DVの特徴と種類!離婚理由になるDVや相談サービスについて、DVを受けた経験を踏まえて紹介

優しかった夫が変わってしまった... 暴力を振るわれることもある... あなたは夫からDVを受けてショックを受け、困惑してるはいませんか? 私もその一人でした。DVは力の弱い女性にとっては恐怖でしかありません。 今回は、私の経験を踏まえて「DVの特徴や種類、離婚理由になるDVや相談サービス」についてご紹介します。 DVの特徴 暴力をふるうだけでなく、相手を支配するために行われること全てがDVと言われているものです。 最初は暴言。だんだんとエスカレートして暴力に発展するケースが多いです。 私が受けたDVの場合ですが、繰り返される暴言・暴力の後は決まって優しい態度でした。 DVを受け続けることで、だんだんと感覚が麻痺し、当たり前のようになっていきました。 もう「話し合う」なんて流暢なことは、できなくなります。 恐怖を感じながらも身動きができない状態でした。 加害者側は歯止めが利かなくなり、被害者側は打つ手だてがない、そんなアリ地獄のような日々を送ることになってしまいます。 警察庁の調べによると、日本でDVの相談件数は年々増えており、2002年に14,000件ほどだったものが、2009年にはその倍の28,000件以上に膨れ上がっているのです。 相談されていない隠れDVの方を含めると、どれだけの被害があるかがおわかりだと思います。 DVの種類6つを私の経験を踏まえて紹介 DVには様々な種類があります。それぞれについて少し観ていきましょう。 1、身体的暴力   殴る蹴るなどの身体に痛みを伴う暴力です。   もしも、このような暴力を受けた場合には、警察に被害届を出すのももちろんですが、病院に行って診断書をもらっておきましょう。   また、怪我をおった部分を写真にとって保管しておくと良いでしょう。 2、精神的暴力   立場の上下関係を重んじて、嫌みを言ったり怒鳴りつけたりすることがこちらに当てはまります。   中には外出を禁止させたり、自分の所有物のように扱う精神的暴力もあります。   私は身体的暴力についてもあわせて、日々の様子を日記につけておくようにしました。   今でも見返すと辛い日々を思い出してしまいますが、後の調停に役立ちました。   実際の様子を録音または録画しておくのも方法ですね。 3、性的暴力   性行為を強要したり、場合によっては浮気を認めるように詰め寄る訳のわからない一方的な態度。   力が弱い女性としては、抵抗できない危機的状態ですね。   私の場合は、望まない妊娠をしないように、女性ができることはピルを飲むことだなと思い、病院で処方してもらいました。 4、経済的暴力   生活費を入れない、家計に厳しく口出しするなどといった言動です。   借金を作って、責任をなすりつけてくる場合もあります。   自分の貯金を実家に預けておくなど、被害が大きくならないように対処が必要です。    私は、夫の給与明細をコピーしたり、使ったお金のレシートを取っておくなどして、調停の際に提出しました。 5、社会的暴力   人間として、社会と関わっていくことは当たり前に日常に発生することです。   これを遮断させ、自分の支配下に置こうとするひどい行為です。   私は気持ちが沈み込み、うつ状態になりました。   早い段階で、誰かに相談するのが最善だと思います。 6、子どもを利用した暴力   子どもに母親の悪口を吹き込んだり、母親から子どもを奪うような言動です。   中には、子どもに暴力を見せたり、暴力を加える最低な事態があります。   子どもに多大な影響を与えるので、すぐに解決しなくてはなりません。   暴力が子どもにまで及ぶ場合には、近くの相談窓口で保護施設を紹介してもらうなど、すぐにその場を離れることをお勧めします。 ■離婚理由になるDV 法律では、配偶者の言動によって、結婚生活が破綻し、修復の見込みがない場合には「離婚」が認められています。 「私が悪いのかも」や「子どものために…」と我慢されている方もいるかもしれませんが、加害者側はそう簡単に変われないのが現実です。 実際に私も、裁判所で調停離婚の手続きを始め、調停委員の方とお話しすることになりました。 その時に「当たり前のことではなかったんだ」と気づかされました。 第三者の意見を聞く、ということはとても大切です。 冷静な判断ができない状態に引きずりこまれているのですから、一歩外に出ることはとても勇気がいるはずです。 ただ、身近に相談できる場所が、必ず近くにあるはずです。 最近の調べで、結婚を経験した「10人に1人」は配偶者からのDVを経験していることがわかっています。 話して気づくことがたくさんあるので、恥ずかしいとか、自分が悪いのかもと思わずに、辛い胸のうちをさらけ出しましょう。 DVを相談できる窓口 相談窓口には、代表的なものに下記の場所があります。  ●DV相談ナビ(電話番号0570-0-55210) 暴力で悩んでいる方向けの全国共通の電話相談窓口です。 発信した番号の最寄の相談窓口へ電話を転送してくれます。 匿名でも話を聞いてもらうことができます。 私も電話をしたことがありますが、心を落ち着かせるための良いアドバイスがもらえます。 (受付時間は、相談センターにより異なります)    誰かに話し、客観的な言葉を聞くと、自分の置かれている状態がよくわかり、どうしたらいいか考えるきっかけになると思います。  ●最寄の保健所や福祉センター  他にも児童相談所や、法テラスも全国各地にありますね。  実家や友人など、頼る人がそばにいない方でも、力になってくれる窓口です。  ●警察や裁判所の相談窓口   一番手っ取り早く、迅速に対応してもらえます。 様々な事態を想定して、相談にのってもらえるという意味で心強い存在です。 DV加害者の中には、ストーカー行為を行う人もいます。 加害者と距離をとる必要がある時には、裁判所に接見禁止命令を出してもらうなど、早急な対応が必要となります。 警察は24時間対応してもらえますから、何かあった時にはすぐに連絡するべきですね。 ■避難することを考える ひどい暴力を受けたら、「相談」ではなく、必要な荷物をまとめ、すぐにその場を離れることをお勧めします。 この際、気づいて引き留められたりしないよう、気を付ける必要があります。 〜持っていきたい必要な荷物〜 ・現金、キャッシュカード、通帳と印鑑 ・健康保険証や母子手帳、免許証 ・車の鍵 ・携帯電話 ・DVの証拠となるもの(私は荒れた現場の写真も撮っておきました) 出来れば、夫に見つからないように、すぐ取り出せるよう避難バッグを作り、保管しておくと良いでしょう。 私は、自分の車に子どもと自分の最低限の着替えを載せておきました。 また、避難先は市内のビジネスホテルを調べて備えていました。 まとめ なかなか目に見えないので、周りも気づかないことが多いです。 ただ言えることは、DVは決して一人では解決できないということです。。 なので、悩みを抱えないでください。 自分を責める必要は全くありません。 大きな怪我や、心の傷を防ぐためは、一日でも一分でも早く相談することが問題の解決に繋がります。

夫のDVで全治1ヵ月の打撲!浮気と家出を繰り返す夫と離婚した話

普通過ぎて面白くないほど普通の人と、普通に恋愛して。 当たり前のように周りに祝福されて結婚しました。子供を産んで、これから家族で楽しい思い出を作ろう!と思っていました。 でも…人生、そんなにうまく行きませんね!人生で一番幸せ!と思い、たくさんの夢を見て結婚したはずが、ありえない結婚だった…。 私の体験をお話しさせて頂きます。 夫は暴力をふるう人だった… 夫との出会いは「職場」でした。 部署は違ったのですが、よく顔を合わせる機会があり、飲み会の席で口説かれたのがきっかけでした。 彼も私も29歳。優しい笑顔、柔らかい口調で、彼は人気者でした。背が見上げるほど高くて、好きな顔。 頼んでもいないのに、仕事に必要なものを届けてくれたり、以前から良い印象だったので、純粋に頼ってみたくなりました。 周りの友達はどんどん結婚・出産と人生のステップを駆けていくのを見て、少し焦っていたのもあり…。 同じ年だったので、話は合うし、結婚するのはこの人なのかな?と考えるように。 付き合って一年程で請けたプロポーズに応え、結婚することになりました。 二人とも良い年だったので、お互いの両親も喜んでくれて、とんとん拍子に進んでいきました。 新居を探したり、挙式の準備をしたり。結婚して、楽しい!と思っていました。 結婚し、1年経った頃、妊娠したことがわかりました。主人の第一声は「産むつもり?」でした。 二人で「子供が欲しいね」って、よく話し合った結果だったのに。 一緒に喜んでくれると思っていた私は信じられませんでした。 理由を尋ねると「二人の時間がなくなるから」と。 離婚してでも、産もうと思うと話すと「離婚なんて恥ずかしいこと言うな。きちんと面倒みるから。」 気持ちのズレを感じたのは、この頃でした。 そして、彼の性格が変わり始めたんです。 彼の本性が現れてきただけかもしれませんが。 残業はそれほどない部署だったのに、帰りが遅い日が多くなりました。 深酒して朝方帰ってくることも。 そして、帰ってくると、すごく絡んでくるんです。 友達と遊んだり、実家へ帰ることを嫌がり、一人で外に出るな…と。 軽いヤキモチ?程度にしか考えていませんでした。 それが、どんどんエスカレートして行きました。 結婚するまでは、言いたいことも言わずに我慢していたのかな…と思えるほど、些細なことまで。 ただ、揉めた後は決まって、優しくなるんです。 これこそが、DVの始まりだったのに… 当時の私は「これが愛情だ!」と錯覚していました。 付き合い始めの頃の、優しさが本当の彼だと、必死で思いこもうとしていました。 よくある話ですが…出産で家を留守にした私は、里帰りから帰り、夫の浮気を知ってしまったんです。 車や家の中、至る所に女性の影。 スーツのポケットからラブホテルのメンバーズカードが出てきたり… 友人からも、彼の色んな悪い噂を聞くようになりました。 でも、母は強しとはよく言ったもので、感情的にはならない自分がいたんです。 時期が来れば、戻ってくるだろう。 浮気の一つや二つ、子供の父親なんだし、と軽く考えていました。 目立つように痕跡を残して、私に気づいて欲しかったのでしょう。 私は初めて出産・育児で忙しくしていたので、正直、夫のことまで考える余裕はありませんでした。 でも、毎日、夫のことを疎かにしたつもりはなく、出産前と変わらず、夫の身の回りのことをしていました。 どうしたら正解だったのかは、いまだにわかりません。 ある日、夫にスーツのアイロンがけを頼まれました。 赤ちゃんのお世話で、中断しようとすると… 「お前は、俺の求めている妻じゃない」と私は髪の毛をつかまれ、頬をぶたれました。 驚きと衝撃で、床に座り込むと、蹴り飛ばされ… 何が何だかわかりませんでした。 暴力の後は「ごめん、俺が全部悪かった」と泣いて謝ってきました。 夫よりも育児に気持ちが向いていることが、妻としてはダメだったんだと思い、自分も変わらなくてはならないのかなと言う思いになりました。 夫を責めるよりも、至らない部分を直していかなくちゃと。 義父は、亭主関白で、何をするにも義父の言う通りに動かなくてはならないような所がありましたから、義母のような献身的なタイプが理想だったのかもしれません。 夫は、急に育児に協力的になったり、家事を手伝ってくれたりと、夫婦の形はこうやって出来ていくのかなと思い始めていました。 繰り返される家出 お酒を飲んでいても、飲んでいなくても、家の中で暴れるようになった夫。 少しでも面白くないことがあると、物に八つ当たりしたり、家出をするようになりました。 それまでも、無断で外泊したり、行先がわからないことは何度かありました。 でも「どこにいるの?」とは、怖くて聞けないようになっていたんです。 暴力が恐ろしすぎて、喧嘩にならないように気を遣って生活していました。 一緒の空間にいて、暴力を振るわれるより、夫がどこかで過ごしてくれている方が居心地が良かったのです。 着替えは実家か、浮気相手の女性の家で済ましていたようです。 気が向けば帰ってきて、何もなかったかのように過ごす不思議な結婚生活が続きました。 こんな暮らしを続けて、何になるのか。 将来が不安になってきていました。 パチンコや麻雀で大金を使っていることもありましたが、逆らうようなことは言えません。 その頃には、夫に仕事を辞めるように言われ、私には収入がありませんでした。 毎月のお給料日に3万円を渡すので、その中で食費と育児にかかるお金の遣り繰りをするように決められていました。 「何にいくら使ったのか、どこに誰と出掛けたのかを報告しろ」 少しでも無駄な買い物をすると叱られるなど、完全に夫に支配された生活に変わってしまいました。 夫婦の終わり…DVで全治1ヵ月の打撲!愛情はなくなった 夫は…たまにサプライズでプレゼントをくれるような、優しい一面もありました。 しかし、あまりに驚いて、夫の求めるリアクションを私が出来ないと怒り出したりと、夫の感情の起伏はどんどん激しくなっていました。 ある日、夫の昇進祝いのため、お互いの両親を自宅に呼んで、パーティーを開きました。 帰りがけに、私の両親が「娘のことを頼みますね」と声を掛けました。 楽しいパーティーの後の何気ない一言でした。 車を見送り、家の中へ入った途端「俺のことで、相談事でもしていたのか」と暴れだしました。 当時は誰にも相談できず、ただ耐える日々だったので、その旨を伝えましたが止めることはできませんでした。 ぐずった子供を抱きかかえ、あやしていた私。 私には暴力をふるっても、子供には手をあげることはなかったのですが、その日は違いました。 殴る、蹴るの暴力が始まり、私は子供をかばうのに必死でした。 もう修復できない所まで来たんだなと。 子供を巻き添えにはできない。 命の危険を感じて、やっと気づきました。 翌日、夫が職場へ出掛けている間に、病院へ行きました。 子供は何とか守ることができましたが、私は全治1ヶ月の打撲。 何も言わなかったのに、医師には暴力とわかってしまいました。 「旦那さんかな?警察に連絡しましたか?」 涙がポロポロこぼれてきました。 「診断書を書きますから、誰か信頼できる人に渡してください」 ずっと帰っていなかった実家へ行き、全てを話しました。 夫婦喧嘩くらいで帰ってこないでよ、と言っていた両親でしたが、状況を把握して戻ってくるようにと言ってくれました。 夫からは何日か後に「どのように離婚の話し合いをするのか、早めに決断してください」とメールが来ました。 私の父は警察に被害届を…と言っていましたが、大ごとにしたくはなかったので、調停離婚の準備を進めることにしました。

