ホーム 離婚の理由別 生活費を渡さない(経済的DV)

生活費を渡さない(経済的DV)

告白!夫に隠し子が居ると発覚したエピソード〜実娘よりお金が大事な元夫〜

夫婦と言うのは、いつもお互いを信頼して何でも話し合える特別な関係。…そんなのは幻想です!! 最近のドラマのような、実は特殊工作員と公安職員だった?!なんてことは現実にはあり得ません。 しかし「離婚歴・借金・浮気・犯罪歴」などの大きな許せない隠し事から、 「へそくり・異性との交友・ちょっぴり高い買い物」など、知ってしまったら腹は立つけれど可愛いものまで。 皆さん何かしらの秘密を、お互い抱えているのではないでしょうか。 もちろん私もパートナーに対し、内緒にしていることはあります。 けれど…私は過去の5年に及ぶ結婚生活の中で、まさか体験するとは夢にも思わなかった、元夫の隠し子騒動に巻き込まれました。 結局は夫のDVに耐えられず離婚をするのですが、その当時は真実を知っても「許せない!!」とか「離婚してやる!!」って気持ちにはなれなかったんです。 今回は、夫に隠し子がいると分かるまでのエピソード、発覚当時の心境や行動についてお話します。 夫と同じ苗字の女の子...~突然我が家に届いた一通の封書~ 結婚して2年程たったある日。 1歳半の娘と外で遊んで帰宅すると、郵便受けにとある県の役所の児童家庭課から、夫宛てに一通の封書が届きました。 私には全く縁もゆかりもない県からなので、頭の中は「???」でいっぱい。 でも、昔夫が住んでいたことがあると話していたような、なかったような…。なんてことも思い出しつつ。 普段夫宛てに届いた分からない郵便物を開封することはないのですが、児童家庭課ということなので、その時はてっきり娘に関する何かなのだと思い、その場で開封してみると…。 封書の中身は…「女の子の生活が苦しい。資金援助をお願いします」 まず、宛て先は間違いなく夫の氏名。そして書類には夫の苗字で名は知らぬ女性の名前がありました。 よく見るとその女性の生年月日も記してあったので、計算するとまだ11歳の少女。小学生のようです。 夫と小学校高学年になる少女との接点は、この時点ではまだ分からず混乱は増すばかり。 同封してあった手紙の内容を要約すると、 “この女の子の生活は困窮していて、このままだと児童養護施設に入ることになる。いくらか金銭を援助してもらえないだろうか。もし援助してもらえるならば金額はどれくらいか。書類に必要事項を記入の上、返送して欲しい” このような内容でした。 特に夫と女の子の接点に関しての記載はなく、まだ事態が呑み込めない私。 何だか緊急な感じだし、このままだとこの子が可哀想。でもうちには金銭的な余裕はないし…。 あれこれ思いを巡らせつつ、行き当たったのは、 「そもそもこの子は誰なんだろう。」 夫と姓は一緒だけれど今まで会った親戚の子供にも、このような名前の子はいない。この名前…名前…。 はっ!! ここで今まで私がその昔、夫に対してもやもやしていたある事と線が一本に繋がったのです。 隠し子の存在...夫が私に嘘をついていた過去 浮気ではなかった...謎の女性の正体 夫と付き合い始めてから、ごくたまに話が噛み合わないことがありました。 例えば一緒に観に行くことのできなかった映画がレンタルされた時、 「あっやっとレンタル開始されたね!借りようよ!!」 と言うと、 「あれつまらなかったよ。」 と、いつの間にか観ている発言をしたり、行った事のないレストランに、過去に私を連れて行ったような話を始めたり。 何となく浮気かな?と思ったこともありましたが、証拠もなかったので、もやもやしつつも受け流していました。 そんなある日の夜、彼が席を外している時にメールの着信音が。 当時の二つ折り携帯の小さいディスプレイを見てみたら、女性の名前と「今日はありがとう」のタイトル。 私も若かったので、思わず携帯を開いてそのメールをチェックしてしまいました。内容は 「一緒に○○(映画のタイトル)観られて楽しかったよ。ネックレス大事にするね」 …完全にクロだと思いました。 そして戻ってきた彼に1、2発は殴られる覚悟で、携帯を見てしまったことの詫びと、このメールの内容について聞いてみました。 するとキレると思いきやへらへらした態度で、 「これはたまに行くフィリピンパブのホステスで、今日はどうしてもと言うから同伴しただけだ。ネックレスも露店で買った安物だから信じてくれ。」 と。 確かに名前は、マリアとかカレンとか言った源氏名のようなカタカナ表記だったので、その時は彼の言うことを、そのまま信じてしまいました。 ホステスではなく隠し子だった 元夫から昔、フィリピンパブのホステスだと言われていたあの時のメールの名前。 そう。