借金男との結婚が壮絶すぎた私の体験談!借金癖・酒乱・嘘つきetc

私が結婚した相手はどうしようもない「クズ男」でした。 借金はする... 嘘つき・口だけ... 酒乱... スナック通い... クズ男としての条件はしっかり満たされたそんな男。 この記事では、そんな元夫との壮絶な結婚生活を振り返りたいと思います。 再婚相手はどうしようもないクズ男だった 13歳と12歳の娘二人を連れての再婚でした。相手もバツ1で、別れた奥さんとの間に小さな子供がいると聞いていました。 付き合っている時はとても優しく、娘たちの事も可愛がってくれました。 ひとつ気になっていた事は、お酒をたくさん飲む事・・・。 仕事の付き合いだと言って飲みに行くことが多く、節度のない飲み方をする事がありましたが、「お前と結婚できるなら、深酒はしない」という約束で、妊娠した事をきっかけに再婚することにしました。 口から生まれたのか? バツ1で二人を育てていくのは大変でした。 何の資格も持っていない私は経済的にとても苦しく、だけど娘たちには人並みの生活をさせたくて、昼も夜も働いていました。 そんな私に「俺が3人を守るから心配しなくていい」「もう頑張らなくていいよ」とその当時一番心に響く言葉をいつも言ってくれていました。 今思えば何の根拠もないんですが、「これで幸せになれる」「この人に任せておけばいいんだ」と思ったのを覚えています。 それほどに普段からいつもたくさんの優しい言葉を言ってくれてました。 あまりにも歯が浮きそうな事をペラペラと言っていたので、かすかな不信感は最初からあった気がします。 大酒飲み 「深酒はしない」とあれだけ約束していたにもかかわらず、「仕事の付き合い」「同僚の相談にのっていたから」「社長の命令で」など、言い訳をしながらも毎日飲んで、それも酔っぱらって帰ってくる事が増えていきました。 家で飲んでいる時は大丈夫なんですが、外に飲みに行くとかなり深酒をして、汚い言葉や大きな声で騒いだり、夜中に電話してきて繁華街まで迎えに行くこともありました 最初の兆し 籍を入れて3カ月を過ぎた頃、すでに結婚前の約束はなかった物に等しく、毎日のように酔って帰ってくることが多くなっていました。 酒臭い息を吐きながらすわった眼をして、娘たちが寝ているのも構わず大声でしゃべりまくる・・・ べたべたと甘えてきたり、相手をしないと急にプイっと出て行き、さらに大酒飲んで泥酔状態で飲み屋から「迎えに来い」と電話してくる・・・ 妊娠6カ月の私には苦痛の日々でした。 何度となく話し合って、せめて妊娠中は外で飲まずに家で飲んでほしいとお願いしても返事ばかりで、挙句には「自分は酒が嫌いで飲みたくない。 だけど仕事の付き合いだから仕方ない」と意味不明な事を平気で言います。 朝から私服を準備して言い訳しながら制服で出勤し、夜中の3時頃にチャラチャラとネックレスを付け、香水のにおいをまき散らしながら帰宅する・・・ 帰宅した途端、携帯には飲み屋の女の子数人からのお礼メール・・・32歳にもなって、もうすぐ子供が生まれるのにもかかわらず遊びまくる。 再婚したことに後悔している自分に気付きました。 気持ち悪いくらいの嫉妬心 とにかく嫉妬心の強い人でした。 私がいない所で携帯電話のメールを盗み見るのは当たり前で、 昔からの男友達や、同級生など男の名前を見ると即座に聞いてきて、「今も連絡を取っているんだろう」「おまえもどうせ俺から逃げるくせに」と言いながら携帯電話を壊す。 かと思えば、次の日に新しい携帯電話を買ってきてひたすら甘えてくる・・・この繰り返しが3回はありました。 自分の携帯にはしっかりとロックをかけ、前の奥さんや女友達、飲み屋の女の子からメールが多いのに、怒って私が言い返すと速攻でそのメールを消去し、「そんなメールなんかない!確かめてから言え!」