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モラハラ(精神的暴力)

もしかしたら私もモラハラ妻!?モラハラ妻の特徴8つ

身体的な暴力でなく、言葉や態度による心への暴力である、モラルハラスメント。いわゆるDVの一種です。 世間のイメージとしては、夫から妻に対して行われる行為のように思われますが、最近では妻から夫に対するモラハラが数多く発生しています。 そしてモラハラ妻の多くは、自分自身がモラハラ妻であることに気づいていません! 知らず知らずのうちに夫を追い詰め、突然離婚を切り出されることだってあるんです。 私も夫に対し、八つ当たりや我儘を言ってしまう事があるので、モラハラの気があるような気がします。 そこで、今回はモラハラ妻に悩む夫側の話をもとに、モラハラ妻の特徴を集めてみました。 あなたや私はいくつ当てはまるでしょうか?チェックしていきましょう! ☑①何でも夫のせいにする モラハラ妻は、自分に都合の悪いことやうまくいかないことを、何でも夫のせいにしたがるようです。 「出かける支度が遅くなったのは、あなたがモタモタしているせい」 「夕飯の味付けが濃いのは、あなたが途中で話しかけたから」 夫はこのように言われると反論するどころか、そうなのかな…と罪悪感を感じるようになります。そして次第に夫の心を支配し洗脳していくのです。 …ギクッとしました。 つい先日も、 「あなたがあと10分早く起きてくれたら、〇〇分の電車に間に合ったのに」 と自分の支度がギリギリだったことを棚に上げて、平気で言ってしまっていました。。。 ☑②子供の前でも夫を見下し、自分が優位に立つ モラハラ妻は無意識のうちに自分を優位に立たせようと、夫を蔑みます。 「なんでそんな簡単なこともできないの?」 「汗かいて汚い(臭い)んだから近寄らないでよ!」 このようなことを子供の目の前でも平気で言うので、いつも怒られているパパを子供もいつの間にか見下すようになり、次第に冷たい態度になっていってしまいます。 私は、子供の前では、夫を悪く言わないように気を付けています。見下すことはしていないつもりです。 でもだからと言ってあまり立ててもいないような…あくまで対等です(笑) ☑③自分が全て正しいと思っている モラハラ妻は、夫よりも絶対的に自分が正しいと思い込んでいます。 つまり、世間の非常識であっても妻が正しいと思っていたら、それが家庭内での常識になってしまうということです。 「常識的に考えたら普通わかるでしょ!」 「そんなの非常識だからやめて!」 自分が常識人であると信じて疑わないモラハラ妻は、すぐに「常識」という言葉を武器のように振りかざし夫を言いくるめるのです。 これも耳が痛い項目です。 家事の苦手な夫にお手伝いを頼む際、細かく説明をしないと、部屋の片づけをする前に掃除機をかけ始めたり、畳んだ洗濯物を種類ごとに重ねて置きません。 でも↑これって世間のではなく、私の家事のルールですよね。 なのに忙しい時などついイライラして「常識的に考えて~」のくだり、私完全に言っちゃってます…。 ☑④自分の非を絶対に認めない モラハラ妻は、①でお話したように、何でも夫のせいにしたがります。 ですから、明らかに自分に非のあることでも絶対に認めませんし、何なら 「だってあなたが〇〇だって言うから!」 「私はこんなに頑張っているんだからこれくらい仕方がないじゃない!」 と何かと言い訳や理由をつけて謝罪を回避します。 どうしても夫に対して素直にごめんねが言えないんです。だって、謝った時点で優位だった立場が逆転してしまいますもんね。 …これに関しては私はセーフ。 前の夫がDV夫だったせいか、今の夫は何をしても滅多に怒らないのに、何でもすぐに謝ってしまうクセがついてしまっているようです(笑) ☑⑤夫に厳しく子供や自分には甘い モラハラ妻は夫に少ないお小遣いの中でやり繰りさせているくせに、自分では月に何回も友人とランチに出かけたり、高い化粧品を買い、子供に欲しいものをすぐ買い与えるのです。 日中、昼寝する時間すらあったのにも関わらず、仕事から疲れて帰ってきた夫に休む間も与えず、 「私だってこんなに我慢している」 「私の方が大変で辛い」 とアピールし、育児や家事の手伝いをさせるのです。 大変アピールは私してしまっています。 ただ、私は自分が時々友達と自由に遊びに行ったりしやすいように、逆に夫にも飲み会などにもっと積極的に参加し遊んでくるように言っています。 要するに自分に甘く夫にも甘くですね。 無理に遊んで来いというのも一種のモラハラかもしれませんが…。 ☑⑥外面が良く内弁慶である モラハラ妻は、夫に対しては非情な態度を取りますが、外では良い妻、良い母というイメージを持たれる人が多いです。 外でいい子を頑張っている分、夫の前では感情のコントロールが効かなくなってしまうんですよね。 ですから、一緒に外にいる時には何も言われなかったのに、 「何であの時〇〇さんにあんなこと言ったの?」 「ああいうことするのやめて!恥ずかしいから。」 と、帰宅してからいあれやこれや文句を言ったりする人は、モラハラ妻である可能性が高いです。 これは100%当てはまってしまいました。 なんの言い訳も浮かびません(笑) ☑⑦自分を守るための嘘をつく モラハラ妻は自分が一番だと思っている上に被害者意識がとても強いと言います。 ですから自分が夫に対し、このような態度をとってしまうのも全て夫のせいだと思っているのです。 「夫が私に、いつもこんなことばかりする」 「日常的に夫からモラハラを受けている」 友人やご近所さんにも自分が可哀想、いつも頑張っていると思われたくて真逆の嘘をついたりすることもあります。 女性は噂が大好きな生き物。 ご近所にその噂はあっという間に広がり、あそこの家は夫が酷いという印象を持たれ、夫は肩身の狭い思いをするのです。 …これはセーフでした。 嘘をついてまで夫の悪口を言ったところで、誰一人得をすることはないと思うからです。 それに夫を否定することは、そんな夫を選んだ自分をも否定することになる気がします。 ☑⑧自分の実家に依存している モラハラ妻は、結婚後も自分の実家に入り浸り、自立できていない人が多いと言います。 自分が一番な妻を、無条件で甘やかしてくれる親の存在が近くにあることで、いつまでたっても親離れできませんし、味方が近くにいることでより一層夫に対し、強く出られるのです。 「もうやだ!実家に帰る」 「今日実家で夕飯食べるから、作れないからね」 何かあるとすぐ実家に帰る!と言いますが、愚痴吐きと楽をしに行くだけなので、本当に離婚しようなんてこれっぽっちも思っていないはずですよ。 私も実はたった2駅しか離れていない場所に自分の実家があるので、気を付けないと、あっという間にこうなりかねません。 終わりに… いかがでしたでしょうか。 8つの項目のうちあなたはいくつ当てはまりましたか? 0個の方がいらっしゃいましたら、私は心から尊敬してしまいます。 実際、私は半分くらい当てはまってしまいましたし、他の項目を見ても今後当てはまってしまう可能性が十分にあると思い、内心焦っています! そして驚くべきことは、やはり私もこのように指摘されるまで、全て無意識で行っており、まさか自分がモラハラ妻の要素があるなんて思ってもいなかったことです。 今気付けたことで、今後は言動に気を付けていこうと思っていますが、既に知らず知らずのうちに夫を傷つけ追い込んでいたのかもしれませんね。 とりあえず、今夜夫が帰ってきたら謝ります(笑) モラハラは冒頭でお伝えしたように、立派なDV行為です。 男なんだからこれくらい言っても大丈夫なんてことはなく、このまま続けていれば、いつ離婚を切り出されてもおかしくありませんよ。