漢字で表記されていたものの、今回届いた書類にあった少女の名前と同じだったのです。 …もしあの時のメールの人と同一人物だったとしたら、夫は小学生のこの少女に会ったことがある…でも理由は…? そこで思い当たったのです。 私と元夫は年齢が14歳も離れています。そして私との結婚の前に、他の女性と10日だけ籍を一緒にした過去があることを打ち明けられていました。 夫曰く、相手は精神的に問題があった女性で、結婚した証だけ欲しいと頼み込まれて入籍したと。2人の間に子供はおらず、言われた通りに結婚してすぐに離婚したそうです。 実際取り寄せた戸籍にも、わずか10日間で離別していることが記されていましたので、夫の言うことを全てそのまま信じていました。 でも実はその時の女性との間に、子供がいたのでは…。 その子がこの書類の少女なのでは…。 そう思えば思うほど真実味が増して、暖かい日だったのに寒気が止まりませんでした。 真相解明...「確かに俺の子だ」 夫が帰宅して、落ち着いた頃を見計らって。 逆上すれば怒鳴り散らし暴れ、真相は闇の中になりかねない夫の性格。 努めて明るく、責める口調には決してならないよう注意して封書を渡し、聞いてみました。 「これは実の父親にしか届かない書類みたいなんだよね。」 とカマをかけて…。 …すると、少し困った表情をした後、「何でこんな書類が届くのか全く分からないが、確かに俺の子だ」と認めたのです。 ああ。やっぱり…。動揺はしたものの、不思議とショックは感じませんでした。 前の婚姻の際、相手の女性が妊娠し認知だけするつもりだったが、子供に夫の姓を引き継がせてあげたいとの頼みを断り切れず、10日間だけ入籍したこと。 あの時、映画を一緒に観に行き、ネックレスをプレゼントしたのはこの子で間違いないこと。 養育費や慰謝料などは支払っていないが、年に1~2回会っていたこと。私の推理は、怖いくらい当たったのです。 内心まだかなり動揺していましたが、何とか平静を装って、この書類はどうするつもりか聞いてみました。 すると急に不機嫌な様子で、その書類をぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱へ捨てたのです。 「俺は金は一切払わないことを条件に入籍してやったんだ。」 「こんなこと俺が知るわけねーだろ!!一銭も払わないしもうアイツ(少女)とも会わない!!」 私は思わず、 「これは払えない場合でも、そのことを書いて返送しなきゃいけないって書いてあったよ!捨てていいの?何回も会ったりプレゼントあげたってことは可愛がってたんじゃないの?そもそも今知ったけどうちの子と姉妹なんだよね?」 と、責め立てるように反論してしまいました。 当然その後は夫が暴れ、話を続けることが出来ませんでした。 一応捨てられた書類は、私の方で返信の締切日まで保管していましたが、夫から何か言ってくることはなく、いくら少女が可哀想とは言え、私が記入する気には到底なれませんでした。 実の娘よりお金が大事!失望する旦那に逃げる私と娘 元々私に対し、金銭的DVもあった元夫。 いくら一緒に暮らした期間がなかったとは言え、実の子に対しお金が絡むだけで、こんなにも非情な行動を取れるような人だったことに、とても失望しました。 少女の母親の気持ちは私にはどうでもいいですが、何回も遊んでくれたお父さんに最後に裏切られた少女の気持ちを思うと、我が子と重ねて考えてしまい、とても複雑な気持ちになったことを覚えています。 と同時に、もし我が子に何かあったら守る事ができるのは自分だけなのだと、覚悟もしました。 …それから数年後、私と娘は夫と決別しますが、4年も共に暮らし、とても可愛がっていた娘に対しても、隠し子であった少女と全く同じ扱いでした。 離婚の際、養育費を払いたくないという理由だけで、娘の親権を要求し、私が1円もいらないから親権だけ欲しい。というと、あっさりと放棄したのです。 その時は信じられない気持ちと、娘が可哀想な気持ちでいっぱいでしたが、過去に隠し子の少女に対しとった行動を思い返すと、その行動は当然だったのだと思うことができます。 元夫の隠し子に対して、私の気持ちをまとめると、自分がすでに母親であった為か、意外にもすんなり受け止められたように思います。 でももし、あの時お金を渡してその後も定期的に会っていたなら、少し心境は変化していたのでしょうか。でも嫉妬のような感情は、おそらく抱かないだろうと思います。 長くなってしまいましたが、これが私の体験した元夫の隠し子が発覚した時のお話です。 みなさんも夫の大きな秘密にはご注意ください!! 今まで見えてこなかった、夫の本性を知ってしまうかもしれませんよ。

経済的DV6つの特徴&私の経済的DV体験を告白します!

