町にアパートを借りることになったので、元夫から運転免許を取れと言われ僅かな貯金は教習所代に消えました。
次に、自分だけ働いて私が家にいることが許せないらしく、教習所に通うのと並行して働くようにと強要されます。
妊婦を雇ってくれるところなんてないと言うと、数日後、スナックの求人を持ってきてここに電話しろと。
以前は男性と連絡を取ることすら嫌がっていたのに…。それ以上に自分だけが働いて犠牲になることが許せなかったようです。
…こうしてお腹が目立つまでの数か月間、私は昼間は教習所、夜はスナックで働きました。
寝不足の毎日に、夜はタバコの煙の中でたまにお酒も強要されます。辛かったですが、これから生まれてくる我が子と元夫との幸せな生活を守るため、必死でした。
お腹が大きくなり、ずっと家にいるようになると、元夫は私に頻繁に暴言を吐くようになりました。
主に深くお酒が入った時。子供の性別は女の子が良かった彼は、
「女じゃなかったら育てないからな。」
「妊婦だからって甘えるな。嫌なら堕ろせ。」
「このデブ!働け!!」
など、出産間近には初めて手をあげられ髪を引っ張り、引きずられました。
その反面、日中の機嫌のいい時は料理を作ってくれたり、ベビーグッズを二人で楽しみながら購入したりするのです。
この楽しい時間の方が圧倒的に長かったので、当時別れることは一切考えていませんでした。
子どもが生まれたら私も働けて、怒らなくなってくれると信じていたのです。
洗脳された結婚生活
冬の寒い朝、私は彼立ち合いのもと元気な女の子を出産しました。
娘のことは溺愛し、見たこともないような笑顔で喜んでくれたのでとても安堵したことを覚えています。しかし....
1か月の里帰りを経て我が家に帰宅。何事もなくただ笑って暮らせていたのは、ほんと数週間でした。
家で家事と育児をしている私が、外で働きもせずのんびりした生活をしているように映ったのでしょう。
「誰の金で生活できると思ってるんだ。」
「家政婦は家政婦らしく働け!!」
など、まるでドラマのワンシーンかのような典型的なモラハラ夫のセリフを浴びせられ始めました。
暴言はしょっちゅうでしたが、暴力も最初は2、3か月に1度から徐々に1ヶ月に1度、数週間に1度と頻度を増していきました。
「俺は子供は養うが、お前を養う義務はない!携帯代や自分の使った分の光熱費は自分で払え」
と、今度は内職の求人を持ってきて、子供が保育園にあがるまで内職をさせられました。
家事の合間や睡眠時間を削って1日10時間以上費やしても、2万円ほどの収入でしたが、
「これでも足りない分は俺が払ってやってるんだ。俺がいないと、お前は何も出来ない奴なんだ。」
と言われ、今考えると本当に不思議なのですが、当時の私はその通りだと思い言いなりになっていました。一種の洗脳状態だったのかもしれません。
別居へ
娘が保育園に上がると、私は日中パートに出ました。これでお金のことで文句を言われなくなる…。
そう安心していたのも束の間、今度は家事の面で文句を言われるようになりました。
元夫の仕事は必ず定時で終わり、職場も近かったため17時すぎには帰宅します。私は17時にパートが終わり、娘のお迎えと買い物を済ませてから帰宅するので、私が帰る頃には、もうお酒がすすんでいるのです。
夕飯を出すのが遅くなったり、家事をしながら話を聞いていて相槌がおろそかになったりすると、娘の前でも平気で怒鳴りつけ、この頃にはもう暴力も数日に1回のようになっていたので、蹴られ髪を引きずられる日々…。
娘はこの光景を見るたびに号泣していました。
元夫は暴力を奮う際、よくこんなことを言っていました。
「顔や腕に傷をつくると周りにバレるし恥ずかしいだろ。だからケツや腹を蹴ってやってんだよ。」
自分のDVが止められなくなって、いよいよ周りに発覚してしまうことを恐れたのかもしれません。
そんな毎日の中にもまだ、一家で笑い合う時間がたくさんありました。これが離婚に踏み切れない大きな理由です。