DVシェルターとは?その知られざる実態と問題点 

DV(ドメスティックバイオレンス)とは、配偶者または内縁関係の間で起きてしまう暴力のことで、主に殴る蹴るなどの身体的暴力の意味合いで使われている言葉です。精神的暴力や経済的暴力、性的暴力などの意味合いを含む場合もあります。 その被害件数は減ることを知らず、年々増加が止まりません。 身の危険もあるため、起きてしまった場合はパートナーからただちに離れる必要がありますが、他の原因による別居や離婚などと違い、2人での話し合いがまともにできないので、簡単に別れられずに被害がエスカレートしていくのを耐え続けている人が非常に多いのが現状です。 私も実際、過去に7年近くDV被害を受けていた経験があり、日々エスカレートしていくDVに限界以上のものを感じて、ほとんど着の身着のまま家を飛び出すまでにはとても長い時間を要しました。 当時DVを受けている中で、色々調べていくうちに知ったDVシェルターの存在。 DVに悩む方は一度は耳にしたことがあるかと思います。 私は幸い実家に身を寄せることができたので、DVシェルターのお世話になることはありませんでしたが、緊急事態の時には利用するはずだった場所です。 ですが、DVシェルターについてはあまり公に語られることはなく、その実態を知らない人がほとんどだと思います。 そして、現在シェルターの運営には様々な問題が浮上しているそうなんです。 そこで今回は、このDVシェルターの実態ついて詳しくご説明するとともに、抱える問題点についても触れていき、DVに悩むみなさんの知識の1つになれれば…と思います。 そもそもDVシェルターとは? DVシェルターとは、DV被害者のためのいわゆる駆け込み寺のような場所で、加害者である配偶者から隔離し、保護する施設です。 シェルターには行政が運営する公的シェルターと、民間団体が運営する民間シェルターに分かれ、全都道府県に1か所以上存在しています。 どちらも保護だけでなく自立へ向けた相談やサポートなど、様々な援助をおこなってくれます。 また、所在地はすべて関係者、利用者以外非公開になっているため、加害者に見つかることなく安心して過ごすことができる施設なのです。 入所条件はその緊急性。 限界や危険を感じたら、配偶者暴力相談センターや女性サポートセンター、また警察などの公的機関に相談ののち、相談員の判断で入所が決定します。 公的シェルターと民間シェルターの違い 【公的シェルター】 <運営> 各都道府県、地区町村、警察などの公的機関 <利用料> 衣食住、相談料など基本無料 <利用条件> DV被害の緊急性有り、法的に夫婦として認められている妻 <滞在期間> 原則として2週間 <施設数> 各都道府県に1か所以上 <生活>  ・基本共同生活で他の利用者と相部屋の可能性もあり ・アパート・マンション型シェルターもあり ・携帯電話は没収され、外部との連絡を一切遮断 ・外出は一切禁止 ・食堂以外での飲食一切禁止 ・入所者1人につき1人の相談員がつく   公的シェルターでは一切その存在場所の秘密の徹底を図るために、行動や持ち物の制限があり、生活にほとんど自由がありませんが、衣食住から訪問弁護士への相談などの費用は一切かかりません。 また、およそ2週間の滞在期間内に ・住民票発行禁止の手続き ・お金がない場合、生活保護の手続き ・裁判所への保護命令の手続き代行 ・被害者実家への安全の配慮と保護命令後の支援調整を警察に連絡 ・離婚調停への手続き代行や弁護士の紹介 ・シェルター退所後の入居準備 ・就職口の紹介、あっせん ・子供の保育園、学校の手続き代行 など相談員が親身になってサポートしてくれます。 【民間シェルター】 <運営> NPO法人、社会福祉法人などの民間機関 <利用料> 1日1,000円程度かかるところもある <利用条件> DV被害の緊急性有り、事実婚や付き合っている段階の人でも利用可 <滞在期間> 制限はなし <施設数> 全国に115か所(平成28年11月現在) <生活>   ・老人ホームや児童養護施設の空き部屋を利用することが多い ・シェアハウス型も多い ・買い物も電話も基本自由(ただしDV夫への連絡や、居場所を誰かに教えるのは禁止) ・掃除や料理など当番制でおこなうことがある ・老人ホームなどの場合は、職員のお手伝いをおこなうことがある 色々な団体がそれぞれ運営しているため、施設や生活の形態も様々です。 利用料は無料…とまでいかない所が多いのですが、長期間滞在も可能なので、今後のことをじっくりと考える時間が持てます。 また、公的シェルターよりは自由もききますし、離婚へ向けてのサービスは民間シェルターの方が充実しているようです。 公的シェルターが抱える問題点 DVシェルター利用者は被害者なのに、自由なく制限だらけの生活に、まるで牢獄のようだと納得いかない人。 また避難はしたものの、まだ数日では離婚への心の整理がついていないのに、心理カウンセラーからとにかく離婚を強引に進められたり、シェルター専属の弁護士からは離婚の際のお金の話ばかりで、自分の気持ちを置き去りにされているような不信感を抱く人が多いようです。 原則2週間という短い期間で自立支援をしなくてはならないため、職員も入居者一人ひとりの気持ちを汲み取る余裕がないことが伺えますね。 民間シェルターが抱える問題点 <運営側が感じる問題> 民間シェルターの運営費用は、地方公共団体により大人1人につき7,600円、子供1人につき4,000円が支払われます。 これは裏を返せば、利用者がいないとお金が一銭も入らないことになり、DV被害者の命を守るためにほぼ365日24時間相談窓口を開いている施設にとっては非常に厳しい懐事情です。 また、もう1つ大きい問題があります。それは人員の確保です。 DV被害の多くが夜中におこなわれるとあって、24時間体制を取り続けたくても、2004年にDV防止法ができた当初からDV支援に立ち上がり働いてきた人たちの高齢化が進んでおり、50~70代が中心だと言います。 ですがいくら若者の人員を確保したくても、予算が足りない現状では難しい話。 このような状態が続けば、年々増え続けるDV被害者の命を、守れなくなってしまうかもしれないのです。 <利用者側が感じる問題> DV被害者のほとんどが精神的に非常に弱い状態に陥っています。 言い方を変えれば、誰かの救いを求めており、洗脳されやすい状態になっていると言えるでしょう。 そういった弱みに漬け込み、救ってあげるという話から怪しい宗教に勧誘したり、言葉巧みな話術に騙されて受給している生活保護を奪われたり、施設の利用料が払えなくなると風俗などで働かせるなどの違法行為がおこなわれている施設もゼロではないようです。 これは、場所や内容を他言しないという秘密主義な施設だからこそあり得てしまうのですが、そもそも入居者はこのようなことを事前に知ることはできませんし、一度洗脳されてしまえば抜け出すのは困難を極めるでしょう。 終わりに… いかがでしたでしょうか。 DVシェルターの詳しい内容がこの記事を通してお分かりいただけたかと思います。 私は最初、シェルターが公的や民間の2種類に分かれていること。 そして特定の施設で共同生活をするイメージだったので、マンションタイプがあったり老人ホームと一体化しているなど全く知りませんでした。 現在DV被害に悩んでいる方の中に、緊急避難先としてDVシェルターへの入所を考えている方が多くいらっしゃるかと思いますが、全く何も知らずに飛び込むのと、ある程度の知識があるのとでは違い、精神的な不安も少し軽減されるのではないでしょうか。 問題点はあれど、公的も民間もDV被害者の命を守ろうと動いてくれている、ありがたい施設です。 本当にお困りの方は、決して無理をして我慢せず、まずは公的機関に相談だけでもしてみてくださいね。

DV離婚後シングルマザーが住みやすい環境をDV離婚経験者が考えてみた!