配偶者や恋人のあいだで起きてしまうDV(ドメスティックバイオレンス)。 殴る・蹴るなど身体的に受ける暴力を思い浮かびがちですがそれだけではありません。 精神的・経済的・性的・社会的隔離など、身体的に被害はなくても心に大きなダメージを与え、人権を侵害する…これらも全てDVによる暴力です。 私は過去の結婚で、身体的にも精神的にもDVの被害を受けていました。しかしこれもDVだったのか…と後から気づいたことがあります。 それが経済的DVです。 お金は生活の基盤を支える上でとても重要なものですので、それが制限されるということは、自由に生きていくことを奪われることになります。 今日はあまり知られていない経済的DVについて、自身の体験を交えながらお話していきます。 経済的DVとは?
 経済的DVとは、相手を経済的に支配し追い詰めていく暴力を指します。 被害は、夫が家計を握っている専業主婦の方に多いと言われています。 借金やギャンブル夫だけがその対象でないため、被害を受けている側もDVだとは気づかずに徐々にその圧力に支配されていきます。 では経済的DVにはどんな特徴があるのでしょうか。 特徴1、給与明細や貯金額を見せない 夫婦が納得していれば、夫側が家計を握ること自体は悪いことではないです。 しかし毎月の給料額や貯金額を聞いても教えてくれない場合は、何か言えない事情や秘密の出費があるのかもしれません。 財産を把握できないことで、妻側は将来の見通しが立てられず、不安な毎日を過ごすことに…。 特徴2、生活費を勝手に決めつける 生活費として、明らかに足りない金額しか渡さない。 勝手にこれで足りるだろうと決めつけて、足りないことを訴えると嫌な顔をしたり怒ったりする。 …これは経済的DVです。 そうなると、追加でお金を貰うことがプレッシャーになりますし、金銭的に夫に支配されているため立場が弱くなります。
 特徴3、お金の使い道を細かくチェックされる 無駄遣いはしていないか、新品のものが家にあったら買った理由を説明する。 買い物後は毎回レシートをチェック…。 化粧品や、生理用品までもっと安いのにしろと言われるケースもあるようです。 これでは毎回の買い物自体がストレスになり、毎日生活しづらくなります。
 特徴4、妻の自由になるお金がない 先ほどお話したように、夫から足りない額の生活費しかもらえない妻の多くが、この状況になってしまいます。 化粧品を買ったり、友達とのランチや美容院に行くお金もありません。 夫からすると専業で家にいるだけの妻に、そんな事や物は必要ないと思っています。 必然的に付き合いも悪くなり、引きこもりがちに…。 自宅ばかりの狭い生活範囲だけでは、気分も落ち込みがちになり、より一層夫の支配力を高めてしまいます。 特徴5、借金を内緒で作る ギャンブルや飲み代、または妻に一言も相談せず大きな買い物をして勝手な借金をしている夫も経済的DVに当てはまります。 こういうタイプの夫は、自分で稼いだお金を好きに使って何が悪いという考え方をしています。 また、家族の預貯金を無断で引き出して散財してしまうケースも。 家族がいるのに自分の私利私欲を優先する夫には、日頃から注意が必要です。 特徴6、専業主婦を強制する
 頑なに妻が社会に出ることを嫌がるタイプ。金銭的に上下関係を作って妻を束縛しようとします。 お金に余裕があれば専業でもやっていけますが、経済的DVに当てはまる夫の多くは貯金も出来ないほどの収入なのに、強制的に専業主婦を言い渡し、厳しいやりくりをさせられるのです。 私の経済的DV体験
 冒頭でお話したように、私は上記の半分以上に該当する経済的DV を受けてきました。そのエピソードを今からいくつかお話します。 自分にかかるお金は自分で払え!妊婦でもスナックで働かせられる 結婚して1児をもうけましたが、元夫は最初から、自分で稼いだお金を人のために失うのを極度に嫌がりました。 「子どもは親の責任だからお金を出すけど、お前を養う義務はない!」が口癖。 ですからベビー用品などの必要なものは元夫が支払ってくれましたが、その他の検診や出産費用は妊娠中に稼ぐよう言われ、お腹が目立つまでスナックで働かされました。 出産後、すぐには働けないので毎日家にいることになりますが、その時も内職の求人を持って来て月2万でも入れるよう言われました。 