けれど仕事のストレスや精神的に追い詰められ、もう毎日死を考えてしまうほど精神状態はボロボロになっていました。
…そして転機は突然訪れました。
ある夜、洗濯物をたたんでいる時に仕事の同僚から相談の電話が来ました。元夫は隣でお酒を飲んでいましたが、話が長くなるにつれ機嫌がだんだん悪くなっていきます。
20分くらいでしょうか。そろそろ切り上げないと危ない…そう思った矢先、彼は私の手から携帯を取り上げたのです。
しまった!!と思いましたが、もう手遅れ。「お前と違ってうちはそんな暇じゃねーんだよ。ふざけんな!!」
そのまま電話相手の女性を怒鳴りつけ、罵倒し私の携帯電話を真っ二つに折りました。
頭の中で何かがぷつんと音を立てて切れた、という表現を良く聞きますが、まさにそう。そこですうーっと頭の中がクリアで冷静になりました。
今まで私だけが我慢すれば全てうまくいくものと思っていたけれど、周りに被害が及んだことでそうではなかったことが分かったこと。
また、人に自分の夫がそういう人なんだと知ってもらえたことで、彼女には本当に申し訳ないですが、なんだかほっと安心したこと。
そこからは自分の行動力に自分でもびっくりしますが、元夫が深酒をして熟睡しているその日の深夜に、最低限の荷物を車に運び出し、娘を連れて家を出たのです。
決意の離婚
実家に帰った私は、両親に全てを話しました。両親は泣きながら、話の全てを受け止めてくれました。
不思議なことに自分のことを人に話すと、自分を客観視できるのか話すエピソード全ておかしいことに気づきました。
あんなに自分が悪いんだ。自分さえ頑張れば…と思っていたのに。元夫の言動がどれも異常だとそこで初めて分かったのです。
離婚に向けて動き出しました。顔を合わせての協議離婚はどう考えても不可能でしたので、調停離婚。
それも絶対に鉢合わせることのないよう徹底してもらいました。
最初の調停に、彼は現れませんでした。その日は、この5年間の結婚生活で起きたことを時系列にまとめたレポートを元に調停員に話をし、終わりました。
2回目の調停には現れましたが、話を聞いた調停員から、
「双方の言っていることに食い違いがある。親権は譲らない、むしろ復縁したいと言っている。あなたも今は熱くなっていると思うから、少し冷静にもう一度考え直してみては?」
…愕然としました。
当時私は26歳。社会経験はほとんどありません。一方、14歳も年上の元夫は外面が本当に良く、金銭面で子供1人を育てるのに苦労はしません。
調停員の目には、少し私が話をオーバーにしていると映ったようでした。
先ほど、調停の際には一切鉢合わせることのないよう徹底してもらったと書きました。帰る時間もずらすようにしてくれましたが、駐車場は同じ。
帰りに元夫の車を見つけた時は恐怖で鳥肌が止まりませんでした。
それから数回、私の必死の訴えも空しく話は平行線を辿り、離婚も親権もお互い譲らないまま、次で決まらないようなら裁判へというところまで来ました。
そして最後の調停。私は最後に、とにかく離婚がしたいこと、慰謝料も養育費も一切いらないから親権だけは譲って欲しいことを訴えました。
…するとあっさり離婚に応じたのです。
全ては私に一銭も払いたくなかったことからの発言だったのです。この手のひら返しには調停員もあきれているようでした。
私も親権を譲りたくないということは、それだけ娘を大事に思っていてくれているのかと、少しだけ心が揺らぎそうになったのに…。
やっと終われることと娘のことを思うと、涙が止まりませんでした。
幸せな今
現在私は、理解ある心から信頼できる優しい男性と再婚し、新たに授かった娘と家族4人、血のつながりを超えた幸せな生活を送っています。
あの壮絶な7年間を忘れることはできません。未だにたまに夢に元夫が出てきては私に暴力を奮います。
今、DVで悩んでいる方にこれだけは伝えたいです。
家族でも友達でも、相談窓口でも誰でもどこでもいいから、自分の身に起こっていることを誰かに話してください。
絶対離婚に向けての解決の糸口が見つかります!!