と怒鳴り散らかす・・・ たった今目の前で消去したのに、平気でこんなことが言える馬鹿さにいい加減うんざりして、この時すでに「この人とはもう生活できないかも・・・」と思いだしていたのかもしれません。 生活費が減る 妊娠7カ月。 生活費として渡してくれる金額が急に少なくなりました。理由は同僚が借金をして返済が出来ずに困っているからとの事。 いくら仲がいい同僚とは言え、他人を助けるためにうちの生活費が減るのは納得いきません。 次女の小学校卒業、中学校入学、そして出産も迫っており、人助けしている余裕はなかったので、何度も話し合いをしましたが、一番の友人で自分も前に助けてもらったから・・・との事で結局は私が生活を切り詰めて何とかする事になりました。 口だけ男 前夫が長期出張で他県に行くことになりました。 今までの前夫と違って、これから生まれてくる子供と私の娘たちの為に「酒はもうやめる」「お前たちと離れるって考えたら怖い」といつも言っていました。 確かに電話で話す前夫はまったく酔ってなくて、これから5人での未来についてたくさん語っていました。 だけどやっぱり口先だけの約束にすぎませんでした。 休みのたびに帰ってきていましたが、「社長から呼び出された」「取引会社の接待」「友人から相談されているから」などと言い、出かけてはまた大酒飲んで酔って帰ってくる。 酔っぱらってケンカして交番から電話がかかってきたこともありました。この頃にはもう何を言ってきても信じられなくなってきており、お酒もやめる気は全くないんだと確信しました。 1本の電話 そんな矢先に鳴った1本の電話。相手は名乗りましたが知らない女性でした。 そこで話した事はショック過ぎてくわしく覚えていませんが、 「子供の養育費がここ数カ月振込されていない。電話やメールをしても一向に返事がなく、仕方なく職場に電話したら、再婚したと聞いてびっくりした。」という内容。 名乗った名字が前の奥さんでなかったので、訳わからずパニックになりました。 初めて知る過去 その女性は高校の時の元彼女で、子供が出来たけど親の猛反対で駆け落ちしたそうです。 出産したものの、前夫の酒癖の悪さ、浮気、借金が原因で籍を入れる間もなく親元に帰り子供を育てているの事。 女性の両親が激怒し、慰謝料、養育費をめぐり両家で何度も話し合い毎月支払っていく約束だったそうです。 私にはバツ1と言っていましたが、事実上バツ2。子供はもうすぐ生まれてくる子供で3人目だったのです。 言い訳 その電話の後は、頭が真っ白になり何をどう考えればいいかわからず、泣く事も出来ず、ただただぼーっと過ごした記憶があります。 私が事実を知ったと知り、あわてて出張先から帰ってきました。 「そんな女は知らない」「前の嫁にはめられた」「お前は俺だけを信じてくれればいい」とかなんとか言っていたと思います。 聞けば聞くほどつじつまの合わない嘘を、平気な顔では話す前夫。 この時はっきりと再婚を後悔しました。だけどもうすぐ子供が生まれてきます。とりあえずは我慢することしかできませんでした。 今思えば、言い訳にもならないような事をよく真剣な顔で言えたもんだとびっくりします。 普段から小さな嘘をつく人間は平気で大きな嘘がつけるんだ・・・と、この時冷静に考えていた事を今でも鮮明に覚えています。 甘えればすむと思っているばかな男 私の体調が悪くなり出したのはその頃からでした。 出産まで1カ月・・・ 妊娠中毒症で足がパンパンにむくみ、急な頭痛で倒れる事が増え、救急車で運ばれる事も何回かありました。 医者からは出来るだけ家事もやめて安静にするよう指示がありました。 「自分が甘えているからお前がこんな苦労をして申し訳ない。だけど俺はお前と一緒にいたいから、わがままでも許してほしい」と訳がわからない事をつらつらと言っていました。 それでも嘘をついて飲みに行き、酔って甘えて、夜中に迎えに来いという前夫にいい加減嫌気がさしてきました。 