特に自分が家にいない間に使われている光熱費や、携帯代を払うことが許せないようで、子供のいる部屋以外でのエアコンや暖房器具の使用は禁止。 バレた時は無駄遣いだと怒られ、殴られることもありました。 DV以外では仲の良い時も多く、家族で出掛けたりした際に外食することもありましたが、その時は、主人より高いものを選んではいけない。 生活費の中からの支払いでしたが、必ず「ご馳走様でした」とお礼を言うなど、とても気を遣うものでした。 最低限の生活費!化粧品も100円均一へ 毎月元夫からは12万円を生活費として貰っていました。 光熱費・食費・生活用品・衣料品・子供の教育費・レジャー費・ガソリン代…また毎晩お酒を飲む人でしたのでお酒代など…家賃や税金以外のやりくりを、この金額でやらされていました。 足りない時には、必ずレシートを添付した家計簿を見せ、足りない理由と今の状況を説明します。そしてOKが出た時だけ追加でお金が貰えました。 ですから了承を得られなかった時は、2、3ヶ月前から決まっていた友人との約束を諦めたり、化粧品も100円均一のものに変えたりしてやりくりをしなくてはなりません。 子どもが保育園に入り、パートに出られるようになっても給料は全部元夫に預け、月12万円の支給が変わることはありませんでした。
 私は12万の車、夫は好きな車を勝手に買う
 私たちが当時住んでいた地域は、田舎でしたので交通の便が悪く、一家に1台どころか1人に1台車を所有しなくては生活できないような所でした。 ですので私にも車は必要でしたが、夫が見つけてきたのは12万円の中古車。私はそれでもとてもありがたく思って、毎日大事に乗っていました。 そしてある時、パートから家に帰ると見慣れない車が1台駐車場に停まっていました。聞けば前から欲しがっていた車を、一言の相談もなしに現金で一括購入したとのこと。 今まで乗っていた故障もしていない車は売って、その購入資金に充てたそうです。 私のパート代や娘の児童手当は、車の購入資金に消えていた
 我が家はお金に余裕がないと思っていた私。 何故なら娘の学資保険や私の生命保険などには入れない。など、とても余裕があるようには見えなかったのです。 しかし蓋を開けてみると、私のパート代や娘の児童手当までもが車の購入資金に消えていた事が判明し、一言の相談がなかったことも重なり、非常に無念で悔しかったことは忘れられません。 終わりに… いかがでしたでしょうか。 当時は金銭的DVという言葉自体まだ浸透していなかったこともあり、これらのエピソードも立派な暴力だと言うことに私は気づいていませんでした。 私の場合、直接の離婚の原因は身体的DVによるものでしたが、今思えば随分前から経済的DVを日常的に受けていたのだと、早く気づいて対処していれば後の暴力被害も防げたのではないかと後悔しています。 お金のことは友人にですらなかなか相談しにくい部分だと思うので、「うちもそうかも…」と気づきながら我慢をして耐えている方も少なくないと思います。 しかし、金銭面の話し合いをパートナーとすることが怖い、躊躇してしまうというのは共に生活していく夫婦としておかしな話です。 1度夫婦関係を見直す必要もあることを考え、これ以上被害がエスカレートしないことを私は願っています。

1年半生活費がもらえなかった!生活費を巡った私の離婚調停体験談

「嫌いになった」愛していた夫からの突然の言葉。ここから約2年の別居生活がスタートし離婚。 今回の記事は私が体験した、「1年半生活費がもらえなかった生活費を巡った離婚調停体験談」になります。 離婚の経緯「嫌いになったから離婚して欲しいと言われた私」 それは突然の宣言だった 17年ほど前、私は以前の夫から「嫌いになった」と宣言されました。「嫌いになったから離婚を考えている」と突然言われて頭の中が真っ白になったのをよく覚えています。 とにかく、とにかくその時はショックでした。 この人は何を言っているのか?私は棄てられてしまうのか?こんなの嘘だ等々、頭の中で考えながら私はつい言ってしまったのです。 「あまりにショックで一緒にいられない。アパートから出て行って欲しい」と。 混乱して自分の口から出たのがそのフレーズだったのです。別居生活のスタートです。 