離婚…。 そのほとんどが、パートナーとの夫婦関係が何らかの理由で破綻してしまったことにより、婚姻関係を解消することになったのだと思います。 となると、離婚後も「元夫婦」が一つ屋根の下に住み続けることは難しく、離婚するにあたり、まず考えなくてはならないのが「離婚後の住居」です。 ですが、一口に離婚と言ってもその理由は実に様々。 性格の不一致・不倫・借金・モラハラ・DV・セックスレス…。 最近では親族との折り合いが悪いことも離婚原因の上位に上がってきているようです。 ですから離婚理由が様々なように、きっと離婚後の住居や環境にも様々なケースがあることでしょう。 私はまだ娘が4歳の時、DV夫から逃れるために離婚をしました。 当然、円満離婚ではなかったので離婚調停中から離婚後も、元夫が仕返しのために私たちを探しに来るのではないかと、しばらくの間怯えて暮らす日々が続きました。 そういう経験もあって、離婚の中でもDVによる原因が、特にその後の住居選びに慎重になるのではないかと思ったのです。 それに子供がいるなら、子供のためにも1番ベストと思える環境を与えてあげなければいけませんよね。 ですから今回は、DVによる離婚時にどうしたら良いか迷っている子育て中のお母さんに向けて、今後住みやすい環境をいくつかご提案していきます。 別居・離婚時の住居は絶対に知られないようにすること
 まず、DVの場合は⦅離婚=逃げる⦆ことになると思います。 従って、子供と暮らす新たな住まいを相手にバレないようにしなくてはなりません。 ですから、子供がいる離婚に良くある、夫が出て行って自分たちが元居た家に暮らすことは絶対にできず、必然的に子供を連れて出ていくことになります。 しかも、家具家電や大荷物で出ていくことは難しく、最低限の貴重品と荷物…中には着の身着のまま飛び出さなくてはならないこともあるでしょう。 実家に帰る
 まず、あなたにとって実家が頼れる存在の場合。 一時的に子供と身を寄せる場にするのは良いと思います。 実際私も、離婚が決まるまでの調停中は実家に置いてもらっていました。 ですが実家で暮らすことは、多くのメリットとデメリットがあるため、分けて説明します。 実家で暮らすメリット
 ・子育てのサポートと経済面での援助を期待できる ・子供も自分も精神面で安心できる ・仕事が見つかりやすい 離婚時の精神的、経済的な不安を解消してくれる実家。 子供も自分のおじいちゃんおばあちゃんと一緒なら、安心して過ごしてくれるでしょう。 また、シングルマザーは子供の世話で残業ができず、病気やケガで休みが多くなるというイメージを持たれるため、就職活動に苦労するという現状があります。 その点も、祖父母の監護もあることが分かれば、採用される確率がぐっと上がるかもしれません。 DVが離婚理由ではない私の友人のシングルマザーは、実際にずっと実家で暮らし、仕事も順調で貯金も計画的にできているようです。 実家で暮らすデメリット
 ・DV夫に見つかりやすい ・つい過度に甘えてしまい、両親に負担をかけてしまう ・児童扶養手当(母子手当)がもらえない可能性がある ・保育園入園の優先順位が下がる DV夫がもし自分たちを探しにくる場合、まず実家を一番に疑うことでしょう。それを思うと実家に住み続けることは私たちには危険だと思いました。 また、当時父親はまだ定年前で母親もパートに出ていました。 ですから私が働くにあたり、娘を保育園に預ける必要があったのですが、通常、認可保育園入園の優先順位が上がるシングルマザーでも、実家に住んでいることでその順位を落としてしまいます。 また、働き口の少ないシングルマザーの助けとなる月額4万円前後の児童扶養手当が、両親のお金でも世帯収入が基準以上あったために、受け取れなくなってしまうことが分かりました。 そういった背景からも、調停が終わり離婚が決定してから私と娘は家を出ることにしました。(私たちがどこに居を構えたかは後程お話します) DVシェルター
 DVシェルターとは、DV被害者の避難施設で、場所は非公開とされております。 身の危険に緊急性がある場合、実家に頼れない事情がある場合、何より引っ越しどころか所持金がほとんどない場合など、DV被害を受けている人たちにとってシェルターはとてもありがたい存在であると言えます。 もちろん子供を連れて行って一緒に入居することができます。 DV夫から居場所を特定されることはまずありませんし、シェルター生活数週間の間に、自立支援まで行ってくれるのです。 ですが、はっきり言って自由は一切ありません。 居場所を特定されないために携帯電話は没収されますし、最近では増え続けるシェルター入居者の数に対し、施設の設備や管理が追い付かず、随分苦しい数週間を過ごす人も多いことが一部、問題視されているそうです。 また、子供もその間は保育園や学校に行けなくなり、突然知らない人ばかりの中での生活を強いられることにより、ストレスを感じてしまうでしょう。 しかし、DVによる離婚を決意したのなら、贅沢や綺麗ごとばかりは言っていられないはずです。 今後、子供と共に自分が幸せになる道を手に入れるためなら、一時的に辛抱することはやむを得ないと私は思うのです。 公営住宅
 シングルマザーの入居が増えている公営住宅。 民間の賃貸と比べてもその家賃はとても安く、所得制限はありますが、地域によっては母子家庭は入居者を決める抽選の優先枠に入れることもあるようです。 それに子供に優しい所も多く、公園やおもちゃのおいてある集会場が併設されている所も多いようです。 同じ境遇の方同士で情報交換ができたりして、心強かったりするかもしれませんね。
ですが、問題は公営住宅が大抵郊外にあること。 すなわち車を所有していないと、とても不便な場合があるのです。 実際、私が以前住んでいた地域の公営住宅の場合、最寄り駅までバスで15分強かかり坂道も多く、普通の自転車でもかなりつらい距離。 近くにコンビニやスーパーなどもありません。 また、浴槽や給湯器、カーテンレール(換気扇までの所も)も自費で購入しなくてはならない所も多く、初期費用も安いとは言い切れず…。 職場や保育園などへ通う車の維持費やバスの交通費が、月にどれくらいかかるのかある程度計算して検討した方が良さそうですね。 実家に近い民間賃貸物件
 実は、私はこちらを選びました。 こちらもメリットとデメリットが多くありますので分けて説明します。 実家に近い民間賃貸物件のメリット
 ・子育てのサポートが期待できる ・子供も自分も精神面で安心できる ・子供と自由に暮らせる ・DV夫に見つかりにくい ・保育園・職場が見つかりやすい 私は実家から2駅離れた場所に(徒歩で20分強の距離)1DKのアパートを借りました。 最初に挙げた、実家と同じようなメリットがありつつも、住民票に閲覧制限もかけ、DV夫から見つかりにくいことが何よりの安心材料になりました。 また、実家は近くにありつつも世帯が別なので保育園の優先度に影響はありませんでしたし、職場には「実家が近くにあるので、万一の時は見てもらえる可能性が高い」ことを強調することができました。 これは実家から遠く離れた場所なら叶わなかったことです。 実家の近くの民間賃貸物件のデメリット
 ・入居審査に通りにくい ・毎月の家賃や光熱費などの支出による負担が大きい ・つい両親に甘えてしまう まず、パートの給料と手当に頼る収入では、なかなか審査に通ることは難しいと言えます。 幸いまだ父親が現役でしたので、借主を父親に頼み、借りることができました。 ですが、やはり毎月の出費は本当に痛く、手当を貯金に回すことができるような、余裕のある暮らしは一切できませんでした。 つい親に甘えて、遊びや外食に連れて行ってもらうこともしばしば…。 それでも、自分一人で生計を立てて暮らしていくことは、自立して娘と2人で幸せに暮らすんだ!という自分が前向きでいられる活力になったのは間違いありません。 子供の転園・転校について 離婚を決意し子供の今後をどうするか悩む中で、良く耳にするのが 「親の都合で子供を転園・転校させるのは、可哀想」 という意見。 私は、決してそうは思いません。 確かに親のエゴです。子供にたくさんの我慢をさせてしまいます。 ですが、それはよりも劣悪な家庭環境に子供の身を置く方が、子供に悪影響を及ぼすと思うからです。 それから、転園・転校問題と同時に浮上する、子供の姓の問題。 もし同じ学校に在籍中に姓が変わったら、それこそ同級生からのからかいの対象になってしまうかもしれませんが、転校時に変更できればその問題はあまり関係ありません。 そういったことからも、子供の転校=可哀想とは一概に言い切れないと私は思うのです。 終わりに…
 以上が私の考える、DVによる離婚時にシングルマザーが住みやすい環境です。 おそらく離婚理由がDVでなかったり、子供がいない離婚の場合は、もっと選択肢が広がるのかもしれません。 そして結局は、どこに住んでもメリットに対し必ずデメリットも生じてくるので、自分がどこに妥協できてどこが譲れないのかを、きちんと明白にしておくことが大切だと思います。 辛いDVに耐えたあなたと子供の新しい人生は、毎日が新鮮できっと幸せだと思いますよ。

元夫からのDVのトラウマが消えない…その症状5つと解決策3つ

「配偶者暴力相談支援センター」の調べによると、平成26年にはその相談件数は10万件を越し、今なおその数は減ることはありません。 そしてその暴力によって深く心に根付いた傷は、仮にパートナーから逃れられたとしても、完全に癒えるには長い時間を要します。 私は出会ってから離婚するまで、実に7年間もの間、元夫からDVを受けてきました。 そして、離婚して今年で8年目。現在は心優しい男性と知り合い再婚もしています。 ですが、今なおその時受けた記憶は消えることがなく、たまに現れては私を苦しめています。 このようにDVによるトラウマに苦しんでいる方は、おそらく何十万人といることでしょう。 …今回は私が感じるDVによるトラウマの症状と、実際に試して効果的だったトラウマ解決方法についてお話します。 DVによるトラウマとは何か? 辛い目に合った時に、DV時の事柄がフラッシュバックしてよみがえったり、パニック障害や睡眠障害を引き起こしたり、いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症してしまうことを最近ではトラウマの一部として認識されています。 DV被害者にPTSDで苦しむ人は非常に多く、DVのように長期的に苦しめられる対人関係が原因の場合C-PTSD(Conbined:複合された)と呼ばれています。 DVをしている方も、一時の後悔はあるかもしれませんが、被害者のトラウマ症状との戦いは数年以上にも及びます。 誰かの心を傷つけるという行為はこれほどまでに残酷なことなのです。 私が発症したトラウマ トラウマ症状1.被害妄想 DVを受けている間「こうなったのはお前のせいだ」と言われ続けていた私。 そのせいか、離婚調停の時に調停員から少しでも責めるような言い方をされると、反論できずに自分の思いを相手に伝えることができなくなりました。 また、職場での人間関係はおろか、気の置けない旧友との会話の中でも「あの時、こういう言い方をすれば良かった」や「さっきの話、もしかしたらこう思われてしまったかな」など帰宅してからいつも些細な事でも後悔するようになり、人と会話したり接するのがとてもおっくうになります。 メールの返信も、相手に少しでも嫌な印象を与えないようにと、送信前に何度も読み返して言い回しを変えたりするので、とても時間がかかりストレスになりました。 また相手からの返信がない時には「何かいけないことを言ってしまったのではないか」と、返信が来るまでずっとそのことばかりが頭の中を占め、本当にしばらくは被害妄想の塊でしかありませんでした。 トラウマ症状2.DVの描写があると気持ち悪くなる ドラマや映画などが大好きな私。ホラーやサスペンスといったジャンルも好きで、いわゆる怖いものやグロい描写には耐性がある方だと思っています。 しかし、どうしても男性が女性に対して暴力を奮う描写だけは未だに駄目なんです。 お芝居だ、作り物だと分かっていても、気分が悪くなり絶対に直視できません。 もう元夫から受けた暴力と重ねて観ることはしていないつもりですが、不思議と涙が出てくることすらあります。 あまり自覚がありませんが、これがいわゆるフラッシュバックというものなのでしょうか。 トラウマ症状3.飲酒量が増えた 元々お酒は好きな方でしたが、元夫が毎晩浴びるように飲酒をする為、それが生理的に受け付けず、自宅ではあまり飲酒していませんでした。 なのに離婚後は毎日酔うまで飲酒しないと眠れない体質に…。 飲酒をすると、少し気が大きくなるのか、先述した被害妄想も少し緩和されます。 酔った状態で自然に眠りに落ちないと、あらゆる余計なことを考えてしまい、眠れなくなるのです。 唯一の救いは、私についてきてくれた娘の存在。 彼女を守る為、幸せにする為に私は働いて生きていくことが責任であり、使命なのだと常に思っていました。 ですから彼女がいてくれることで、自尊心の一線を越えることなく過ごせていたのだと思います。 もし独りだったら…お酒に溺れ破滅の道を進んでいたかもしれません。 トラウマ症状4.過呼吸 離婚後、今の夫と出会ってから、私の心はだいぶ穏やかな状態を保てるようになりました。 娘のことも心から大事に考えてくれて、このまま進んでいけば何の心配もなく幸せになれることは頭で分かっています。 しかし時々、突然自分が幸せになることが怖くなり、わざと彼に泣きながら八つ当たりするような態度をとってしまいました。 彼が逆上することは決してありませんが、心の何処かで、私は彼もまた豹変するのではないかと試していたのかもしれません。 八つ当たりした後は自己嫌悪でいっぱいになり、泣きが激しくなるのと同時に呼吸するのが難しく、このまま死ぬのではないかと思うくらい苦しくなりました。 その間彼は優しく背中をさすり続けてくれて、しばらくすると何事もなかったかのようにケロッと治るのですが、再婚前には時々このような情緒不安定になることがあり、夫や娘には随分迷惑をかけてしまいました。 トラウマ症状5.夢に現れる これも未だに私を悩ませる事象。 現在の私は仮に今後元夫に何をされても2度と屈しない。強く変われたのだと心から思っています。 しかし何の前触れもなく突然夢に元夫が現れて、私に暴力を奮う。シチュエーションは様々なのですが、決まって夢の中の私は過去の私と何も変わらず、諦めてその暴力を受け入れているのです。 結局私は、悔しいことに何も変われていないということなのでしょうか。 それにしても、こんな目覚めの悪い夢はありません。 冬でも寝汗をびっしょりかきながら、まるでドラマのように「はっっ!!」と目覚め、そして隣に寝ている夫や娘の姿を見て、涙が出るほど安堵するのです。 私が考えるトラウマの解決策 トラウマ解決策1.DV後に表れた症状は全てトラウマのせいだと認識する 人間関係が上手くいかない、突然イライラしたりネガティブになる、体調がいつも悪い、挙動不審になってしまう、また自分の中にある醜い部分が剥き出しになることもあるでしょう。 これら全ての症状は自分の性格なんかではありません。DVによる心の傷が生み出した症状なのです。 このように捉えるだけでも、心がずっと楽になると思いませんか。 1人で抱え込まずに、辛い時はカウンセリングなどを受け、第三者に苦しみを打ち明けてみましょう。 トラウマ解決策2.嫌な記憶を書き出し、その中から学べたことを考えてみる これはまさに、私が今行っている作業と言えます。 嫌な記憶を呼び起こすのは、とても辛いと思いますが、私の場合は書き起こすことによって第三者的な目線で遠くから自分の過去を見つめ直すことができています。 過去には、私が受けたDV体験だけを綴ったこともありますが、それらを通して皆さんにお伝えできることもたくさんありました。(私の書いた記事一覧) これらは実体験がないとなかなか人に伝えられないものだと思っています。 そう考えると、8年もたったから出来ることなのかもしれませんが、私が受けたDVは100%悲劇だけではなく、自分の成長に活かすことができていると思えるのです。 トラウマ解決策3.恋愛をする 全てのトラウマには当てはまらないと思いますが、DVによるトラウマの場合、恋愛をして過去の男性から受けた嫌な記憶を上塗りするのも良いかもしれません。 実際に私は、ありがたいことに今の夫に出会って心が救われ、トラウマと思われる症状がどんどん軽減していきました。 お前は駄目な奴だと毎日のように罵られ、本当にその通りだと思い込んでいた日々。 それが、今の夫が私を必要としてくれていると思える事によって、自分に自信がつき、以前よりも前向きになれたのです。 先述したように、自分を駄目な人間だと思う事はDVによるトラウマ症状であり、絶対にそんなことはあり得ません!! まずは怖がらず、他人に心を開くことから始めてみませんか。 
終わりに いかがでしたでしょうか。 この解決策は、あくまで私が実行してみて実際に楽になったと思われるものです。 人の心に受けた傷の癒し方は人それぞれですし、他にもたくさんあると思います。 どうか無理をして実行しようとなさらずに、ご自身のペースで、あくまで参考程度になさってみて下さいね。