これはキツかった…モラハラ夫から言われた辛い言葉7つ

モラルハラスメント…通称モラハラ。 言葉での暴力・精神的なDVとして、ここ数年急速に世の中に浸透していっています。 モラハラの怖いところは、最初は心に小さな傷がついても自分ではそのダメージに気づきにくく、言われ続けることで慣れが生じてしまうことです。 その目に見えない心の小さい傷はどんどん広がっていき、気づいた時にはかなり精神を蝕まれています。 「自分がもっとちゃんとしていれば…。」 「私はとても駄目な人間なんだ…。」 と、知らず知らずのうちにマインドコントロールされていきます。マイナスな感情に支配されて、相手と戦う気力も喪失してしまうのです。 私は20代の半分以上をモラハラ夫と過ごし、耐える日々を過ごしていました。離婚してもう6、7年経ちますが今はとても幸せで、自分ではすっかり表面上は立ち直っています。 しかしそれでも未だに元夫がたまに夢に出てきては、当時と同じように私を罵るのです。 特別カウンセリングなどを受けたわけではありませんが、悪夢から覚めた後に心の傷はやっぱり完全にはまだ癒えていないのだと実感します。 これから私が体験した夫からの数々のモラハラ発言の中で、今でも忘れることのできない辛かった言葉を7つお話したいと思います。 それとともにどういう心理から発した言葉なのかも、自分なりに考えてみました。それは離婚した今だからこそできることです。 同じくモラハラの被害に遭っている方が共感し、少しでも戦う力を取り戻せたら…。モラハラ被害に気づいていない方が、自分のパートナーがモラハラ夫なことに気づくきっかけになってくれたら…と思います。 その1.「お前みたいなやつが、他の誰からも相手にされるはずないだろ」 モラハラが始まるきっかけになった出来事。 もともと束縛の激しかった元夫と結婚する前、一緒にいる時に私の携帯電話に男友達からメールが来ました。 夫と知り合う前からの本当にただの友人だったのですが、やり取りを見られ勝手に浮気を疑われてこの言葉を吐かれました。 この言葉を訳すと 「調子に乗るな。俺が付き合ってやっているんだからありがたいと思え。」 という意味でしょう。 このように勝手に嫉妬して、私を精神的に支配するため「お前みたいな奴」とこれをきっかけに私をさげすみ始めました 脅さなければ安心できないくらい、愛されている自信がない人だったのでしょう。 その2.「絶対俺の子じゃないだろ?!」 あまり結婚自体にも乗り気じゃなかった元夫。 妊娠が発覚し、ドキドキしながら報告した時の第一声がこれでした。ろくな避妊もしなかった癖に、一体何の自信があるのか…。 これは私にも大きな責任がありますが、元夫は14歳も年上でしたので若かった私は、順序が逆になっても大丈夫だと思っているところがありました。 それくらい2人でいる時は包容力があって、頼もしいと思っていたのに… 手の平を返したような態度に、絶対に彼以外あり得ないのに、こんな風に思われていたのか?!と、非常にショックを受けました。 今思えば分かります。おそらく自分のせいで大きく今後の事態が変わってしまうことが怖かったのでしょう。 誰でもいいからその責任を押しつけたかったのでしょうね。 その3.「子供が男だったら捨てるよ。俺は女の子以外育てないからな!!」 なんとか結婚が決まり、新しい生活がスタートしました。 母子手帳や、育児雑誌などを見て浮かれていた私が、元夫は気に入らなかったのでしょうか。 ある時、何でもないようなテンションであっけらかんと、こう言ったのです。 「女の子以外認めない」と…。 少し抵抗したら、それが嫌なら堕ろせとまで言われました。 私は当時まだ元夫を心から愛していたので、とにかく彼の子供を授かれたことが嬉しかったのに…。 こんな発言が彼の心の何処から出るのだろうと、ショックと共にとても傷つきました。 それから出産までの検診は、つわりとは違う吐き気をもよおすくらい、毎回とても憂鬱だったのを覚えています。 