別居後1年半で生活費を入れなくなった夫 別居後一年半を経過した頃から夫は生活費を入れてくれなくなりました。 私には慢性的な持病があり、パートでアパートの家賃をギリギリ払える程度のお給料しか当時は稼げませんでした。 それで、夫からの生活費が入って来なくなり、自分の診療費も出なくなって死活問題になったのです。 別居中なのを知っている親からお金を工面してもらったりしていましたが、限界があります。 弁護士に勧められた調停申立 そこで、別居生活3年目に入った頃、知り合いの紹介で思い切って弁護士さんに相談に行きました。 そこで勧められたのが、調停を申立てるということだったのです。 調停を申立てる場合、当時は相手が住んでいる地域の管轄家裁=家庭裁判所に出向き申立てることが法律で定められていました。(今は法律が改定されています) 夫は隣りの市に移り住んでいて、たまたま家裁の管轄が同じだったので遠くまで行かずに済んでそのことは助かったのを覚えています。 調停申立の準備と家庭裁判所への申立 別居中の生活費の請求は「婚姻費用の分担請求調停の申立て」と言い、申立てに際して事前に必要な書類があります。 【必要だった書類】 ①婚姻費用の分担請求調停の申立書 ②夫婦の戸籍謄本 ③申立人(私)の収入関係の資料(源泉徴収票、確定申告書、給与明細等) ④(もし持っていれば)相手方の収入関係の書類 申立書はどこの家庭裁判所でも無料で配布してくれますし、今ではインターネットからダウンロードすることも出来ます。 かかった費用は手続き上必要な収入印紙代1800円と相手側に書類を送るのに必要な切手代800円の計2000円。 意外と安く済むんだなと思ったのを覚えています。 調停日の通知「呼び出し状」 第一回目の調停日の通知は申立て日から2週間くらい後に「呼び出し状」という名目で送られてきました。 当然、夫にも届けられています。 夫の住まいの住所はわからなかったので、会社の住所を通知先にしたように記憶しています。 調停日には呼び出し状に書いてある時間までに家裁まで出向きます。そして、待合室で呼び出しを待ちます。 待合室では他の調停を待っている人と鉢合わせたこともありましたが、夫とは会わないようになっていました。 調停のときは全てを正直に話すこと 第一回目のときに、男女1名ずつの担当の調停委員さんがこれからの調停の流れを説明してくれて、まずは申立人の私から申立てた経緯を説明しました。 質問に対しては事実を答えるように言われたので、全てを正直に話しました。 自分の気持ちも含めて、です。 30分くらいで退室を促されて待合室に戻り再び待機します。 待機している間に夫が調停室に呼び出されて、かわりばんこに調停委員さんから相手の主張を聞かされ、自分の主張を述べることが続きます。 夫側からも離婚調停を申し立てられた 第一回調停日の調停室に呼び戻された二度目の時、私はまた愕然とする事実を突きつけられました。 私が婚姻費用の分担請求調停を申立てたと知るや否や、「夫側も離婚調停を申立てて来ていた」と調停委員さんからそう言われたのです。 それを聞いた時、あまりにも展開が意外過ぎてまた頭がおかしくなりそうでした。 夫の本性がようやく分かった その事実を聞いた時、私はようやく気づいたのです。夫はつくづく酷い男だったのだと。そして、私と本気で離婚したいと思っているのだなと。 実はその当時、私は今の主人と知り合っていて色々と相談していたので、調停終了後に泣きながらその事実を報告しました。 そして、離婚するにしろしないにしろ、このまま言うことを聞いて終わる訳にはいかないと決めたのです。 1年半貰えなかった生活費は請求できなかった 婚姻費用の分担請求でもらえるお金(別居中でも支払われるべきだった費用など)は、申立てて請求した日からなので、1年半もらえなかった生活費分は請求できないというのも調停中に知りました。 何だか踏んだり蹴ったりだなと感じましたが、私の調停が通れば離婚する時までは生活費はもらえることになるし、離婚には応じないと言い続けようと改めて心に決めました。 3回目の調停でバカ男の要求を呑み10万円で離婚 調停の間隔は大体月に一度でした。 間にお盆が入ったので夏場だけ二ヶ月空きましたが、その間に今の主人と親しくなり生活もかなり助けてもらっていました。 