出産した日に酔って面会 ストレスを感じながらも、やっと出産することが出来ました。予定日を1カ月早く生まれてきた息子。 朝、大量の出血をして、ただ事ではないと思いましたが娘たちをまず近くに住んでいる実家に送っていきました。 前夫は既に出勤しており、親にも心配かけたくなくて、病院には自分で車を運転して行きました。 病院に着き、検査をすると重度の妊娠中毒症と早期胎盤剥離との事で緊急オペで出産しました。 オペの途中、先生慌てている声や、私を呼び続ける看護婦さんたちの声が遠くで聞こえていましたが、その時私は走馬灯のように今までの苦しかった出来事が頭の中でぐるぐると回っていたのを鮮明に覚えています。 予定日より早く出てきた為未熟児でしたが無事に息子が生まれました。 しかし私のほうは出血が止まらず、術後の経過がとても悪かったそうで危険な状態だったそうです。 前夫が面会に来たのは、出産が昼だったにもかかわらず面会時間がとうに過ぎた深夜。看護婦さんに無理を言って入れてもらったのでしょう。 病室に入ってくるなり、強烈なアルコールのにおいで吐きそうになりました。真っ赤な顔をして、酔っぱらい特有のすわった目で私を見るなりべたべたと甘えてくる・・・ 「気持ち悪い」と思いました。「早く帰ってほしい」と真剣に願いました。この時すでに私の気持ちは離婚に向かっていました。 退院した翌日に督促状 通常よりも長く入院しましたが、母子とも無事に退院する事が出来ました。 しばらくは実家にお世話になる事になっていたので、足りないものを前夫と自宅に取りに戻りました。 自宅に戻るとテーブルの上にたくさんの封書があり、見るとどれも私宛になっています。一つは私と子供たちの以前から生命保険が解約された事を告げる書類。 もう一つは私が再婚する前に自分で買った車を売った契約書。(車の引き取りは5日後になっていました) そして極めつけは私が20代の頃、初めて作ったクレジットカードの督促状。ショッピングもキャッシングも限度額ぎりぎりまで使っていました。 このカードは普段クレジットを使用しない私が通帳と一緒しまっていたもの。利用したのは作った当初ぐらいで存在自体を忘れていたぐらいでした。 もう隠す事が出来なかったのでしょう。前夫は涙を浮かべながら 「生活ができなかった。ショッピングで電化製品を買い、質屋に入れて現金に換えた。暗証番号は誕生日だとすぐにわかった。車はお金が出来たら俺がもっといいのを買ってあげる。」 発狂寸前でした。いえ、発狂していたのかもしれません。 離婚を決意 この日を境に、前夫の顔を見ると息苦しくなり吐き気がするようになりました。それと同時に食事が全く入らず、急な激しい頭痛で倒れるようになりました。 実家でお世話になっていても平気なふりをするのが苦しく、2度も私の結婚で心配させられないと思い、早々に自宅に戻る事にしました。 前夫は長期出張でいなかったため、子供たち3人と私だけの生活。借金の事さえなければ幸せだったと思います。 ただ前夫は休みのたびに帰ってきており、反省するわけもなく、相変わらず酔っぱらってばかり。 「もう無理・・・離婚したい」 正直に伝えました。最初は子供も生まれたばかりで冗談だと思っていたみたいです。 「絶対離婚しない」の一点張り・・・。 そのあとはいつもの口先だけの「借金はおれがどうにかする」「俺がお前たちを守る」「何も心配しなくていい」・・・ どの面をしてそんなことが言えるのだろう・・・もう限界でした。 何度も「離婚したい」という私に嫌気がさしたのか、自宅に帰ってこなくなりました。 その間もクレジット会社からは督促の電話や封書がひっきりなしに来ており、前夫に電話しても、「どうにかする」と言うばかり・・・ 電話に出ればまだいい方で、出ない事がほとんどでした。 パニック障害、摂食障害、うつ病 体重がどんどん減っていきました。 前夫の声を聞いたり、顔を見ると急に苦しくなり息が出来なくなるのです。