この家族の行く先を全て牛耳るのは自分だと主張したかったのでしょうか。 それにまだ現実を受け止められなかったのかもしれません。 そして一応結果ですが、私の願いがちゃんと届いたのか無事女の子を出産。私のもとに生まれてきてくれたことを今でも本当に感謝しています。 その4.「豚!!デブ!!」 容姿に対する暴言は、自分自身の存在を全否定されたように感じます。 これは妊娠中からずっと言われていたことです。 しかし当初は、確かに妊娠中10キロ以上太ってしまったので、文句は言えないと思っていました。 明るくいこうとノリ良く返すと「豚」に「ちゃん」がついたりしたので、これならまだ…と自分で自分をフォローしていました。 ただ妊娠中は情緒が不安定になるのか、嫌われたくない一心から気にしすぎてご飯が食べられなくなったり、便秘の為に処方された下剤を倍の量飲んだり、お腹の子に対して非常に良くない行動をしてしまっていました。 元夫の場合は容姿をけなすことで、私の自信やプライドを破壊して、より服従させていたのだと思います。 その5.「妊婦だからって甘えるな。水商売でもして出産費用くらい自分で稼げ!」  私は妊娠を機に、力仕事が多かった職場を辞めざるを得なくなりました。 今まで自分のお金を好きに遣い続けてきた元夫は、私との生活の為に今までのように遣えるお金が減ってしまうことを、最後までとても嫌がりました。 けれど妊婦がいくら就職活動しても雇ってくれる会社はありません。そしてある日、元夫はスナックの求人を持って来てここで働くように言ったのです。 結局お腹の大きさを隠し切れなくなるまで、煙草の煙の充満した狭い空間で、断っているのにお酒を強要されながら働きました。 今思えばと本っ当に最低な行為で、書いている今もものすごく悔しい思いが込み上げてきますが、当時の私はこれを乗り越えて3人で幸せに暮らすことを夢見ていたので、耐えてしまっていました。 この経済的な暴力タイプのモラハラも離婚寸前まで続けられました。最終的には携帯代や美容・洋服代はもちろん、私にかかる光熱費や食費まで、少ないパート代から出させられたのです。 それにより友達と遊びに行くお金も、なかなか捻出できなかったので、今思えば束縛する意味でもこのような方法を取られたのかもしれません。 その6.「お前は家政婦以下だ!!」 1ヶ月の里帰り出産を経て、3人での生活をスタートさせた私たち。 当然すぐには外で働けないので、私がずっと家にいるのが気に入らないのか毎日のようにモラハラをされていました。 「主婦は暇でいいよな。」 「家政婦は家政婦らしく、黙って俺の言う事だけを聞け!!」 夜間の授乳と夜泣きで睡眠不足が続き、うっかり日中うとうとしているのがバレようものなら、「家政婦以下だ!!」と怒鳴りつけられました。 元夫は常に自分だけが働いて苦労している。自分だけが損しているという風に思っていたのだと思います。 その7.まとめ「俺にこんなことを言わせるお前が全て悪いんだ!!」 私が今まで言われてきた暴言だけに限らず、世の中全てのモラハラ男の言動の着地点は、ここであると思っています。 高圧的で、プライドが高く、一見強い人のように感じます。でも実は被害者意識が強く、そのくせ自己中心的で傷つきたくない一心から虚勢を張っているだけなのです。 離婚する少し前に1度、元夫がこの言葉を私に浴びせながら大粒の涙を流していたのを見たことがあります。 もしかしたら心の何処かではモラハラをしてしまう自分をコントロールできないことに、後悔の気持ちがあったのかもしれません。 決して謝りませんが、許して欲しいという思う気持ちも。 でも私には今まで数年間に及ぶモラハラ発言の全てを、正当化させるただの言い訳だとしか思えませんでした。 一つだけ言えます。例え謝罪の気持ちはあっても、これはある意味病気なので完全に改心することはありません。 情に流され、許し続ける限りモラハラ行為は続いていくのです。