三回目の調停の前に、今の主人からその当時の奥さんとの離婚が成立したと報告を受けました。私は別居していたとはいえ、W不倫をしていたのです。 その是非はさておき、これでこの調停を終わらせることができると安堵したのを覚えています。 別にすぐに誰かと結婚したいとは考えていませんでした。 それよりも何より、調停中というこの状況とバカ男から解放されたいという想いが強くなり、最終的にはバカ男の要求を呑み10万円で離婚することで合意したのです。 10万円は余りにも安すぎるとは思いましたが、バカ男の稼ぎがそれくらいしかないのは私が一番よく知っていたし、そこからまた粘ったところで10万が100万になるはずもないので合意したのです。 そして、私が申立てた調停は取り下げという形で終わりました。 合意が決まると調停成立ということになり、その日のうちに裁判官が夫婦二人を前にして調停調書というのを読み上げます。 そこで久しぶりに別居中の夫婦が顔を合わせるわけですが、その時のバカ男は自分の思い通りになってすっきりしたような顔をしているように見えて怒りがこみ上げてきたのを覚えています。 私はこんな男に惚れていたんだと自分に対しても腹が立ちました。 離婚調停成立後の流れ 離婚調停後は、10日間のうちに離婚届を出さなければいけないという決まりがあります。 夫婦二人と証人二名の署名捺印は必要ありませんが、調停調書謄本というのを提出しなければなりません。 当然、離婚の手続きはバカ男がしたのですが、その後に戸籍謄本を確認したら「調停離婚」と離婚の種類みたいな記載がされていて気分が落ち込んだのを覚えています。 話が前後しますが、調停が成立すると申立人とその相手に調停調書というのが送られてきます。調停の内容と経緯が記載されていて読み直して事実と違うことが書かれていたら訂正してもらうことも出来ます。 離婚してわかったこと「離婚は結婚よりもずっと大変」 よく世間で、離婚することは結婚することよりずっと大変だという話が出ますが、本当にその通りでした。 私はその後、調停中から助けてもらっていた今の主人と結婚をして子供も授かり17年前のあの日から想像もつかないくらい幸せな日々を送っています。 そして、夫婦という立場でも他人だという事を忘れずに、気を許しすぎてはいけないという事も離婚を通じて学びました。 前夫のバカ男には微塵の感謝もありません。生涯を通して、唯一私が不幸になれと願っている人間です。

元夫との借金地獄生活!流産後の「やったね!これで飲みいけるね!もうお酒飲んでいいんでしょ?」で速攻離婚した話

私が出会った頃の元夫の仕事は某大学病院勤務。高収入、高学歴、高身長、顔は芸能人の向井理さんそっくりでした。 地方で就職して暮らしていた私にはとても魅力的な男性に思えました。デートはいつも豪華だったし、プレゼントもブランド物。 趣味は違っていても、私にいつも意見を聞いてくれて、合わせてくれました。映画に行ったり、旅行に行ったり、私が支払いをしたことは一度もありませんでした。 付き合ってすぐ、元夫の家族にもすぐ私のことを電話口やメールでですが、紹介してくれました。 お父さんは事情があっていないようでしたが、お母さんとお姉さんは心より喜んでくれ、交際を応援してくれました。 交際は順風満帆・・・色恋ボケした27歳の私はもう、元夫のおかしな点には気づかないふりをしていたのかもしれません... 元夫の200万の借金が発覚 ある時、元夫の携帯へ電話をかけても連絡が取れず、不思議に思った私がアパートを訪ねてみると、借金により携帯代が払えず止まっている事が明らかに。。。  そして借金の全容が判明...キャバクラに競馬、パチンコ、接待と称した飲み会などから借金が膨れていたようです。 さらに車も全額ローンで購入していたため、合わせると借金約200万。 それを知った私は愕然とし、私との付き合いはほぼ借金でしていたのか!と唖然としました。 任意整理をして結婚へ  私は元夫に債務整理を勧めました。 そして、知り合いの法律家に依頼し、俗にいう任意整理をしたわけですが、支払いをほとんどしていない人間にとって任意整理は無意味に近いのですが、元夫本人が自己破産をどうしても拒んだため、任意整理して、とりあえず、借金に追われることは一時的になくなりました。 