激しい頭痛で倒れる私を泣きながら心配する娘たち・・・ 何度となく救急車で運ばれました。 そんな状態だったので、近くに住む私の両親と妹は「嫌ならすぐに帰ってこい」と言ってくれてましたが、前夫からどうにかしてお金を作ってもらい、私のカードで作った借金を返済するまでは帰れませんでした。 だけど身体が持ちませんでした。 体重が40キロをきってしまい、誰が見ても普通じゃない痩せ方だったようで、ある日妹から精神科に連れて行かれま した。 パニック障害、摂食障害、うつ病・・・ 信じられませんでした。まさか私がそんな病気になるなんて・・・ その時初めて妹に今までの事を打ち明けました。なんとなく想像はついていたそうです。 スピード離婚 ここからは早かったです。 両親と妹が私たちの荷物をまとめて、実家に連れ帰ってくれ、部屋を用意してくれました。 相手の親を呼んで話し合う時や、借金の話をする時も私と子供たちが会わなくて済むように違う場所でしてくれました。 離婚もかたくなに応じてくれない前夫に対し、妹がサクサクと離婚調停を申し立て、最後まで顔を見ずに別れる事が出来ました。 ただ借金だけは私のカードだったため、ある程度は残ってしまいましたが、これでもう二度と顔を見なくて済むと思ったら、安いもんだと思えました。 離婚が成立するまでに少し時間がかかりました。その間も携帯が鳴るたびに過呼吸の発作が出て、頭が痛くなりかなり苦しみました。 外で待ち伏せされたこともありました。 精神科で薬を処方されていたので、息子に母乳をあげることが出来ず可愛そうな事をしてしまいました。 娘たちもいつも私の事を心配し、進んで息子の面倒を見てくれました。正直、この頃の事はきつくて、つらすぎてあまり覚えていません。 なので息子の赤ちゃん時代はあまり記憶がありません。それだけが今も心が痛いです。 離婚して得た事 やっと離婚が成立しました。自分でも不思議ですが、あれだけ食事が入らなかったのに 見る見るうちにまともに食べることが出来るようになりました。 借金は法テラスに相談に行き、弁護士さんから自己破産を進められました。 自分で使ったお金ではないのに、この先子供3人を抱えて返済していくのはかなり厳しいという事、せっかく離婚できたのだからいったんきれいにして、これからの人生を開くのがいいのではという事を言われました。 家族とも相談し、7年間はローンが組めず、娘たちの高校入学もあり金銭的にかなり苦労するとは思いましたが、一からやり直すために決断しました。 パニック障害が落ち着いた頃から、昼と夜のかけもちでひたすら働きました。家財道具も私が家を出た後にほとんど質にいれられていて、現金はゼロだったのです。 とにかく生活の基盤を立てなくては・・・自分でもびっくりするくらい働きました。 毎日クタクタで、再婚したことを思い出しては後悔ばかりしていましたが、 日に日に成長していく息子や、あんな不安な思いをさせた娘たちが毎日ニコニコしながら学校での事を話してくれるのを見て、「頑張ろう!」って思えました。 両親、妹にたくさん助けてもらいました。家族のおかげで今の私を得ることが出来ました。 あれから9年・・・ いろんな苦労がありましたが、今では正社員で働き、決して楽ではないですが安定した生活を送っています。 私は心から今の生活が幸せだと思えます。 最後に・・・ ここまで読んでくださって感謝いたします。きっと私よりつらい経験をしている方はたくさんいると思います。 私の場合、男を見る目がなかったので自業自得かな?って思いますが(笑) 今、まさに同じようなことで悩んでいる方。 大丈夫ですよ。怖くないです。必ず助けてくれる人はいます。 それが子供だったり、親だったり、友人だったり・・・といろいろだと思いますが自分をしっかり持つことで、道は必ず見えてくると思います。一緒に頑張りましょう。