DV夫の原因は義母にあると思った理由5つ!甘やかす教育の失敗

愛しているはずのパートナーに対し、一方的に暴力や暴言を浴びせるDV。 一体なぜこのような酷い行為をしてしまうのか…。 生まれつき暴力的な性格とは考えにくいですが、幼少期の育った環境によってその人格が形成された可能性があるかもしれません。 私は、過去の結婚で元夫から暴力DV、精神的DV、金銭的DV、性的DVを受けていました。 全く同情はできませんが、彼は時に悔しそうに涙を流しながら暴力を奮っている事があり、自分でも何故このような事をしてしまうのか苦しんでいるようにも見えました。 そして、これは随分後になってから思い当たったことなのですが、もしかしたら彼の攻撃性や暴力的な性格を形成した原因の1つに、義母の育て方や言動が関係しているのではないかと思ったのです。 …今回は、私が何故義母に原因があると思ったのか、その理由についてお話します。 その1. 金銭面で甘やかす義母
 私が20歳の時に出会った元夫。年齢は14歳も離れていたので交際当時は30代半ばでした。 一人暮らしや以前の彼女との同棲経験もあったようですが、趣味の釣りや車、嗜好品のお酒・たばこなど、自分の働いた給料は全部自分の好きに使いたかった彼は、30歳を過ぎてから実家で母親と二人暮らしを始めます。 持ち家なのでもちろん家賃はかかりませんし、食費も支払っていなかったよう。 それに加え、驚いたことに車の税金や保険料、携帯代金など、家に届く息子の請求書は、義母が何も言わず当たり前のように支払ってくれていたそうです。 よって自分の使える毎月のお金も増え、それに甘えた生活をしていましたが、過去に家を出た経験から「自分は自立している人間だ」という自信があり、母親と一緒に住むことにより、逆に自分が面倒をみてあげているという錯覚に陥っているようでした。 ですから、いざ私と暮らす事になった時、今までのようにお金が使えない不自由さや負担からか、自分が毎日とても我慢していると思っていたようですし、実際何回も口にしていました。 結果、私を金銭面で縛ることで、同じ不自由さを味あわせようと金銭的DVが始まってしまったのだと思います。 再び一緒に暮らせて嬉しい気持ちは分かりますが、せめて30代半ばにもなる息子に、自分にかかるお金は自分で支払うことの責任を義母が持たせてくれていれば…。 結婚によって、ここまで自分の生活が犠牲になるという考え方に至らなかったのではないか…と思えるのです。 その2.何も言えない義母
 これは実際に私が見た話ではありませんが、元夫が自慢気に話したエピソード。 元夫の実家は、高齢者が多くご近所付き合いも盛んな地域。 毎日のように家にお隣やら真向かいやらからご近所さんがやってきて、交流を深めています。一緒に暮らしていた元夫も、ご近所さんから見たら親戚の子供くらいの感覚なのでしょう。 ある日元夫が仕事から帰宅したところ、玄関先で義母と近所のおじさんが話し込んでいたそうです。おじさんは彼に対し、 「お帰り―お疲れー!!」 と声をかけたそう。 その途端、旦那は、 「俺はお前の息子でもなんでもないのに、その口の利き方はなんだ!!ここは人の家なんだからお邪魔してますだろうが!!ジジイのくせに礼儀もしらないのか!!」 とブチ切れ、言葉で謝られるだけでは気が収まらず、義母の目の前で土下座させたそうです。 その間義母は、黙ったまま。 元夫はこの行為を親から1ミリも否定されていないので、自分が正しいと思って、私に自慢したのです。 年上だろうがご近所だろうが、間違った事をした人を正せる自分、凄いだろと。 母親の事はマザコンかと思うくらい大事にする元夫でしたので、義母に対しては暴力やモラハラ発言はしていないはずなのですが、義母は息子の考えやする事には何も言えないのです。 ですから、自分の正しいと思った事を力を使ってでも押し通すDV精神が、親の元で着々と育っていってしまったのだと思います。 その3.すぐ人を非難する義母 私なんて、義実家には月に1回ほどしか訪れないにも関わらず、「近所の誰があんなことをしていた」だの「親戚の〇〇は、こんな所が欠けている」だの、数時間のお茶タイムの大半は人の悪口です。 義母は物が捨てられないタイプで、片付けや掃除がとても苦手でした。 ですから私が義実家へ行くたびに、出来る限り整理整頓をして、義母が家の綺麗を保てるようにお手伝いしていたんです。 本心は、乳児の娘を連れて義実家へ連れて行くのに、衛生面が気になるからなのですが…。 それなのに、「〇〇の家は古いから、ホコリっぽくて汚い」などと言う事も平気で言います。月1の私ですらうんざりするほどの人の悪口。 元夫に当時それとなく聞いてみると、昔からそうだから…と特に気にしていない模様。本来、人様の悪口は言うものじゃないよと教えるべき母の立場。 そんな家庭環境で幼少期から過ごしていては、知らず知らずのうちに人を見下すようになって、当たり前だと思います。 その4.過保護な義母
 金銭面に限らず、とにかく過保護な義母。 義母とのおしゃべりの中で、元夫の子供時代の話を聞いた時、少しぞっとしました。 元夫には兄が1人いるのですが、義兄はしっかり者で手がかからず、何も言わなくても成績優秀な優等生タイプ。 それに比べ、元夫は幼少期からやんちゃで甘えん坊。義母にとっては手がかかる元夫が可愛くて仕方なかったのでしょう。 欲しいものは何でも買い与え、気に入らないことや、したくない事は一切させない。それが元夫に合った育て方だと思っていたそうです。 しかし甘やかされ自由に育った元夫は中高生になると、悪いグループとつるみ出し何回も補導され、義母は警察や学校に頭を下げる日々だったそう。 そんな元夫は優秀な義兄に対してコンプレックスを持ち、それを見ていた母親はそんな元夫が可哀想で、数々の非行も悪いのは息子ではなく、全て親の責任だと周りに謝っていたそうです。 子供の頃からこれほどまでに母親からいつも守られていれば、常に自分が一番で他人を尊重しなくなるのは当たり前のように思います。 ですから、 自分の悪い行い⇒母親のせい⇒自分は悪くない という図式が自然に身に付き、何事も正当化し責任転嫁をするDV夫を製造してしまったのだと思います。 その5.義母の弟の存在
 義母は7人兄弟の真ん中で、両親や年の離れた兄は戦後間もなく亡くなってしまったそうです。 そのような環境ですから、残った兄弟で団結し生き抜いていた為、兄弟の結びつきはとても強く、それぞれの配偶者より兄弟を優先するくらい、とても大切にしています。 その兄弟愛はとても素晴らしい事だと思います。 そのうちの1人である義母の弟(以下叔父さん)は建築会社の社長をしていて、その地域では権力もある方です。 義実家からもほど近い場所に住んでいるので、私たち家族の事も、よく気にかけてくれていました。 ですが、叔父さんは大事な姉の息子である元夫が可愛くて仕方ないようで、先述した元夫の補導の身元引受人も数回引き受け、今では考えられませんが顔を利かせて大事になるのを回避させたりしてあげたようです。 また私も大変お世話になったのですが、私たちが結婚して2DKのアパートで暮らしていることを知った叔父さんは私たちを不憫に思い、もともと社宅だった一軒家を私たちに格安で貸してくれました。 そして40歳近くなった元夫に毎年破格のお年玉を渡していました。 もちろん叔父さんは、家族3人の為に渡してくれているのですが、金銭的DVのある夫が家族の為にそのお金を遣うわけがありません。 …このように義母の弟までが元夫の行いを全て認め、甘えに甘やかしていたのです。 終わりに…
 このように私の元夫の止められないDVは、そもそもの家庭環境が原因のように感じました。 何不自由なく育ってきた人が、好きになった人を手に入れ、いざ結婚となった時に思い描いているように事が運ばないと、そのたびに感情を爆発させてしまうのです。 何故、時に涙を流しながら暴力行為に及んでいたかというと、きっと義母に我慢をする事を教えてもらえず、暴れる方法しか知らない自分を悔しく思った一瞬だったのかもしれません。 DV夫を最初から見抜くのはとても難しいものです。何故なら最初はとても優しく、付き合うにつれ徐々に本性を現していくのですから。 けれど、結婚前に義実家を訪れた際、少し義母との関係を観察してみて下さい。 何か異変を感じることがあったら、それはDVへの伏線かもしれませんよ。