私の母親も借金がネックとなり最初は結婚を許さなかったのですが、「これからきちんと返済していくなら」という条件で、私のお婿さんとして実家に向かい入れられることになりました。 借金があったので、結婚式も、新婚旅行もなく、写真だけ撮るのが精いっぱい。まあ、写真は離婚した時すぐゴミに出しましたけど。 母が夫に激怒し実家を追い出される 結婚生活は過酷を極めました。   会社にはしっかり行くものの、 ・実家の雑多な作業(草刈りや雪囲いなど)に一切手伝わない。 ・借金返済で生活費も入れれなのに、何もしない、ベッドに横になってスマートフォンで遊ぶ。 という元夫を見かねて、私たちは夫婦は母親に実家を追い出されることになります。 「離婚しないなら出ていけ!!」ということです。  正直、私もうんざりしていました。毎日元夫のフォローのために動き、それでも満足しない母親から怒られる日々に疲れ切っていました。板挟み状態でしたし。 キャッシングの金でアパートを借り二人暮らし。夫のせいでギリギリの生活  もちろん貯蓄などなく、私がキャッシングしてアパートを借り、挙句に元夫がかわいい!といって犬を飼ってしまっていたため5万7千円の家賃のアパートを借りることになりました。 私の収入は?と思う方々も多いと思いますが、奨学金の返済、車のローンの支払い、実家に入れる生活費で貯蓄も底をついていました。 更に実家の部屋が狭いという夫のため部屋をリフォームしたり、布団じゃ体が痛いと言われればベッドを購入し、テレビが古いと言われれば買い替え、お金が底をついていました。 今思えば我慢しろよ。と思いますね。自分の建てた家でもないくせに文句ばっかり言いやがって... 苦しい生活のなか妊娠が発覚!お金がなく産婦人科にもいけないのに、夫は浪費... アパートに引っ越すタイミングで私の妊娠が発覚しました。 本来であれば、喜ばしいことなのに、私は「これからどうしよう...」という思いでいっぱいでした。 私はつわりがひどくて仕事を休むしか選択肢が無くなり、引っ越しがあるので入院も断り、犬の面倒と元夫の面倒をみて・・・本当に毎日喧嘩ばかりしていました。 夫は「大酒飲み」「大食い」「喫煙も一日2箱」これが生活を圧迫し、お金が本当にない生活を送ってました。 家賃と光熱費を払って、諸経費を払うと、手元に食費が1万円残るか残らないか、という状態にまで追い込まれてしまったのです。 そうすると、私は産婦人科に行くお金がなく、金目の物を全部処分し、キャッシングするしかありませんでした。  それでも夫の浪費は止まりません。「今日は会社の飲み会だから」とお金を持っていき、べろんべろんに酔っぱらって帰ってきて、同僚の人から、足りなかった飲み代分を請求されたりもしました。勝手に代行で帰ってきて代行の料金一万円以上支払ったり。 家計は火の車、キャッシングしても産婦人科に行く余裕がありませんでした。 当時、本当に心身ともにボロボロでした。「ああ、今度は自分が借金返済で悩むんだな」ともう心底人生が嫌になったというか。私は何をやっているんだろう、と思い悩み、寝込む日々が続きました。 流産が発覚!夫の言葉は「やったね!これで飲みいけるね!もうお酒飲んでいいんでしょ?」  元夫のボーナスが入り、妊娠3か月目、ようやく2度目の受診がかないました。そこにいたのは・・・いなくなった赤ちゃんのエコーの画像でした。初期の流産でした。  元夫も受診の時そばにいたので、私は泣くこともできずに、「ごめんね~私ちょっと不注意だったかなあ?食事もとってなかったし。」と伝えたのですが。元夫は「遅刻してるから会社行く。時給で引かれるし」と言って私をアパートに置いて、仕事に行きました。 それだけでもショックだったのに、流産した人って掻把手術というものを受けないといけないのですが、私が加入していた医療保険からお金が10万円くらい出ることが分かったんですね。そしたら元夫が言った言葉、想像できますか?  「やったね!これで余った分でぱーっと飲みに行こうよ!!もうお酒飲んでいいんでしょ?」 驚愕の言葉から変わった私。離婚へ一直線!「もう二度と顔も見たくない」  私の中でブツンって何かが切れるような音がして。後は記憶はおぼろげですが、犬と自分の貴重品だけ持って、車に乗り、実家まで帰りひたすら寝込みました。  迎えに来た夫に離婚届を突きつけ、「今ここで別れないなら裁判にする」と言ったことははっきりと覚えています。 「ゆみちゃんには俺が必要だよ、犬もかわいそうだよ」というありがちなセリフや、「ゆみちゃんを理解してくれる人がこの先いるとは思えない。一緒に帰ろう」と言われましたが、「ガタガタ言わないでさっさと書いて!印鑑ないなら母印でいいから押して!そうしないと警察呼ぶよ!」とすごい剣幕で言ったことを覚えています。  あまりの剣幕にそれに従った元夫の私の借金地獄の生活は終わりました。 二度と顔も見たくないですね。    