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私が別居中の恋愛で辛いと感じた7つの事

あなたはいまどんな方とお付き合いをしていますか? このお話は、私が元夫との別居中に体験した恋愛を通して「この恋、やめた方がいいよね?」と思いつつも貫き通したお話しです。 恋愛には楽しいこと、辛いことたくさんあると思います。 その中でも、「常識では許されない恋」をしている人はジレンマを感じながら恋愛に向き合っているのではないでしょうか? 別居中の恋愛が辛い…そんな風に思ってるあなたに読んで欲しいです。 

好きでもない人と結婚したのが間違い? 私が最初の結婚をしたのは25歳の時。 周りの友人がどんどん結婚していき、当時付き合っていた彼とも別れたばかりの私は正直焦っていました。 そんな時に出会った元夫。5歳上で、私が今まで付き合った人とは違う「私をとても大事にしてくれる人」でした。その時はそう見えたのでした。 でもお付き合いしてすぐプロポーズされ、結婚まで約一年。その間に「おかしいな?」と思う事は度々ありました。 それでも結婚したのは「婚約破棄した女」と思われたくなかったというちっぽけなプライドでした。そんな元夫はとの生活は続くはずもなく。。。 結婚して二年経った頃、義両親との同居がきっかけで、私は義両親と大喧嘩をして実家へ帰りました。 マザコンの元夫は、私より実の両親との生活を選んだのです。そこから私は、本来してはいけない恋愛をしてしまいました。 

彼との出会いは別居してから
 彼との出会いは、別居中に共通の友人から誘われた食事会でした。実家へ帰った私を心配した友人が食事をしようと言ってくれたのです。 男女合わせて6人ほどの食事会でした。 友人が連れてきた彼は私より7歳下で21歳。すごく大人しくてほとんど会話もしなかった彼を見て「無理やり連れて来られたんだろうな。可哀そう」としか思っていませんでした。 けれど、そこで終わる事はありませんでした。また共通の友人と彼と三人で飲みに行く話が出ました。 友人も一緒ならまぁいいか。と軽く考えていたので特別意識もしませんでしたが、飲み会の最中、以前とは全く違う饒舌な彼を見てびっくりしたのです。 そして携帯番号を聞かれてもなんの抵抗もなく教えている私がいました。その数日後から、彼から連絡が来るようになりました。 最初は全く気にも留めなかった彼なのですが、2人で話をしていると、すごく楽しくて。何時間もお互いの話をしていました。 いつしか、電話がくるのが楽しみで仕方ありませんでした。そんな時、彼に「二人でどこかに遊びにいかない?」と誘われました。 突然のお誘いに、ビックリしたと同時にすごく嬉しくドキドキした私が居たのです。 返事は「OK」でもその直後に「別居中だしこれ、まずいんじゃないの???」そんな不安も襲ってきました。
 
別居中のデートは制限だらけ 

彼と二人で会うのはいつも夜でした。そして、地元をさけて知人とあまり会わないであろう場所ばかりを選んでいました。 彼は運転することが好きで、ドライブがてら遠くに行くのはむしろ大歓迎という人だったので、そこは怪しまれることはありませんでした。 でも私の車を運転したいと言い出したり、昼間に会いたいと言われることが私にとっては一番つらかったです。 ウソを並べてなんとかなだめていましたがいつも取り繕う私の姿は不自然だったかもしれません。 とにかく、人目を避けるために必死でした。 なので、遠く離れた場所まで行ってホテルで過ごすのが私にとって一番落ち着く場所になりました。 別居中の恋は制限が多いだけに辛いことも多いです。これから辛いと感じたことを6つご紹介します。 