DV&モラハラ夫との壮絶結婚生活を告白!エスカレートしていくDV…そして調停離婚。

DV&モラハラ夫との壮絶結婚生活を告白します! 10数年前から、ツンデレやドSなキャラの男性との恋愛映画や漫画が、女性の多くに愛されるようになりました。 当時高校生だった私もその一人で、そういった性格の男性。 昔ながらの言い方をすると「亭主関白」な男性に憧れ、恋愛や結婚をし、一生ついて行きたいと思っていました。 そして数年後、20歳の時に友人の紹介で14歳年上の男性と知り合います。 全てはここから始まりました。私の壮絶な7年間をこれからお話します。 徐々に感じる不安 程なくして、その男性(以後・元夫)と意気投合し、付き合うことになります。 14歳も年上で頼りになるし、ちょっと口は悪いけれど優しく引っ張って行ってくれる「亭主関白」タイプ。 まさに理想の男性に巡り会えた…そう思っていました。 お互いお酒が好きで、会うと必ず一緒に飲んでいました。 お酒が入りすぎるとちょっと気が大きくなるのか、お店で飲むと店員さんへの口調が乱暴になったり、友人にも突然キレて喧嘩腰になったり…。 でも私が制止すると収まりましたし、その矛先が私に向くことはなかったので、まあ仕方がないくらいに考えていました。 初めて私に攻撃的な面を見せたのは、一緒にいる時に私の男友達からメールが届いたのを見られた時です。 浮気を疑われ、否定するとその場で私の携帯電話を奪い取り、その友達に電話をかけました。相手がなんと答えたかわかりませんが、元夫は一方的に怒鳴り散らしていました。 電話が終わると、その場で私のメモリにある男性の名前を全て消去させられました。 とても恐怖でしたが、その頃は彼が大好きでしたし、これは嫉妬からくることだからと素直に応じました。 そして、消去が終わった後はいつもの優しい態度に戻ったのです。 しかし、これをきっかけに徐々に行為がエスカレートしていきます。 DV・モラハラの日々 付き合って一年、私は妊娠しました。 元夫からは以前に結婚を匂わせるような話もされていたので、喜んでくれると思ったのですが、話した途端表情を曇らせました。 理由は、「今結婚するのは、俺の考えていた時期と違う!!時期がきたら結婚するから堕ろそう!!」 …その後、色々ありましたが、無事結婚が決まり、これからの明るく幸せな生活を送っていこう、という希望しかありませんでした。。 妊娠から出産 妊娠を機に、私は力仕事の多かった職場を退職。 車がないと不便な町にアパートを借りることになったので、元夫から運転免許を取れと言われ僅かな貯金は教習所代に消えました。 次に、自分だけ働いて私が家にいることが許せないらしく、教習所に通うのと並行して働くようにと強要されます。 妊婦を雇ってくれるところなんてないと言うと、数日後、スナックの求人を持ってきてここに電話しろと。 以前は男性と連絡を取ることすら嫌がっていたのに…。それ以上に自分だけが働いて犠牲になることが許せなかったようです。 …こうしてお腹が目立つまでの数か月間、私は昼間は教習所、夜はスナックで働きました。 寝不足の毎日に、夜はタバコの煙の中でたまにお酒も強要されます。辛かったですが、これから生まれてくる我が子と元夫との幸せな生活を守るため、必死でした。 お腹が大きくなり、ずっと家にいるようになると、元夫は私に頻繁に暴言を吐くようになりました。 主に深くお酒が入った時。子供の性別は女の子が良かった彼は、 「女じゃなかったら育てないからな。」 「妊婦だからって甘えるな。嫌なら堕ろせ。」 「このデブ!働け!!」 など、出産間近には初めて手をあげられ髪を引っ張り、引きずられました。 その反面、日中の機嫌のいい時は料理を作ってくれたり、ベビーグッズを二人で楽しみながら購入したりするのです。 この楽しい時間の方が圧倒的に長かったので、当時別れることは一切考えていませんでした。 子どもが生まれたら私も働けて、怒らなくなってくれると信じていたのです。 洗脳された結婚生活 冬の寒い朝、私は彼立ち合いのもと元気な女の子を出産しました。 娘のことは溺愛し、見たこともないような笑顔で喜んでくれたのでとても安堵したことを覚えています。しかし.... 1か月の里帰りを経て我が家に帰宅。何事もなくただ笑って暮らせていたのは、ほんと数週間でした。 家で家事と育児をしている私が、外で働きもせずのんびりした生活をしているように映ったのでしょう。 「誰の金で生活できると思ってるんだ。」 「家政婦は家政婦らしく働け!!」 など、まるでドラマのワンシーンかのような典型的なモラハラ夫のセリフを浴びせられ始めました。 暴言はしょっちゅうでしたが、暴力も最初は2、3か月に1度から徐々に1ヶ月に1度、数週間に1度と頻度を増していきました。 「俺は子供は養うが、お前を養う義務はない!携帯代や自分の使った分の光熱費は自分で払え」 と、今度は内職の求人を持ってきて、子供が保育園にあがるまで内職をさせられました。 家事の合間や睡眠時間を削って1日10時間以上費やしても、2万円ほどの収入でしたが、 「これでも足りない分は俺が払ってやってるんだ。俺がいないと、お前は何も出来ない奴なんだ。」 と言われ、今考えると本当に不思議なのですが、当時の私はその通りだと思い言いなりになっていました。