お前はダッチワイフなんだよ!…私が受けた性的DVを告白します

数ある夫婦間の悩みでも、性に関しての悩みは人に相談しにくいもの。 パートナーとの合わない性癖やセックスレスについては良く耳にしますが、みなさんは性的DVという言葉がどんなことを意味するのか知っていますか? 私は、5年に及ぶDV夫との結婚生活の中で、夫から同時に性的DVも受けていました。 離婚して7年経ちますが、もちろん誰にも話したことはありません。 今回は、「自分の受けているこの嫌な行為は性的DVなのではないか?」と感じている方に、性的DVとは何かについての説明。 また、もし私と同じように「性的DV」で悩みを抱えている方がいらっしゃったら、どのように対処したら良いのかのメッセージなど、私の体験を初めてここでお話したいと思います。 ※最初に1点だけお伝えしておきたいのは、これより先は女性が読むにあたり、とても辛い内容も含まれています。興味本位だけで読み進めることはお薦めできません。 それを了承していただいた上で、性的DVへの理解を深めていただけることを願っています。 性的DVとは まず始めにお伝えしたいことは、「同意のないセックスは性の暴力である」ということです。 肉体への負担と精神的にも傷がつくこの行為は、相手から受けるDV以外の何物でもないと思います。 ただ今一つ認知度が低いのは、被害を受けている女性がその悩みを人に相談しにくいこと。 その一番の理由は恥ずかしいからではなく、嫌がっていても自分が結果的に受け入れてしまっているので、同意とみなされるのではないかという、後ろめたさからです。 さらに性的DVは、「断っているのに強制的に行われる性行為」そのものだけを指すのではありません。 ・嫌がっているのに、無理矢理アダルトビデオやポルノ写真を見せる (またはアダルトビデオと同じ行為をするよう強要する) ・中絶を強要する ・頼んでも避妊をしてくれない このようなことも性的DVに該当するのに、知らない人が多く、悩みを抱えたまま苦しんでいる人が多いのが現状です。 …以下にお伝えするのは、私が受けた性的DVの数々ですが、当時の私はこれがDVであるとは思っていませんでした。 私が受けた性的DV① 中絶の強要
 このことは人に話したことはほとんどありません。 私は元夫と結婚前する前に、1度妊娠したことがあります。彼は14歳も年上で、交際時に結婚の話も出ていた為、当然産むものだと思っていました。 しかし、いざ妊娠を打ち明けると 「今はまだ結婚の時期じゃないから、堕ろしてくれ。」 それに対し、しばらくの間私が拒否していると、 「じゃあ俺が腹蹴ってやるよ」 と、脅すのです。 情けない話ですが、まだ1人で育てる勇気はなく、堕胎を決意せざるを得ませんでした。 この時、私のお腹に宿った命のことは、今でも頻繁に思い出されますし、エコー写真も今も大事に持っています。 今後一生忘れることのできない後悔でしょう。 …そして中絶手術を終え、病院から戻った私が家で泣いていると、 「俺への当てつけか!!どうせ演技なんだろ!!」 と罵ったのです。 この時はまだ手術後で痛みもあり、心にも相当ダメージを負っていたのにも関わらず、泣くことすら彼を責めることになるようで、許されませんでした。 結局このような事があったのに、その後も全く避妊をしてくれず半年後、再び妊娠しました。 前回の手術からたった半年しか経っていないこともあり、私の身体に危険が及ぶため、夫は渋々結婚と出産を承知してくれました。 そんな無責任な相手とのセックスは拒否しろ。または早く別れろ。と、思うかもしれません。 私も今思えば、そうしなくてはならなかったと思います。 けれど当時の私は、威圧的に支配される事が、愛されているという事なのだと歪んだ解釈をしていたので、逃れることも拒否することもできませんでした。 私が受けた性的DV② 産前・産後のセックス 妊娠中も安定期に入れば、無理のない範囲で性行為を行っても良いと言われています。 ですが、そうは言っても妊娠中の体調の変化は激しく、体調の優れない日の方が多かった私は、とてもそんな気分になれませんでした。 また、産後も大体1か月後から可能とのことですが、昼夜問わずの授乳やおむつ替え、会陰切開の傷口の痛みや怖さから、夫には申し訳ない気持ちもありましたが、やはり気乗りはしません。 ですが、夫はいくら私が拒否しても「嫌よ嫌よも好きのうち」理論を振りかざし、自分がしたい時に強要してきます。 痛みがあったり、途中お腹が張ったりしていることを伝えても、絶対に中断してくれません。 
産前ではお腹の赤ちゃんに影響がないかの心配。産後では全く気持ちがついていかず、時には涙を流しながら耐えていました。 私が受けた性的DV③ 子どもの真横で… 不眠気味だった夫は、夜中の物音一つにも非常に敏感で、睡眠を妨害されることを極端に嫌います。 ですので、寝室は夫の部屋と私と子供の部屋と分けており、夫婦生活は、寝る前の雰囲気や誘われた際に、夫の部屋で行うようにしていました。 ですが、たまに深夜3時くらいに寝付けなくてイライラしているのか、私と子供の部屋にそーっと入ってきて乱暴に襲ってきます。 自分が寝られないのに、私が熟睡していることもイライラを増幅させているのでしょう。 赤ちゃんの時ならまだしも3、4歳の子供の寝ている隣で行為が行われるのです。 拒否して怒鳴られて子供を起こしたくないので、従うしかないのです。 それに、もう一人なんて絶対望んでいるはずがないのに、相変わらず避妊もせず、また妊娠したらどうしようとその事が常に頭をよぎっていました。 私が受けた性的DV④ 人間以下の扱い   結婚生活が進むにつれ、DVもさらに激しく頻度を増していたある日。 またもイライラしていたのか、無理矢理始めようとしてきました。 これだけ毎日のように罵しり、暴力を奮い、私の事なんてもう愛しているはずがないのに何故こういう事をするのか。と、泣きながら尋ねました。 すると夫は 「お前としてるなんて思っていない。ずっと他の女を想像しながらやってるんだよ!お前はダッチワイフなんだよ!!」 
と言い放ったのです。 こんな屈辱的なことはありませんでした。 それからのセックスは、ずっと後ろ向きのまま顔が見えないような体勢でしか行われませんでした。 これは、私が離婚を決意し子供と家を出るまで、半年以上続きました。 性的DVに遭った私からのメッセージ
 性的DVは数あるDVの中でも、離婚の理由として認められることが困難な案件だそうです。 何故なら、身体的に受ける暴力とは違って証拠の確保が難しい事。 また調停などになった際も、被害者は細かい内容までなかなか言い出せず、逆に加害者は「結局は受け入れているのだから合意の上だ。」と言ってしまえば、第三者もそちらの言い分を取るしかないからです。 自分が拒否している証拠を残すには、録画や録音しかないかと思いますが、自分のセックスの内容を第三者に聞かせるのは、かなり抵抗があると思うので、有力ではありますが私からみなさんに薦める事はできません。 だとすると、どうするのが一番いいのか。 まず電話でDV相談窓口や、女性の悩み専門の窓口などに相談することです。 顔が見えなければ話しやすくなりますし、調停や裁判ではないので、抽象的な表現をしても許されます。   また、自分の状況がDVに該当するのか?という不安や疑問も相談することで的確なアドバイスをしてもらえます。 なにより心強いのは、被害の中で孤独だった自分に味方ができるという事と、今後どのように行動したらいいのかの道しるべを示してくれることです。 私は、身体的暴力のDV・精神的DV・金銭的DVそして性的DVを受けてきましたが、女性の性を軽んじて扱う性的DVは、絶対に許せません。 体も心も同時に傷つくのは女性だけなのですから。 だからお願いです。 今現在苦しんでいる方はそれ以上傷つくことのないように、まずは知らない遠い誰かに打ち明けてみてください。 そして、このような酷い事が今も世の中でたくさん起こっているという事を、理解していただければと思います。

DV夫とのスムーズに離婚する為にやるべき準備4つ(7年間のDV被害から離婚した女性の発信)

今や3組に1組の夫婦が離婚しているこの時代。 数ある離婚の理由の中でも、DVによる離婚は厄介です。 何故なら、感情を自分でコントロールすることができず、いつでも自分の行いを正当化するので冷静な話し合いができる相手ではないからです。 それに、逆上してさらなる暴力を奮われる危険があるので、話し合いには第3者を同席させる必要があります。 そうなると協議離婚は難しく、調停や裁判になる可能性もあると考えるべきでしょう。 私は、付き合っていた時から数えて7年間のDV夫との生活から逃げ出し、離婚しました。 別居が突発的だったこともあり、離婚に至るまでは行き当たりばったりなことも多く、色々と苦労がありました。 ですが、今なら事前に何をしてどのように動けば、もっとスムーズに事が進んだのか分かる気がします。 ですので今回はこれから離婚を考えている方へ、私の経験を踏まえてどのような準備をすべきなのかについてお話します。 離婚準備1、DVの証拠を日頃から集めておく
 調停や裁判を想定した場合、まず重要になってくるのがDV被害の証拠集めです。 【DV被害の証拠集めの例】 ・暴力を奮われた際のケガや破損した家具や壁などの写真 ・病院に行った際の医師の診断書 ・DV内容を詳しく記した日記 ・DV最中の暴言などを録音した音声 など離婚に向けて動き始める前に、できるだけ沢山証拠を集めておきましょう。 私は、元夫から携帯電話を数台壊されていたため、あまり写真を残せませんでした。ですから早めにプリントアウトをしたり、SDカードに保存したりしておくことをオススメします。 また日記をつけていないと言う方は、後から思い出して書いたものでも有効だそうです。私は起きた出来事を、時系列にまとめたレポートを作成し調停に臨みました。 そして何より強い証拠になるのが医師の診断書です。小さな怪我でもなるべく病院に行き、診断書を作成しておきましょう。 離婚準備2、家を出る際の荷物セットを用意する 私が突発的に家を出て一番失敗したと思ったのは、荷物に関してです。 事前に準備をしていなかったため、最低限の着替えと財布、手帳程度しか持ち出せませんでした。 離婚が決まってから、荷物はめちゃくちゃに段ボールに入れたものが実家宛てに送られてきましたが、子供の母子手帳、へその緒や写真は入っておらず、おそらく二度と手元に戻ってくることはないでしょう。 そういった経験から事前に荷物を用意しておくことをオススメします。 それにDVの被害から身を守るため、計画より早い段階で、私のように突発的に家を出なくてはならない可能性も十分あり得るからです。 【家を出る際の荷物リスト例】 ・数日分の着替えと下着 ・現金とキャッシュカード ・子供と自分の名義の通帳・印鑑 ・健康保険証・母子手帳 ・免許証・パスポート ・子供の生活必需品(薬やオムツ、ミルクなど) ・子供と自分の大切なもの(子供のお気に入りのおもちゃや写真、自分の宝物など) これらを準備し、ひとまとめにしておきましょう。 ただし、絶対にDV夫にバレない所に隠しておくか、信用できる友人などに預けるようにしてくださいね。 離婚準備3、周りの人や機関にDV被害を話しておく 私は、自分がDVに遭っていることをほとんど人に話していなかったので、いざ家を出た際に職場や同僚、友人などへの説明を一からするのは大変でした。 それにそこで私も知らなかった離婚に向けての情報なども教えてもらったので、もっと早く人に相談していれば、ここまで我慢する必要がなかったと思っています。 また友人へ相談した際のメールやラインなどのやりとりも証拠の一つとして提出できるそうです。 それから、もし身近な人に相談することに抵抗がある場合は、居住している地域にある配偶者暴力相談支援センター、役所の市民(区民)相談窓口、警察の相談窓口などに相談に行きましょう。 今後に向けての的確なアドバイスがもらえる他、来所記録を残すことで、離婚したいという気持ちの強さが明確になり、調停や裁判の際に事が有利に動く可能性が高まります。 そして何より、背中を押してくれるので行動を起こしやすくなりますよ。 警察に相談する際の注意点
 ちなみに私は、夫からのDVで身の危険を感じた時、110番通報をして警察に自宅まで来てもらったことがあります。 その時事情を話した警察官から、 「旦那さんは否定しているけどどうする?傷害罪になるから被害届出してもいいけど、旦那さんと2度と元のように戻れなくなるし、お子さん可哀相じゃない?」 と言われました。 私はその投げやりな対応が怖くて、その後の行動をためらってしまいました。 きっとこのような夫婦間トラブルはたくさんあり、私がいくら訴えても夫が否定している限り大事にはしたくなかったのでしょう。 今思えば、以前から相談窓口などに相談し記録を残していたら、もっとあの時親身に対応してもらえたのではないか…と感じています。 私が受けた対応はきっとたまたま悪かっただけで、最初から丁寧に対応してくれる警察官もたくさんいると思いますが、やはり事前に記録を残しておくことは重要だと思っています。 離婚準備4、今後の住まいや仕事について考えておく 夫婦が別居をする際、別居先としてまず自分の実家が思い浮かぶかと思いますが、相手がDV夫の場合実家にずっといるのは非常に危険です。 何故なら、夫は当然自分の実家の場所を知っているので、離婚に納得できない場合連れ戻しに来たり、報復しようと押しかけたりする場合があるからです。 DV被害者が一時的に避難できるシェルターもありますが、いられる期間も決まっているので、やはり自分で離婚をするにあたり、今後どう生活の基盤を固めていくべきかシミュレーションする必要があります。 【別居・離婚後の動きで検討すべき例】 ・どこで暮らすか ・仕事はどうするのか ・生活費はどのくらいいりそうか ・行政の支援はどのようなものがあるのか ・年金や健康保険は? このようなことはざっくりでもいいので書き出しておきましょう。 ちなみに私は子供を連れて一時的には実家に帰りました。 しかし、やはり夫が押しかけてくる可能性があることが怖くて、実家に近い場所にワンルームの安いアパートの一室を借りて、そこで娘と暮らすことにしたのです。 そして当時資格も職歴もろくになかった私は、役所の子ども家庭課の相談窓口へ行き、色々な手続きをしながら家庭の状況を話しました。 そこで職員の方に職業訓練を紹介してもらい、半年間通いながら就職に向けていくつか資格を取得することができました。 このような制度があることも、離婚して初めて知ったことです。 また月に2人でどのくらいのお金が必要で、行政からの支援は何がどのくらいあるのかなど、一切分かっていなかったので、初動が遅れ生活の基盤がなかなか固まらず、両親などにとても迷惑をかけてしまいました。 また、娘の保育園もどのような園がどこにあるのか一切分からず、一から調べることになったので申請も手間取ってしまいました。 離婚をすることを決めたなら事細かくなくてもいいので、今後一人もしくは子供との生活を早く安定させるために、住む場所の候補と、ある程度その地域の情報は仕入れておくべきだと思います。 終わりに… いかがでしたでしょうか。 DV被害に遭われている方の中には、いわゆる経済的DVも受けていて働けなかったり、お金を全て管理され、逃げるための資金がなかったりして離婚自体を諦めてしまっている方もいるかと思います。 でも決して諦めず、各支援センターなどに相談してみてください。離婚に向けて役立つ的確なアドバイスが貰えるはずです。 また、残念ながらDVによる暴力は治りませんし、傷害罪という立派な犯罪です。 かつては愛していた人なので、情で暴力がいつかおさまるのでは…という期待を持ってしまうことも痛いくらい分かります。 しかし自分や子供がDV夫と長く暮らせば暮らすほど、より暴力がエスカレートする危険が高まるのが現実です。 何よりも自分や子供の身の安全を一番に考え、今から動き出す準備を始めましょう。