辛かったこと① 嘘をついてばかりの恋愛
 楽しいはずのデートはウソだらけ。 彼「〇〇へ行こうか?」 私「今日はそこじゃなくてあそこがいいな~」 彼「今度の日曜日は〇〇へ行こうよ」 私「その日は予定があって。ごめんね」 彼「ごはん食べに行こうよ。」 私「今日はコンビニのお弁当がいいな」 そんなやり取りばかり。本当は会いたいのに。 昼間も堂々と地元でデートしたりご飯を食べたりしたいのに。 いつまでもウソをついている自分が嫌になってきました。 彼は純粋に気持ちをぶつけて来てくれるのに私は騙している気分になることもありました。 実際既婚者なのに独身と思わせていましたので騙していましたね。 でもこの時の私は気持ちが止められなくなっていました。 
辛かったこと② 名前さえも偽る日々 彼に対してついていたウソのなかに名前を偽っていたこともありました。当時まだ元夫の姓を名乗っていた私。 彼と初めて会った時、私はとっさに旧姓を名乗っていました。 もうあの名字を使いたくもなかったし、離婚したあとのことを瞬時に考えて、旧姓を名乗ったのです。 でもそのツケが回ってくる事件がありました。 私の車の調子が悪くなり、急きょ彼の叔父さまの経営する修理工場へ行く事になりました。 そこで車検証を見せて欲しいと言われ、彼が私の車のダッシュボードから出そうとしたところでハッと気づいたんです。 そう、車検証は夫の姓のまま記載されているのです。 「まずい!!」私はなにかを確認するふりをしながら彼の手を制止して直接叔父さまに渡しました。 叔父さまに名前を言われたらどうしよう???と軽くパニックになっていましたが 叔父さんは私の名前を読み上げることなく、修理は済みました。

あとから彼に聞いた話ですが、実はこの時、彼が怪しんでいたようです。 
 
辛かったこと③ 浮気調査されているかもという不安
 彼とのお付き合いは順調でした。 でもその裏でいつも心配だったのは「夫が探偵を頼んでいるのではないか?」という疑念でした。 「いや、そこまでするはずがない」という根拠のない自信は最初だけ。付き合いが深くなるほど、その心配は常にありました。 どんなに遠くに行っても実は後ろからずっとつけられているんじゃないか?写真を撮られているのでは…そんな不安と恐怖はいつもつきまといました。 時々キョロキョロしたり、バックミラーから後続車の様子を伺ったり、待ち合わせの場所に行くときは、わざとグルグル回って遠回りしてみたり。。。。 彼の車の助手席に座る時は必ずシートを深く倒してなるべく顔が見えないようにしたり。 私の車を使う時は、彼がどうしても運転したがるのでとにかく私は助手席で顔を隠すのに必死でした。 とにかく知り合いに会いませんように!!と願っていました。 彼を思えば思うほど、こんなことしたくない。堂々と会いたい。夫と早く決着を着けたい。 そんな気持ちになりました。 夫とは10か月の別居中、何度も二人で話し合いました。でも平行線で決着がつかず二人ともイライラしていました。 だからこそ、彼に会いたい気持ちが強くなったのもあるんだと思います。 

辛かったこと④ 彼を巻き込んでいる罪悪感 別居中で、復縁する意思はない者同士とはいえ、私は戸籍上既婚者。こんな関係が許されるはずもありません。 それは十分わかっていながらも、彼を巻き込んでしまっている罪悪感にかられました。 もしこの関係がバレたら。。。。 彼も慰謝料を請求されてしまうかもしれない。 そんなことをさせたくない。 今別れれば、彼になんの影響も及ぼさないだろう。 だったら、いま別れよう。 こんなことを真剣に考えました。彼のことを傷つけたくないその一心で。 自分勝手な考え方だと思います。でも好きって気持ちはどうしても止められなかったんです。 出した結論は「彼は私を独身だと思って付き合っている。私が騙した」ことにしておこうと。 ほんと、虫が良すぎる話ですね。でもそう決めたんです。法律に詳しくないのでそれが理論として通るのかは定かではありませんがそう決めたんです。
 