一種の洗脳状態だったのかもしれません。 別居へ 娘が保育園に上がると、私は日中パートに出ました。これでお金のことで文句を言われなくなる…。 そう安心していたのも束の間、今度は家事の面で文句を言われるようになりました。 元夫の仕事は必ず定時で終わり、職場も近かったため17時すぎには帰宅します。私は17時にパートが終わり、娘のお迎えと買い物を済ませてから帰宅するので、私が帰る頃には、もうお酒がすすんでいるのです。 夕飯を出すのが遅くなったり、家事をしながら話を聞いていて相槌がおろそかになったりすると、娘の前でも平気で怒鳴りつけ、この頃にはもう暴力も数日に1回のようになっていたので、蹴られ髪を引きずられる日々…。 娘はこの光景を見るたびに号泣していました。 元夫は暴力を奮う際、よくこんなことを言っていました。 「顔や腕に傷をつくると周りにバレるし恥ずかしいだろ。だからケツや腹を蹴ってやってんだよ。」 自分のDVが止められなくなって、いよいよ周りに発覚してしまうことを恐れたのかもしれません。 そんな毎日の中にもまだ、一家で笑い合う時間がたくさんありました。これが離婚に踏み切れない大きな理由です。 けれど仕事のストレスや精神的に追い詰められ、もう毎日死を考えてしまうほど精神状態はボロボロになっていました。 …そして転機は突然訪れました。 ある夜、洗濯物をたたんでいる時に仕事の同僚から相談の電話が来ました。元夫は隣でお酒を飲んでいましたが、話が長くなるにつれ機嫌がだんだん悪くなっていきます。 20分くらいでしょうか。そろそろ切り上げないと危ない…そう思った矢先、彼は私の手から携帯を取り上げたのです。 しまった!!と思いましたが、もう手遅れ。「お前と違ってうちはそんな暇じゃねーんだよ。ふざけんな!!」 そのまま電話相手の女性を怒鳴りつけ、罵倒し私の携帯電話を真っ二つに折りました。 頭の中で何かがぷつんと音を立てて切れた、という表現を良く聞きますが、まさにそう。そこですうーっと頭の中がクリアで冷静になりました。 今まで私だけが我慢すれば全てうまくいくものと思っていたけれど、周りに被害が及んだことでそうではなかったことが分かったこと。 また、人に自分の夫がそういう人なんだと知ってもらえたことで、彼女には本当に申し訳ないですが、なんだかほっと安心したこと。 そこからは自分の行動力に自分でもびっくりしますが、元夫が深酒をして熟睡しているその日の深夜に、最低限の荷物を車に運び出し、娘を連れて家を出たのです。 ​決意の離婚 実家に帰った私は、両親に全てを話しました。両親は泣きながら、話の全てを受け止めてくれました。 不思議なことに自分のことを人に話すと、自分を客観視できるのか話すエピソード全ておかしいことに気づきました。 あんなに自分が悪いんだ。自分さえ頑張れば…と思っていたのに。元夫の言動がどれも異常だとそこで初めて分かったのです。 離婚に向けて動き出しました。顔を合わせての協議離婚はどう考えても不可能でしたので、調停離婚。 それも絶対に鉢合わせることのないよう徹底してもらいました。 最初の調停に、彼は現れませんでした。その日は、この5年間の結婚生活で起きたことを時系列にまとめたレポートを元に調停員に話をし、終わりました。 2回目の調停には現れましたが、話を聞いた調停員から、 「双方の言っていることに食い違いがある。親権は譲らない、むしろ復縁したいと言っている。あなたも今は熱くなっていると思うから、少し冷静にもう一度考え直してみては?」 …愕然としました。 当時私は26歳。社会経験はほとんどありません。一方、14歳も年上の元夫は外面が本当に良く、金銭面で子供1人を育てるのに苦労はしません。 調停員の目には、少し私が話をオーバーにしていると映ったようでした。 先ほど、調停の際には一切鉢合わせることのないよう徹底してもらったと書きました。帰る時間もずらすようにしてくれましたが、駐車場は同じ。 帰りに元夫の車を見つけた時は恐怖で鳥肌が止まりませんでした。 それから数回、私の必死の訴えも空しく話は平行線を辿り、離婚も親権もお互い譲らないまま、次で決まらないようなら裁判へというところまで来ました。 そして最後の調停。私は最後に、とにかく離婚がしたいこと、慰謝料も養育費も一切いらないから親権だけは譲って欲しいことを訴えました。 …するとあっさり離婚に応じたのです。 全ては私に一銭も払いたくなかったことからの発言だったのです。この手のひら返しには調停員もあきれているようでした。 私も親権を譲りたくないということは、それだけ娘を大事に思っていてくれているのかと、少しだけ心が揺らぎそうになったのに…。 やっと終われることと娘のことを思うと、涙が止まりませんでした。 幸せな今 現在私は、理解ある心から信頼できる優しい男性と再婚し、新たに授かった娘と家族4人、血のつながりを超えた幸せな生活を送っています。 あの壮絶な7年間を忘れることはできません。未だにたまに夢に元夫が出てきては私に暴力を奮います。 今、DVで悩んでいる方にこれだけは伝えたいです。 家族でも友達でも、相談窓口でも誰でもどこでもいいから、自分の身に起こっていることを誰かに話してください。 絶対離婚に向けての解決の糸口が見つかります!!