結婚後に2000万の借金判明!血が出るほどのDVと夜の世界へ売られる私…

私が結婚したのは10年前。 結婚生活には8ヵ月で終止符を打ちました。この8ヵ月という結婚生活は、短いのか、長いのか。 思い出せば今でも吐き気のする8ヵ月は、あなたの目にはどう映るでしょうか。 若すぎて「自分の見る目が無かった」とは思いつつも、本当にあった、自虐を含めたお話を。 出会いはバイト先の店長 夫と出会った時、私には付き合っていた彼氏がいました。 とても優しく、思いやりのある彼でしたが、同時に退屈も感じていました。そんな時、新しく始めたバイト先の店長が、自分の好みにドンピシャ! 彼と別れ、枷の外れた私は新しい恋に没頭していきました。 付き合う事と見えてきた事 「恋は盲目」とはよく言いますが、今考えると彼はギャンブル依存でした。 仕事中でも休憩中でも、暇さえあれば近所のパチンコ屋に行ってスロット。1~2時間帰ってこないという事はざらでした。 それでも、絶賛片思い中の私は 「付き合って私が変えてあげればいい!借金は無いって言ってるし、小遣いの範囲でやってるならそれで良い!」 なんて、何ともお花畑な思考。 熱心な私に、彼の心も動かされたのか、はたまた都合の良い女と思ったのか、付き合う事に。この時が、私の幸せの絶頂でした。 同棲そして子供を授かる 付き合ってもギャンブル漬けの彼。 仕事が忙しいのは、同じ職場の私も分かっていました。休みが無いのも知っていたし、デートは出来ないけれど職場で一緒なので幸せでした。 付き合って程無くして、一緒に住む様になった私達。そんな中、避妊をしていたにも関わらず妊娠。 体質なのか、彼は精子の量が尋常じゃない位多く、コンドームからもはみ出る時がありました。 最初はびっくりしたけれど、新しい命を授かった事に、私は本当に喜びを感じ、彼に話すとケーキを買って帰ってきてくれました。 彼も喜んでくれている!と感じた私は「ギャンブル癖も子供が出来れば変わるかも!」と期待をしましたが、その思いが崩れ去るのは、そう遠くない未来に起こります。 100万の借金があるという彼!でも本当は… 子供ができ、双方の親にも挨拶を済ませた後、入籍を1ヵ月後に控えた私の元に1通のハガキが… それは、カードローンの返済が遅延しているというハガキでした。 彼に問い詰めた所、ギャンブルで作ってしまった借金だという事。 100万ほど借入していて、月に2万程返済しているという話でした。 私は「やりくりして全額返済してあげるから、通帳とカード、借入の証書をちょうだい」と言いましたが、渡されたのはカードのみ。 実は2000万の借金があった!! 翌月の給料日。通帳には25万が振り込まれました。 返済2万円を差し引くと残高が30万になっているはずでしたが、、、朝9時にATMへ行き、残高照会をしてみると、残高なんとたったの7万!!  なにが起きた、これじゃ家賃払って終わりじゃないか。 彼に事情を説明すると、実は借金が200万あるという。 返済金は3万と言う事だが、それでもまだ足りない。 これはまだ何かあると思い、何としても全容を把握しなければと思った私は「絶対返済してやるから、もう早く通帳よこせ!」と強く言うと、しぶしぶ通帳を出してきました。 記帳して出てきた事実は ・月の返済は総額18万 ・カードをもう1つ作っていて、そこから自分の使う分を引きだしていた と言う事。引きだしたお金は全て、スロットに当てていたそうです。 200万で返済18万はおかしいと思い、彼を突き詰めると、なんと10倍の2000万の借金が!! もう自己破産のレベル。一晩悩んだ私は、ある行動を起こしました。 義母(彼の母)との話 翌日、私は一人で隣県の義母の元を訪れました。もう私の手に負える話では無い。彼は長男で、私は先方に嫁ぐわけだからこのままでは顔向けが出来ない そう思った私は、事の全貌を義母へ相談する事にしました。 すると義母は泣きながら「苦労をかけて申し訳ない。私と義父で肩代わりをするから、毎月可能な額を返済してくれればいい。家賃も高いんだから、うちへおいで」と言ってもらえました。 私と義母義父の関係は良好だったので、実家に入る事に抵抗は有りませんでした。 「ではすぐに引越しの準備をします。ご迷惑をおかけしますがどうぞ宜しく」と、その場を後にしました。 帰り道夫に「今日は大事な話があるからすぐ帰ってきて」とメールをし、帰路につきました。 これが本性!元夫から殴られ蹴られの暴行をうける その日の夜。彼が返ってきたのは深夜1時。その時間から、義母の元へ行ったことを話しました。 その瞬間、私の視界は揺らぎ、閃光が光りました。 後から裂ける様な額の痛みが訪れ、フローリングは瞬く間に血が広がっていきます。 殴られたのだ、と遅れて気が付きました。 「俺が今まで何で母に言わなかったか分かるか!心配させるからだ!」 と言い、彼は私の上半身を殴り、蹴り続けました。 時間にすれば10分程度でしたが、もうどうしたらいいか分からず、ごめんなさい、ごめんなさいと泣き続きました。 続く暴行…毎日30~1時間は殴られる日々 暴行はその日だけでは収まらず、彼が帰ってきた後30分~1時間程度毎日続きました。 私は、父のいない家庭で育ち、だからこそ、父母ともに五体満足に揃っていた方が良いのでは、と思い、それに耐え続けました。 私だけが我慢すればいいのだと。1ヵ月ほど経ったある日。 デートへ行こうは嘘だった…"売られる私"そして逃げる 彼からデートに誘うなんて、付き合ってから初めての事。と言うか、デートらしいデートをした事が無かったので、私は有頂天になっていました。 どこに行くの?と聞いても秘密。 表に出るとタクシーがとまっており 「あぁ、タクシー移動なんて、妊婦の私を気遣ってくれているんだ。なんだかんだ言っても私は愛されている。彼はきっと変わる」 と脳内お花畑で浮かれていました。 とある駅の閑散としたビル街。ビルとビルの間でタクシーはとまりました。 (こんなところで何するんだろう。)と思う私は、まだ幸せの絶頂にいました。 彼「あそこのビルの入り口の前、黒いスーツの人いるやろ?」 私「おるね」 彼「あっちへ向かって歩いて行って。俺金払ったら降りるから。」 荷物を持って降りようとすると… 彼「あー荷物は俺が持つよ。重いもの持ったらいけん」 この人はなんて優しいのかと思いました。えぇ、本気で思っていました。 タクシーを降りた瞬間、間髪入れずにドアがバタンとしまり、夫を乗せたタクシーは過ぎ去っていきました。 「え..なんで??」と思う私にスーツの人が、私の方へ話しかけてきました。 そう。私は売られたのです。借金の一部と引き換えに。 乗ってきたタクシーは、タクシーでは無く送迎用の車で、無知な私は本当にこんな世界があると思わず、割とのんきに構えていましたが、逃げない様、部屋で裸足にされた時に、血の気が引いたのを覚えています。 黒服から逃げる私!そしてまた同じ元夫との生活へ… 黒服のすきを見て、非常口から飛び降りました。メチャクチャに走ってタクシーに乗り、県をまたいだ信用できる友人の元へ逃げました。 メーターはどんどん上がり、15000円を過ぎたころ、運転手さんが「おじょうちゃん、泣くな」と言ってメーターを切ってくれました。 私は友人にタクシー代を借り、その足で実家へ帰る事に。親にも何も話さずいた3日後、「悪かった」と言って彼が迎えに来ました。 「もうあいつらとは話を付けた。もう行かなくて良い」と。 そして私は、また彼を信じたいと思い、同じ生活へ戻っていくのです。 離婚の決意! 帰宅後、自分の血で汚れたフローリングを掃除しながら、ふと思いました。 私は片親で育てられたが、愛情が足りないと感じた事は一つも無かった。  片親でも、自分次第で何とかなるんだ。 それに、こんな父親はいるのだろうか。と。もし子供に手を出す様になったら? それだけはダメだ。私の子供。私の宝物。絶対に守らなければならない。彼の元を離れる決意を固めました。 自分の足を折ってまで挑んだ「離婚を前提とした結婚計画」 この時点で、まだ籍はいれていませんでした。 このままいれずに別れる事も出来ましたが、子供が大きくなった時、自分で色々な事を選択出来るように、籍をいれて認知はさせなければいけないと思いました。 幸いにも彼は、私との結婚を嫌がっていなかった為、この時点で「離婚を前提とした結婚」の計画をスタートさせました。まず、籍をすぐに入れ、その後は出来るだけ彼と一緒の時間を過ごさない様に気を付けました。 何かにつけて理由をつけ、自分の実家へ帰りました。それでも、あまりしょっちゅう帰っていられないので、妊娠5ヵ月の時、私は意図的に自分の足を折りました。 正確にはヒビを入れたのですが、妊娠中で骨がもろくなっているという事もあり、全く歩けなくなってしまいました。 私はこれを狙っていました。実家に戻る際、車いすを持って迎えに来た私の親戚一同は、見送りにすら来ない彼に対して不信感を募らせ、その時点で私は、全てを暴露しました。 私の親戚は、全力で離婚を支援してくれ、絶対に合わせない様力を貸してくれました。その後「療養と里帰り出産」を名目に、4ヵ月実家で過ごす事に成功。 そして、離婚。 子供が生まれてから、彼が病院へ来ました。私の親戚一同が取り囲む中、離婚を宣言。 翌日、彼の両親とお姉さんがきましたが、事情を全て説明し、医師からも「戻ってきた時はあざもひどく、母子共に健康で居られるのは奇跡です」と話をしてもらった所、納得し離婚に同意してくれました。 あれから10年が経過… あれから10年になります。 再婚もせず、女で一つで子育てしておりますが、あの時のつらい経験があったからこそ、耐えられる事が山ほどあります。 今、幸せを感じていられるのは、当時の自分の気付きがあってこそだと思っています。 もし、同じ思いをしている方がいればこのお話が、あなた自身、一歩踏み出す勇気になりますように。