辛かったこと⑤ 調停離婚に向けての話し合い
 別居が半年以上たった頃、実家に私宛の封書が届きました。裁判所からの通知でした。 夫が申立人となり、離婚に向けての調停が開始されることになったと書いてありました。 裁判所からの呼び出し。私は被告人のような気持ちになりました。 いつまでたっても平行線のお互いの罵り合いを続けるよりは第三者に入って頂いたほうが楽だと、相談した弁護士さんにも言われていたのでなにかほっとしたような気持にもなりました。 調停というものが、どういうものなのかもわからずもしかしたら裁判になるのかも?という不安もありながら私は恐怖で眠れませんでした。 きっと裁判になったら色々調べられるんだろう。。。 裁判になったら絶対バレる。 やっぱり会わないほうがいいかもしれない。 そう思って、私はまたウソをつき、会う回数を減らしました。 学生だった彼はバイトもしていましたし私も仕事が忙しかった時期だったので会う回数が減ったとしても不審には思われませんでした。 でもやっぱり会いたいものは会いたい。夜待ち合せして車の中でご飯を食べたりしていました。 
 

辛かったこと⑥ 先の見えない不安

調停が始まってからも夫との罵り合いが続きました。 でも良かったことはそれぞれ個室に通されたことと、調停委員さんがいてくれたおかげで冷静に話しを進めることが出来たことです。 夫に一度も会うことなく調停は進んでいきます。でもすぐに決着をすることは出来ませんでした。 話し合いが終わり、裁判所を出る時。「いつになったら終わるんだろう」と絶望感もありました。 いっそ、慰謝料を払ったら楽になれるんだろうか? それは周囲に反対されました。私だって払いたくない。でも終わらせるには慰謝料払えば楽になれるかもしれない。 先の見えない不安に押しつぶされそうでした。




 辛かったこと⑦ 離婚はエネルギーが必要 離婚するにはエネルギーがいる。よく聞く言葉です。実際、本当にエネルギーが要ります。 私だけでなく、両親にも相当のストレスをかけてしまい母は倒れてしまいました。 私は彼が居てくれたおかげでストレスがあっても頑張れたのですが両親の方が悩んでいたんだと思い、本当に申し訳なかったと思っています。 私の場合はお互いにもう愛情もなかったですし、夫から「憎い」と言われていましたので、離婚に向けてのベクトルは一緒だったせいか調停に入ってからは「どうしたらお互いが納得して離婚できるか?」というところが焦点になっていました。 だったらもう協議離婚でもなんでもいいから済ませちゃえばいいのに。。。。どれだけお金欲しいんだこの人は??? 内心そう思いながらも調停に行っていました。

ちなみに慰謝料を請求されたのは私の不貞行為が発覚したのではなく、精神的苦痛の面からでした。 

調停3回目に急展開が!!
 調停は相変わらずお互いを罵り合う場でした。 調停委員さんはなるべく裁判まで持ち込まないようにお互いの気持ちや現状を第三者の目で見てアドバイスしてくれました。 「どうしても離婚したいという思いが一緒なら条件面で折り合いをつけていきませんか?」 という方向で進めてくださっていました。私はいつしか調停委員さんの言うとおりにしていました。
 そして三回目の調停に臨んだ時のこと。いきなり夫から妥協案が提案されたのです。 私は嬉しくて嬉しくてその要求を呑みました。結局は財産分与の件で私が余剰分を払うという形で成立となったのです。 まだまだ続くだろうと思っていた調停が、ついに成立したのです! 成立した旨の書類が出来上がった時、私はなんとも言えない気持ちになりました。今でもその光景は覚えています。 数日後、夫と離婚届けを提出し、握手して別れました。その時の爽快感と達成感と言ったら!! その時の事も一生忘れる事はないでしょう。そして一番に会いたいと思ったのは彼でした。 
離婚成立。彼に全てを告白した 