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私が別居中の恋愛で辛いと感じた7つの事

あなたはいまどんな方とお付き合いをしていますか? このお話は、私が元夫との別居中に体験した恋愛を通して「この恋、やめた方がいいよね?」と思いつつも貫き通したお話しです。 恋愛には楽しいこと、辛いことたくさんあると思います。 その中でも、「常識では許されない恋」をしている人はジレンマを感じながら恋愛に向き合っているのではないでしょうか? 別居中の恋愛が辛い…そんな風に思ってるあなたに読んで欲しいです。 

好きでもない人と結婚したのが間違い? 私が最初の結婚をしたのは25歳の時。 周りの友人がどんどん結婚していき、当時付き合っていた彼とも別れたばかりの私は正直焦っていました。 そんな時に出会った元夫。5歳上で、私が今まで付き合った人とは違う「私をとても大事にしてくれる人」でした。その時はそう見えたのでした。 でもお付き合いしてすぐプロポーズされ、結婚まで約一年。その間に「おかしいな?」と思う事は度々ありました。 それでも結婚したのは「婚約破棄した女」と思われたくなかったというちっぽけなプライドでした。そんな元夫はとの生活は続くはずもなく。。。 結婚して二年経った頃、義両親との同居がきっかけで、私は義両親と大喧嘩をして実家へ帰りました。 マザコンの元夫は、私より実の両親との生活を選んだのです。そこから私は、本来してはいけない恋愛をしてしまいました。 

彼との出会いは別居してから
 彼との出会いは、別居中に共通の友人から誘われた食事会でした。実家へ帰った私を心配した友人が食事をしようと言ってくれたのです。 男女合わせて6人ほどの食事会でした。 友人が連れてきた彼は私より7歳下で21歳。すごく大人しくてほとんど会話もしなかった彼を見て「無理やり連れて来られたんだろうな。可哀そう」としか思っていませんでした。 けれど、そこで終わる事はありませんでした。また共通の友人と彼と三人で飲みに行く話が出ました。 友人も一緒ならまぁいいか。と軽く考えていたので特別意識もしませんでしたが、飲み会の最中、以前とは全く違う饒舌な彼を見てびっくりしたのです。 そして携帯番号を聞かれてもなんの抵抗もなく教えている私がいました。その数日後から、彼から連絡が来るようになりました。 最初は全く気にも留めなかった彼なのですが、2人で話をしていると、すごく楽しくて。何時間もお互いの話をしていました。 いつしか、電話がくるのが楽しみで仕方ありませんでした。そんな時、彼に「二人でどこかに遊びにいかない?」と誘われました。 突然のお誘いに、ビックリしたと同時にすごく嬉しくドキドキした私が居たのです。 返事は「OK」でもその直後に「別居中だしこれ、まずいんじゃないの???」そんな不安も襲ってきました。
 
別居中のデートは制限だらけ 

彼と二人で会うのはいつも夜でした。そして、地元をさけて知人とあまり会わないであろう場所ばかりを選んでいました。 彼は運転することが好きで、ドライブがてら遠くに行くのはむしろ大歓迎という人だったので、そこは怪しまれることはありませんでした。 でも私の車を運転したいと言い出したり、昼間に会いたいと言われることが私にとっては一番つらかったです。 ウソを並べてなんとかなだめていましたがいつも取り繕う私の姿は不自然だったかもしれません。 とにかく、人目を避けるために必死でした。 なので、遠く離れた場所まで行ってホテルで過ごすのが私にとって一番落ち着く場所になりました。 別居中の恋は制限が多いだけに辛いことも多いです。これから辛いと感じたことを6つご紹介します。 

辛かったこと① 嘘をついてばかりの恋愛
 楽しいはずのデートはウソだらけ。 彼「〇〇へ行こうか?」 私「今日はそこじゃなくてあそこがいいな~」 彼「今度の日曜日は〇〇へ行こうよ」 私「その日は予定があって。ごめんね」 彼「ごはん食べに行こうよ。」 私「今日はコンビニのお弁当がいいな」 そんなやり取りばかり。本当は会いたいのに。 昼間も堂々と地元でデートしたりご飯を食べたりしたいのに。 いつまでもウソをついている自分が嫌になってきました。 彼は純粋に気持ちをぶつけて来てくれるのに私は騙している気分になることもありました。 実際既婚者なのに独身と思わせていましたので騙していましたね。 でもこの時の私は気持ちが止められなくなっていました。 
辛かったこと② 名前さえも偽る日々 彼に対してついていたウソのなかに名前を偽っていたこともありました。当時まだ元夫の姓を名乗っていた私。 彼と初めて会った時、私はとっさに旧姓を名乗っていました。 もうあの名字を使いたくもなかったし、離婚したあとのことを瞬時に考えて、旧姓を名乗ったのです。 でもそのツケが回ってくる事件がありました。 私の車の調子が悪くなり、急きょ彼の叔父さまの経営する修理工場へ行く事になりました。 そこで車検証を見せて欲しいと言われ、彼が私の車のダッシュボードから出そうとしたところでハッと気づいたんです。 そう、車検証は夫の姓のまま記載されているのです。 「まずい!!」私はなにかを確認するふりをしながら彼の手を制止して直接叔父さまに渡しました。 叔父さまに名前を言われたらどうしよう???と軽くパニックになっていましたが 叔父さんは私の名前を読み上げることなく、修理は済みました。