実体験!DV夫が子供に与えた悪影響6つ…今でも残り続ける傷跡

夫からのDVに日々耐えている方々が、すぐに離婚に踏み出せない色々な理由。 1つは子供のためではありませんか? 子どもには手を挙げないし、パパの事大好きだし…何より片親にしてしまっては子どもが可哀相。 これは大きな間違いです。 児童虐待防止法では、DVを目撃させることも児童虐待であると定められています。 DVは夫婦間だけでの問題ではありません。可愛い我が子の身近に常に「暴力」がある生活。 しかも、それが両親間で行われているのです。 私は娘が4歳の時に、夫からのDVが原因で離婚をしました。あれから8年も経ち、娘はもうすぐ中学生になります。 悲しいことに、目の前で私が殴られ蹴られ、髪の毛を持って引きずられている記憶は今でもはっきりとあるようです。 そして離婚してからの子育ての中で、娘に元夫のDVが原因だろうと考えられる影響がいくつもありました。 元夫からのDVは離婚から8年経った今でも、私たちを苦しめているのです。今回は、DVが子供に与えた悪影響を6つお話します。 その1.親の顔色を常にうかがう これは主に幼児期の頃の話です。 娘はパパが大好きでした。 元夫は、機嫌がいい時と悪い時の差が激しいタイプの人です。 娘には手こそあげないものの、普段なら怒らないような事でも、虫の居所が悪いと怒鳴り散らします。 怒られる=怒鳴られる と認識してしまったため、私から叱られることにも極度に怖がるようになってしまいました。そのため、親の顔色をうかがい、ご機嫌取りをすることを覚えたのです。 私や元夫が常に機嫌良くいられるように平気で嘘をつき、失敗はごまかします。 私が殴られ、部屋が気まずい雰囲気の時は、作り笑いをしながら楽しい話をしてパパの機嫌を取ろうとしますが、そのエピソードの全てが作り話の時もありました。 今でも一般的なレベルで言い訳したり、嘘をついたりはしますが当時は見ていて痛々しいくらいでした。 
その2.夜尿症 もともとオムツが取れたのは早い方だった娘。保育園のお昼寝の時もおねしょすることは滅多にありません。 けれど、どんなに気をつけても治らなかったのがこの夜尿症。就寝前は水分を控え、必ずトイレに行ってから寝てもおねしょしてしまいます。 週5回なんて時もざらにありましたし、なんとそれが小学1年生まで続きました。 いけないことですが、私も朝出勤前のバタバタしている時に毎日のようにシーツやパジャマを洗い、イライラしている姿を見せてしまうこともありました。 すると、「ごめんなさい。気をつけたいけどどうしても出ちゃうの。」と泣くのです。 夜尿症はPTSDの症状の1つだそうです。元夫が私に奮った暴力は、娘に精神的な後遺症を与えていました。 その3.爪かみ お洒落が大好きで、特別なお出かけの日などに髪の毛を巻いてあげたり、ちょっと色付きのリップをつけてあげるだけで大喜びの娘。 でも、1つだけすごくやりたいのに、どうしてもできないお洒落があります。 それはネイルをすること。4、5歳から始まり、これは現在進行形で今も2人で試行錯誤しています。 娘曰く、本当に無意識で噛みたいなんて一切思っていないのに、気づくと爪がなくなっているそうです。 ひどいときは全部の指の爪が5ミリもなく血がにじんでいます。爪かみ防止の苦いマニキュアも10日くらいしか持ちませんでした。 爪かみも心的ストレスから始まることが多いそうです。 その4.自分の殻に閉じこもる これも今も続いていることです。嫌なことや都合の悪いことが起きると、自分の殻に閉じこもってしまいます。 具体的に言うと、私がいくら何を訴えても“聞こえないふり”ではなく“本当に聞こえていない”ように一点を見つめ、時にぶつぶつと何かを言いながら私をシャットアウトします。 暴力を受けている最中は、元夫の怒鳴り声や私の悲鳴や泣き声が飛び交い、とても3、4歳の娘には耐えられない苦痛だったと思います。 最初のうち暴力はたまにでしたので、娘はそのたびに恐怖で大泣きしていました。 でも離婚間際の2,3日に1度くらいの頻度の時は、私も保身に必死ではっきりとは覚えていませんが娘は大人しくしていたように思います。 きっとその時に自分で殻に閉じこもり、妄想などの世界でその場をやり過ごすことを覚えてしまったのだと思います。 ただこれをされると、本当に私が娘のためを思って伝えたい話も1ミリも伝わらないので、今では本当に対処に困っています。 その5.自分の満たされない欲を暴力で解決しようとする 小学校高学年になると心身の発達とともに、反抗期が訪れます。そのことは理解しています。 ただ娘の場合、時々一切感情をコントロールできず感情のタガが外れると発狂・錯乱状態に陥ってしまうのです。 きっかけはほんのささいなことです。欲しいゲームソフトがあったり、絶対に見たいテレビ番組があったり。 私が日頃の生活態度や学習状況を見てNGを出すと、話し合いで解決しようとせず、ただ感情を爆発させ大声で喚き散らします。 時に母親である私を脅し暴れ、刃物を持ち出して私が認めるまで敵意を剥き出しにするのです。 毎回ではありませんが、年に数回このようなことが起きています。 時間が経ち、落ち着いてから何故あのような行動を取るのか問うと、 「自分でもわからない。例えるなら、心の中が急に真っ黒になって、どうなっても構わない気持ちしか出なくなる。」 と言います。 自分の思い通りにならない時に、感情の爆発と暴力で人の心を支配していた、元夫と全く同じやり方です。 こうなってしまう前に、もっと彼女の心のケアをすべきだったと悔やんでいます。 同じ血が流れているからとか、そんなことではないと思います。 やはり幼少期に頻繁に目の前で起きたことが、強烈に娘の心に残っているのです。 その記憶が自分が大声を出した時に呼び戻され、今起きている目の前の嫌な事と、当時とても嫌だった気持ちが混同し、自分でもコントロールできない状態になってしまうのだと思っています。 その6.消えないDV夫との最後の記憶 私は最後、元夫から逃げるように娘を連れて実家に帰り、そのまま調停離婚をしました。 ですので、大好きなパパとの別れは突然で、その後1度も会うことなく今に至っています。 4歳でしたのでママに対する暴力は良くないということは理解できますが、それとパパに2度と会えなくなることが何故なのか結びつかなかったと思います。 …最後の日のことを少しお話しますと、激しい暴力から逃げるため裸足で逃げた私をそのまま締め出した元夫。 もう限界だと思いました。 いつもお酒が深く入っているので、一度寝たら起きないだろうとその日のうちに家を出ることを決意。 数時間後、鍵がなかったので一か八か。 1階の居間の窓を軽くたたいてみたら、当時4歳の娘が2階の寝室からバレないよう電気をつけずにそっと真っ暗な階段を降りて、部屋のカギを開けてくれたのです。 そのまま、まず一番に娘を車に乗せ、最低限の荷物をまとめて家を出ました。 そのことを娘は今でも鮮明に覚えているようで「私がママを助けたんだよね。」とたまに話します。 パパとの最後の記憶は私を閉め出した後、再びお酒を飲みながら「お前は早く寝ろ」と言った怖い顔だそうです。 保育園のお友達や先生と、何のお別れもできないまま。パパには怒られたまま。 4歳だった娘は、ママに対する暴力は良くないということは理解できるけど、それとパパに2度と会えなくなることが結びつかなかったと後に言います。 そんなモヤモヤした思いを「ママを助けた」と自分に言い聞かせることで納得しているのだと思います。おそらく娘にとっては一生忘れられない、未練の残る別れにしてしまいました。 終わりに…
 ご覧いただきありがとうございます。 このように、たった4年間…物心ついた時から考えるともっと短い期間に受けた心の傷が、今でも娘に様々な悪影響を及ぼしています。 子どもは新しい環境にも柔軟に対応できますし、いつも母親の幸せを願ってくれています。もしも継続的に子供の目の前で暴力を受けている方がこれを読んでいたら…。 はっきり言って、離婚を決意してから成立するまでの数か月間、今までで一番エネルギーを使いました。簡単なことではないと思います。 けれど先述したような悩みや壁にもぶち当たっていますが、現在はとても幸せです。 この記事が離婚に踏み切れないDVで悩んでいる方にとって、少しでも離婚をする勇気を持つきっかけになれたら…と思っています。

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私が別居中の恋愛で辛いと感じた7つの事

あなたはいまどんな方とお付き合いをしていますか? このお話は、私が元夫との別居中に体験した恋愛を通して「この恋、やめた方がいいよね?」と思いつつも貫き通したお話しです。 恋愛には楽しいこと、辛いことたくさんあると思います。 その中でも、「常識では許されない恋」をしている人はジレンマを感じながら恋愛に向き合っているのではないでしょうか? 別居中の恋愛が辛い…そんな風に思ってるあなたに読んで欲しいです。 

好きでもない人と結婚したのが間違い? 私が最初の結婚をしたのは25歳の時。 周りの友人がどんどん結婚していき、当時付き合っていた彼とも別れたばかりの私は正直焦っていました。 そんな時に出会った元夫。5歳上で、私が今まで付き合った人とは違う「私をとても大事にしてくれる人」でした。その時はそう見えたのでした。 でもお付き合いしてすぐプロポーズされ、結婚まで約一年。その間に「おかしいな?」と思う事は度々ありました。 それでも結婚したのは「婚約破棄した女」と思われたくなかったというちっぽけなプライドでした。そんな元夫はとの生活は続くはずもなく。。。 結婚して二年経った頃、義両親との同居がきっかけで、私は義両親と大喧嘩をして実家へ帰りました。 マザコンの元夫は、私より実の両親との生活を選んだのです。そこから私は、本来してはいけない恋愛をしてしまいました。 

彼との出会いは別居してから
 彼との出会いは、別居中に共通の友人から誘われた食事会でした。実家へ帰った私を心配した友人が食事をしようと言ってくれたのです。 男女合わせて6人ほどの食事会でした。 友人が連れてきた彼は私より7歳下で21歳。すごく大人しくてほとんど会話もしなかった彼を見て「無理やり連れて来られたんだろうな。可哀そう」としか思っていませんでした。 けれど、そこで終わる事はありませんでした。また共通の友人と彼と三人で飲みに行く話が出ました。 友人も一緒ならまぁいいか。と軽く考えていたので特別意識もしませんでしたが、飲み会の最中、以前とは全く違う饒舌な彼を見てびっくりしたのです。 そして携帯番号を聞かれてもなんの抵抗もなく教えている私がいました。その数日後から、彼から連絡が来るようになりました。 最初は全く気にも留めなかった彼なのですが、2人で話をしていると、すごく楽しくて。何時間もお互いの話をしていました。 いつしか、電話がくるのが楽しみで仕方ありませんでした。そんな時、彼に「二人でどこかに遊びにいかない?」と誘われました。 突然のお誘いに、ビックリしたと同時にすごく嬉しくドキドキした私が居たのです。 返事は「OK」でもその直後に「別居中だしこれ、まずいんじゃないの???」そんな不安も襲ってきました。
 
別居中のデートは制限だらけ 

彼と二人で会うのはいつも夜でした。そして、地元をさけて知人とあまり会わないであろう場所ばかりを選んでいました。 彼は運転することが好きで、ドライブがてら遠くに行くのはむしろ大歓迎という人だったので、そこは怪しまれることはありませんでした。 でも私の車を運転したいと言い出したり、昼間に会いたいと言われることが私にとっては一番つらかったです。 ウソを並べてなんとかなだめていましたがいつも取り繕う私の姿は不自然だったかもしれません。 とにかく、人目を避けるために必死でした。 なので、遠く離れた場所まで行ってホテルで過ごすのが私にとって一番落ち着く場所になりました。 別居中の恋は制限が多いだけに辛いことも多いです。これから辛いと感じたことを6つご紹介します。 