離婚届が受理されたと言っても、これで堂々とお付き合い出来る!と言うのは時期尚早というのはわかっていました。 なので、しばらくはいつも通り夜だけ会っていました。いよいよ彼に全てを話そうと決心したのです。 私「話したいことがあるから今度いつ会える?」 そんなメールに彼は「別れ」を切り出されるのかもと思っていたと後日話してくれました。 一台しか停められない、秘密の夜景スポットに彼を連れて行きました。 そこで私は今まで突き通してきたうその数々を話し、既婚者だったこと、別居中だったのに隠してお付き合いしていたこと。 名前も旧姓を名乗っていたこと。 すべて話しました。 「騙してたのか、じゃあ別れよう」って言われても仕方のないことをしていたので内心どんな返事が来るかドキドキしていました。 でももう離婚も成立し、これからはうそのないお付き合いを真剣にしていきたいと伝えました。 彼は受け容れてくれました。 彼が唯一質問してきたのは「子供はいるの?」でした。「子どもがいるならちょっと考えちゃったかもしれないけど」と、正直に話してくれました。 「でも話してくれてありがとう」と最後は言ってくれました。そこから8年、私たちはお付き合いをしていました。 周りから「結婚するんでしょ?」と言われるくらい私たちは仲良しでしたし、私も彼と結婚すると思っていました。 
8年後・・・別れのとき

 別れは彼から切り出されました。 お付き合いしている8年間、何度も言われていた 「会いたい時に会いたいって言って欲しい」 私はそれを直すことができませんでした。 別居中の恋愛の仕方が板についてしまったのか、私は自分から会いたいと言えなくなってしまいました。 そして、彼が私を愛してくれているという奢りから私はいつも彼の連絡を待つ女になったのです。 そんな傲慢になった私に愛想を尽かしたのか、ある日から彼は一ヶ月ほど連絡をくれませんでした。 私はというと「忙しいんだろうな」と勝手に決めつけ、自分から連絡をしなかったのです。 今思えば、なんで連絡しなかったんだろう。週末が近くなると、会いたくてたまらなかったのに。平日の夜、少しでも会えればすごく嬉しかったのに。 自分のプライドが邪魔をしていただけなのに。。。。 結局彼は私に会うと決心が揺らぐからと、メールでお別れしました。何度も「会って話したい」とメールしても返事は変わりませんでした。 その夜、自分のふがいなさに泣く事しか出来ませんでした。 翌日も泣きはらした目で仕事に行き、仕事中も自然と涙が出てしまいとても辛かったです。 
あれから20年ほど経ちました。…
 別居中に辛いと感じたことを7つほどまとめてみました。 あんなに好きでずっと一緒に居たいと思っていた彼と別れ、現在はその後出会った夫と二人の息子、愛犬に囲まれて幸せに暮らしています。 夫とはなんでもオープンに話せる仲なので、元彼のことも知っています。 過去は過去とお互いわかっていますし、信頼もしています。

不貞行為という法律に反したことをしていたあの時期は、元夫にばれたら・・・という不安がいつも付きまとっていました。 でも、辛さや不安よりも、彼に会いたい気持ちは抑えられなかったのです。 
世の中には私のように、日の当たる場所で堂々と好きな人に会えない恋愛をしている人も多いと思います。 私も実際してきたことなので、他人の恋愛に対して肯定もしませんし、否定もしません。
この先離婚成立となり、再婚。というゴールには行きつかないかもしれません。 再婚ではなく、今の関係をずっと続けられたらそれでいい。それでもいいのであれば、どんな形でもいいと思います。 私のように彼とは別れたけれど、違う人と再婚。というケースもあり、さまざまです。 別居中の恋愛は楽しいこともあるけれど、制限があるために辛く感じることは沢山ありました。 でもそれでも続けていきたい相手なのか?日の当たる場所で堂々とお付き合い出来る日まで我慢したほうがいいのか? 私は続けることを選択しましたが、それを決めるのはあなたです。 いけないことをしているのはわかっているけれどやめられない。そんなあなたへ。 このお話が、あなたにとって一つでも参考になれば嬉しいです。