あとから彼に聞いた話ですが、実はこの時、彼が怪しんでいたようです。 
 
辛かったこと③ 浮気調査されているかもという不安
 彼とのお付き合いは順調でした。 でもその裏でいつも心配だったのは「夫が探偵を頼んでいるのではないか?」という疑念でした。 「いや、そこまでするはずがない」という根拠のない自信は最初だけ。付き合いが深くなるほど、その心配は常にありました。 どんなに遠くに行っても実は後ろからずっとつけられているんじゃないか?写真を撮られているのでは…そんな不安と恐怖はいつもつきまといました。 時々キョロキョロしたり、バックミラーから後続車の様子を伺ったり、待ち合わせの場所に行くときは、わざとグルグル回って遠回りしてみたり。。。。 彼の車の助手席に座る時は必ずシートを深く倒してなるべく顔が見えないようにしたり。 私の車を使う時は、彼がどうしても運転したがるのでとにかく私は助手席で顔を隠すのに必死でした。 とにかく知り合いに会いませんように!!と願っていました。 彼を思えば思うほど、こんなことしたくない。堂々と会いたい。夫と早く決着を着けたい。 そんな気持ちになりました。 夫とは10か月の別居中、何度も二人で話し合いました。でも平行線で決着がつかず二人ともイライラしていました。 だからこそ、彼に会いたい気持ちが強くなったのもあるんだと思います。 

辛かったこと④ 彼を巻き込んでいる罪悪感 別居中で、復縁する意思はない者同士とはいえ、私は戸籍上既婚者。こんな関係が許されるはずもありません。 それは十分わかっていながらも、彼を巻き込んでしまっている罪悪感にかられました。 もしこの関係がバレたら。。。。 彼も慰謝料を請求されてしまうかもしれない。 そんなことをさせたくない。 今別れれば、彼になんの影響も及ぼさないだろう。 だったら、いま別れよう。 こんなことを真剣に考えました。彼のことを傷つけたくないその一心で。 自分勝手な考え方だと思います。でも好きって気持ちはどうしても止められなかったんです。 出した結論は「彼は私を独身だと思って付き合っている。私が騙した」ことにしておこうと。 ほんと、虫が良すぎる話ですね。でもそう決めたんです。法律に詳しくないのでそれが理論として通るのかは定かではありませんがそう決めたんです。
 
辛かったこと⑤ 調停離婚に向けての話し合い
 別居が半年以上たった頃、実家に私宛の封書が届きました。裁判所からの通知でした。 夫が申立人となり、離婚に向けての調停が開始されることになったと書いてありました。 裁判所からの呼び出し。私は被告人のような気持ちになりました。 いつまでたっても平行線のお互いの罵り合いを続けるよりは第三者に入って頂いたほうが楽だと、相談した弁護士さんにも言われていたのでなにかほっとしたような気持にもなりました。 調停というものが、どういうものなのかもわからずもしかしたら裁判になるのかも?という不安もありながら私は恐怖で眠れませんでした。 きっと裁判になったら色々調べられるんだろう。。。 裁判になったら絶対バレる。 やっぱり会わないほうがいいかもしれない。 そう思って、私はまたウソをつき、会う回数を減らしました。 学生だった彼はバイトもしていましたし私も仕事が忙しかった時期だったので会う回数が減ったとしても不審には思われませんでした。 でもやっぱり会いたいものは会いたい。夜待ち合せして車の中でご飯を食べたりしていました。 
 

辛かったこと⑥ 先の見えない不安

調停が始まってからも夫との罵り合いが続きました。 でも良かったことはそれぞれ個室に通されたことと、調停委員さんがいてくれたおかげで冷静に話しを進めることが出来たことです。 夫に一度も会うことなく調停は進んでいきます。でもすぐに決着をすることは出来ませんでした。 話し合いが終わり、裁判所を出る時。「いつになったら終わるんだろう」と絶望感もありました。 いっそ、慰謝料を払ったら楽になれるんだろうか? それは周囲に反対されました。私だって払いたくない。でも終わらせるには慰謝料払えば楽になれるかもしれない。 先の見えない不安に押しつぶされそうでした。




 辛かったこと⑦ 離婚はエネルギーが必要 離婚するにはエネルギーがいる。よく聞く言葉です。実際、本当にエネルギーが要ります。 私だけでなく、両親にも相当のストレスをかけてしまい母は倒れてしまいました。 私は彼が居てくれたおかげでストレスがあっても頑張れたのですが両親の方が悩んでいたんだと思い、本当に申し訳なかったと思っています。 私の場合はお互いにもう愛情もなかったですし、夫から「憎い」と言われていましたので、離婚に向けてのベクトルは一緒だったせいか調停に入ってからは「どうしたらお互いが納得して離婚できるか?」というところが焦点になっていました。 だったらもう協議離婚でもなんでもいいから済ませちゃえばいいのに。。。。どれだけお金欲しいんだこの人は??? 内心そう思いながらも調停に行っていました。