辛かったこと① 嘘をついてばかりの恋愛
 楽しいはずのデートはウソだらけ。 彼「〇〇へ行こうか?」 私「今日はそこじゃなくてあそこがいいな~」 彼「今度の日曜日は〇〇へ行こうよ」 私「その日は予定があって。ごめんね」 彼「ごはん食べに行こうよ。」 私「今日はコンビニのお弁当がいいな」 そんなやり取りばかり。本当は会いたいのに。 昼間も堂々と地元でデートしたりご飯を食べたりしたいのに。 いつまでもウソをついている自分が嫌になってきました。 彼は純粋に気持ちをぶつけて来てくれるのに私は騙している気分になることもありました。 実際既婚者なのに独身と思わせていましたので騙していましたね。 でもこの時の私は気持ちが止められなくなっていました。 
辛かったこと② 名前さえも偽る日々 彼に対してついていたウソのなかに名前を偽っていたこともありました。当時まだ元夫の姓を名乗っていた私。 彼と初めて会った時、私はとっさに旧姓を名乗っていました。 もうあの名字を使いたくもなかったし、離婚したあとのことを瞬時に考えて、旧姓を名乗ったのです。 でもそのツケが回ってくる事件がありました。 私の車の調子が悪くなり、急きょ彼の叔父さまの経営する修理工場へ行く事になりました。 そこで車検証を見せて欲しいと言われ、彼が私の車のダッシュボードから出そうとしたところでハッと気づいたんです。 そう、車検証は夫の姓のまま記載されているのです。 「まずい!!」私はなにかを確認するふりをしながら彼の手を制止して直接叔父さまに渡しました。 叔父さまに名前を言われたらどうしよう???と軽くパニックになっていましたが 叔父さんは私の名前を読み上げることなく、修理は済みました。

あとから彼に聞いた話ですが、実はこの時、彼が怪しんでいたようです。 
 
辛かったこと③ 浮気調査されているかもという不安
 彼とのお付き合いは順調でした。 でもその裏でいつも心配だったのは「夫が探偵を頼んでいるのではないか?」という疑念でした。 「いや、そこまでするはずがない」という根拠のない自信は最初だけ。付き合いが深くなるほど、その心配は常にありました。 どんなに遠くに行っても実は後ろからずっとつけられているんじゃないか?写真を撮られているのでは…そんな不安と恐怖はいつもつきまといました。 時々キョロキョロしたり、バックミラーから後続車の様子を伺ったり、待ち合わせの場所に行くときは、わざとグルグル回って遠回りしてみたり。。。。 彼の車の助手席に座る時は必ずシートを深く倒してなるべく顔が見えないようにしたり。 私の車を使う時は、彼がどうしても運転したがるのでとにかく私は助手席で顔を隠すのに必死でした。 とにかく知り合いに会いませんように!!と願っていました。 彼を思えば思うほど、こんなことしたくない。堂々と会いたい。夫と早く決着を着けたい。 そんな気持ちになりました。 夫とは10か月の別居中、何度も二人で話し合いました。でも平行線で決着がつかず二人ともイライラしていました。 だからこそ、彼に会いたい気持ちが強くなったのもあるんだと思います。 

辛かったこと④ 彼を巻き込んでいる罪悪感 別居中で、復縁する意思はない者同士とはいえ、私は戸籍上既婚者。こんな関係が許されるはずもありません。 それは十分わかっていながらも、彼を巻き込んでしまっている罪悪感にかられました。 もしこの関係がバレたら。。。。 彼も慰謝料を請求されてしまうかもしれない。 そんなことをさせたくない。 今別れれば、彼になんの影響も及ぼさないだろう。 だったら、いま別れよう。 こんなことを真剣に考えました。彼のことを傷つけたくないその一心で。 自分勝手な考え方だと思います。でも好きって気持ちはどうしても止められなかったんです。 出した結論は「彼は私を独身だと思って付き合っている。私が騙した」ことにしておこうと。 ほんと、虫が良すぎる話ですね。でもそう決めたんです。法律に詳しくないのでそれが理論として通るのかは定かではありませんがそう決めたんです。
 
辛かったこと⑤ 調停離婚に向けての話し合い
 別居が半年以上たった頃、実家に私宛の封書が届きました。裁判所からの通知でした。 夫が申立人となり、離婚に向けての調停が開始されることになったと書いてありました。 裁判所からの呼び出し。私は被告人のような気持ちになりました。 いつまでたっても平行線のお互いの罵り合いを続けるよりは第三者に入って頂いたほうが楽だと、相談した弁護士さんにも言われていたのでなにかほっとしたような気持にもなりました。 調停というものが、どういうものなのかもわからずもしかしたら裁判になるのかも?という不安もありながら私は恐怖で眠れませんでした。 きっと裁判になったら色々調べられるんだろう。。。 裁判になったら絶対バレる。 やっぱり会わないほうがいいかもしれない。 そう思って、私はまたウソをつき、会う回数を減らしました。 学生だった彼はバイトもしていましたし私も仕事が忙しかった時期だったので会う回数が減ったとしても不審には思われませんでした。 でもやっぱり会いたいものは会いたい。夜待ち合せして車の中でご飯を食べたりしていました。 
 

辛かったこと⑥ 先の見えない不安

調停が始まってからも夫との罵り合いが続きました。 でも良かったことはそれぞれ個室に通されたことと、調停委員さんがいてくれたおかげで冷静に話しを進めることが出来たことです。 夫に一度も会うことなく調停は進んでいきます。でもすぐに決着をすることは出来ませんでした。 話し合いが終わり、裁判所を出る時。「いつになったら終わるんだろう」と絶望感もありました。 いっそ、慰謝料を払ったら楽になれるんだろうか? それは周囲に反対されました。私だって払いたくない。でも終わらせるには慰謝料払えば楽になれるかもしれない。 先の見えない不安に押しつぶされそうでした。




 辛かったこと⑦ 離婚はエネルギーが必要 離婚するにはエネルギーがいる。よく聞く言葉です。実際、本当にエネルギーが要ります。 私だけでなく、両親にも相当のストレスをかけてしまい母は倒れてしまいました。 私は彼が居てくれたおかげでストレスがあっても頑張れたのですが両親の方が悩んでいたんだと思い、本当に申し訳なかったと思っています。 私の場合はお互いにもう愛情もなかったですし、夫から「憎い」と言われていましたので、離婚に向けてのベクトルは一緒だったせいか調停に入ってからは「どうしたらお互いが納得して離婚できるか?」というところが焦点になっていました。 だったらもう協議離婚でもなんでもいいから済ませちゃえばいいのに。。。。どれだけお金欲しいんだこの人は??? 内心そう思いながらも調停に行っていました。

ちなみに慰謝料を請求されたのは私の不貞行為が発覚したのではなく、精神的苦痛の面からでした。 

調停3回目に急展開が!!
 調停は相変わらずお互いを罵り合う場でした。 調停委員さんはなるべく裁判まで持ち込まないようにお互いの気持ちや現状を第三者の目で見てアドバイスしてくれました。 「どうしても離婚したいという思いが一緒なら条件面で折り合いをつけていきませんか?」 という方向で進めてくださっていました。私はいつしか調停委員さんの言うとおりにしていました。
 そして三回目の調停に臨んだ時のこと。いきなり夫から妥協案が提案されたのです。 私は嬉しくて嬉しくてその要求を呑みました。結局は財産分与の件で私が余剰分を払うという形で成立となったのです。 まだまだ続くだろうと思っていた調停が、ついに成立したのです! 成立した旨の書類が出来上がった時、私はなんとも言えない気持ちになりました。今でもその光景は覚えています。 数日後、夫と離婚届けを提出し、握手して別れました。その時の爽快感と達成感と言ったら!! その時の事も一生忘れる事はないでしょう。そして一番に会いたいと思ったのは彼でした。 
離婚成立。彼に全てを告白した 

離婚届が受理されたと言っても、これで堂々とお付き合い出来る!と言うのは時期尚早というのはわかっていました。 なので、しばらくはいつも通り夜だけ会っていました。いよいよ彼に全てを話そうと決心したのです。 私「話したいことがあるから今度いつ会える?」 そんなメールに彼は「別れ」を切り出されるのかもと思っていたと後日話してくれました。 一台しか停められない、秘密の夜景スポットに彼を連れて行きました。 そこで私は今まで突き通してきたうその数々を話し、既婚者だったこと、別居中だったのに隠してお付き合いしていたこと。 名前も旧姓を名乗っていたこと。 すべて話しました。 「騙してたのか、じゃあ別れよう」って言われても仕方のないことをしていたので内心どんな返事が来るかドキドキしていました。 でももう離婚も成立し、これからはうそのないお付き合いを真剣にしていきたいと伝えました。 彼は受け容れてくれました。 彼が唯一質問してきたのは「子供はいるの?」でした。「子どもがいるならちょっと考えちゃったかもしれないけど」と、正直に話してくれました。 「でも話してくれてありがとう」と最後は言ってくれました。そこから8年、私たちはお付き合いをしていました。 周りから「結婚するんでしょ?」と言われるくらい私たちは仲良しでしたし、私も彼と結婚すると思っていました。 
8年後・・・別れのとき

 別れは彼から切り出されました。 お付き合いしている8年間、何度も言われていた 「会いたい時に会いたいって言って欲しい」 私はそれを直すことができませんでした。 別居中の恋愛の仕方が板についてしまったのか、私は自分から会いたいと言えなくなってしまいました。 そして、彼が私を愛してくれているという奢りから私はいつも彼の連絡を待つ女になったのです。 そんな傲慢になった私に愛想を尽かしたのか、ある日から彼は一ヶ月ほど連絡をくれませんでした。 私はというと「忙しいんだろうな」と勝手に決めつけ、自分から連絡をしなかったのです。 今思えば、なんで連絡しなかったんだろう。週末が近くなると、会いたくてたまらなかったのに。平日の夜、少しでも会えればすごく嬉しかったのに。 自分のプライドが邪魔をしていただけなのに。。。。 結局彼は私に会うと決心が揺らぐからと、メールでお別れしました。何度も「会って話したい」とメールしても返事は変わりませんでした。 その夜、自分のふがいなさに泣く事しか出来ませんでした。 翌日も泣きはらした目で仕事に行き、仕事中も自然と涙が出てしまいとても辛かったです。 
あれから20年ほど経ちました。…
 別居中に辛いと感じたことを7つほどまとめてみました。 あんなに好きでずっと一緒に居たいと思っていた彼と別れ、現在はその後出会った夫と二人の息子、愛犬に囲まれて幸せに暮らしています。 夫とはなんでもオープンに話せる仲なので、元彼のことも知っています。 過去は過去とお互いわかっていますし、信頼もしています。

不貞行為という法律に反したことをしていたあの時期は、元夫にばれたら・・・という不安がいつも付きまとっていました。 でも、辛さや不安よりも、彼に会いたい気持ちは抑えられなかったのです。 
世の中には私のように、日の当たる場所で堂々と好きな人に会えない恋愛をしている人も多いと思います。 私も実際してきたことなので、他人の恋愛に対して肯定もしませんし、否定もしません。
この先離婚成立となり、再婚。というゴールには行きつかないかもしれません。 再婚ではなく、今の関係をずっと続けられたらそれでいい。それでもいいのであれば、どんな形でもいいと思います。 私のように彼とは別れたけれど、違う人と再婚。というケースもあり、さまざまです。 別居中の恋愛は楽しいこともあるけれど、制限があるために辛く感じることは沢山ありました。 でもそれでも続けていきたい相手なのか?日の当たる場所で堂々とお付き合い出来る日まで我慢したほうがいいのか? 私は続けることを選択しましたが、それを決めるのはあなたです。 いけないことをしているのはわかっているけれどやめられない。そんなあなたへ。 このお話が、あなたにとって一つでも参考になれば嬉しいです。