ちなみに慰謝料を請求されたのは私の不貞行為が発覚したのではなく、精神的苦痛の面からでした。 

調停3回目に急展開が!!
 調停は相変わらずお互いを罵り合う場でした。 調停委員さんはなるべく裁判まで持ち込まないようにお互いの気持ちや現状を第三者の目で見てアドバイスしてくれました。 「どうしても離婚したいという思いが一緒なら条件面で折り合いをつけていきませんか?」 という方向で進めてくださっていました。私はいつしか調停委員さんの言うとおりにしていました。
 そして三回目の調停に臨んだ時のこと。いきなり夫から妥協案が提案されたのです。 私は嬉しくて嬉しくてその要求を呑みました。結局は財産分与の件で私が余剰分を払うという形で成立となったのです。 まだまだ続くだろうと思っていた調停が、ついに成立したのです! 成立した旨の書類が出来上がった時、私はなんとも言えない気持ちになりました。今でもその光景は覚えています。 数日後、夫と離婚届けを提出し、握手して別れました。その時の爽快感と達成感と言ったら!! その時の事も一生忘れる事はないでしょう。そして一番に会いたいと思ったのは彼でした。 
離婚成立。彼に全てを告白した 

離婚届が受理されたと言っても、これで堂々とお付き合い出来る!と言うのは時期尚早というのはわかっていました。 なので、しばらくはいつも通り夜だけ会っていました。いよいよ彼に全てを話そうと決心したのです。 私「話したいことがあるから今度いつ会える?」 そんなメールに彼は「別れ」を切り出されるのかもと思っていたと後日話してくれました。 一台しか停められない、秘密の夜景スポットに彼を連れて行きました。 そこで私は今まで突き通してきたうその数々を話し、既婚者だったこと、別居中だったのに隠してお付き合いしていたこと。 名前も旧姓を名乗っていたこと。 すべて話しました。 「騙してたのか、じゃあ別れよう」って言われても仕方のないことをしていたので内心どんな返事が来るかドキドキしていました。 でももう離婚も成立し、これからはうそのないお付き合いを真剣にしていきたいと伝えました。 彼は受け容れてくれました。 彼が唯一質問してきたのは「子供はいるの?」でした。「子どもがいるならちょっと考えちゃったかもしれないけど」と、正直に話してくれました。 「でも話してくれてありがとう」と最後は言ってくれました。そこから8年、私たちはお付き合いをしていました。 周りから「結婚するんでしょ?」と言われるくらい私たちは仲良しでしたし、私も彼と結婚すると思っていました。 
8年後・・・別れのとき

 別れは彼から切り出されました。 お付き合いしている8年間、何度も言われていた 「会いたい時に会いたいって言って欲しい」 私はそれを直すことができませんでした。 別居中の恋愛の仕方が板についてしまったのか、私は自分から会いたいと言えなくなってしまいました。 そして、彼が私を愛してくれているという奢りから私はいつも彼の連絡を待つ女になったのです。 そんな傲慢になった私に愛想を尽かしたのか、ある日から彼は一ヶ月ほど連絡をくれませんでした。 私はというと「忙しいんだろうな」と勝手に決めつけ、自分から連絡をしなかったのです。 今思えば、なんで連絡しなかったんだろう。週末が近くなると、会いたくてたまらなかったのに。平日の夜、少しでも会えればすごく嬉しかったのに。 自分のプライドが邪魔をしていただけなのに。。。。 結局彼は私に会うと決心が揺らぐからと、メールでお別れしました。何度も「会って話したい」とメールしても返事は変わりませんでした。 その夜、自分のふがいなさに泣く事しか出来ませんでした。 翌日も泣きはらした目で仕事に行き、仕事中も自然と涙が出てしまいとても辛かったです。 
あれから20年ほど経ちました。…
 別居中に辛いと感じたことを7つほどまとめてみました。 あんなに好きでずっと一緒に居たいと思っていた彼と別れ、現在はその後出会った夫と二人の息子、愛犬に囲まれて幸せに暮らしています。 夫とはなんでもオープンに話せる仲なので、元彼のことも知っています。 過去は過去とお互いわかっていますし、信頼もしています。

不貞行為という法律に反したことをしていたあの時期は、元夫にばれたら・・・という不安がいつも付きまとっていました。 でも、辛さや不安よりも、彼に会いたい気持ちは抑えられなかったのです。 
世の中には私のように、日の当たる場所で堂々と好きな人に会えない恋愛をしている人も多いと思います。 私も実際してきたことなので、他人の恋愛に対して肯定もしませんし、否定もしません。
この先離婚成立となり、再婚。というゴールには行きつかないかもしれません。 再婚ではなく、今の関係をずっと続けられたらそれでいい。それでもいいのであれば、どんな形でもいいと思います。 私のように彼とは別れたけれど、違う人と再婚。というケースもあり、さまざまです。 別居中の恋愛は楽しいこともあるけれど、制限があるために辛く感じることは沢山ありました。 でもそれでも続けていきたい相手なのか?日の当たる場所で堂々とお付き合い出来る日まで我慢したほうがいいのか? 私は続けることを選択しましたが、それを決めるのはあなたです。 いけないことをしているのはわかっているけれどやめられない。そんなあなたへ。 このお話が、あなたにとって一つでも参考になれば嬉しいです。