借金男との結婚が壮絶すぎた私の体験談!借金癖・酒乱・嘘つきetc

私が結婚した相手はどうしようもない「クズ男」でした。 借金はする... 嘘つき・口だけ... 酒乱... スナック通い... クズ男としての条件はしっかり満たされたそんな男。 この記事では、そんな元夫との壮絶な結婚生活を振り返りたいと思います。 再婚相手はどうしようもないクズ男だった 13歳と12歳の娘二人を連れての再婚でした。相手もバツ1で、別れた奥さんとの間に小さな子供がいると聞いていました。 付き合っている時はとても優しく、娘たちの事も可愛がってくれました。 ひとつ気になっていた事は、お酒をたくさん飲む事・・・。 仕事の付き合いだと言って飲みに行くことが多く、節度のない飲み方をする事がありましたが、「お前と結婚できるなら、深酒はしない」という約束で、妊娠した事をきっかけに再婚することにしました。 口から生まれたのか? バツ1で二人を育てていくのは大変でした。 何の資格も持っていない私は経済的にとても苦しく、だけど娘たちには人並みの生活をさせたくて、昼も夜も働いていました。 そんな私に「俺が3人を守るから心配しなくていい」「もう頑張らなくていいよ」とその当時一番心に響く言葉をいつも言ってくれていました。 今思えば何の根拠もないんですが、「これで幸せになれる」「この人に任せておけばいいんだ」と思ったのを覚えています。 それほどに普段からいつもたくさんの優しい言葉を言ってくれてました。 あまりにも歯が浮きそうな事をペラペラと言っていたので、かすかな不信感は最初からあった気がします。 大酒飲み 「深酒はしない」とあれだけ約束していたにもかかわらず、「仕事の付き合い」「同僚の相談にのっていたから」「社長の命令で」など、言い訳をしながらも毎日飲んで、それも酔っぱらって帰ってくる事が増えていきました。 家で飲んでいる時は大丈夫なんですが、外に飲みに行くとかなり深酒をして、汚い言葉や大きな声で騒いだり、夜中に電話してきて繁華街まで迎えに行くこともありました 最初の兆し 籍を入れて3カ月を過ぎた頃、すでに結婚前の約束はなかった物に等しく、毎日のように酔って帰ってくることが多くなっていました。 酒臭い息を吐きながらすわった眼をして、娘たちが寝ているのも構わず大声でしゃべりまくる・・・ べたべたと甘えてきたり、相手をしないと急にプイっと出て行き、さらに大酒飲んで泥酔状態で飲み屋から「迎えに来い」と電話してくる・・・ 妊娠6カ月の私には苦痛の日々でした。 何度となく話し合って、せめて妊娠中は外で飲まずに家で飲んでほしいとお願いしても返事ばかりで、挙句には「自分は酒が嫌いで飲みたくない。 だけど仕事の付き合いだから仕方ない」と意味不明な事を平気で言います。 朝から私服を準備して言い訳しながら制服で出勤し、夜中の3時頃にチャラチャラとネックレスを付け、香水のにおいをまき散らしながら帰宅する・・・ 帰宅した途端、携帯には飲み屋の女の子数人からのお礼メール・・・32歳にもなって、もうすぐ子供が生まれるのにもかかわらず遊びまくる。 再婚したことに後悔している自分に気付きました。 気持ち悪いくらいの嫉妬心 とにかく嫉妬心の強い人でした。 私がいない所で携帯電話のメールを盗み見るのは当たり前で、 昔からの男友達や、同級生など男の名前を見ると即座に聞いてきて、「今も連絡を取っているんだろう」「おまえもどうせ俺から逃げるくせに」と言いながら携帯電話を壊す。 かと思えば、次の日に新しい携帯電話を買ってきてひたすら甘えてくる・・・この繰り返しが3回はありました。 自分の携帯にはしっかりとロックをかけ、前の奥さんや女友達、飲み屋の女の子からメールが多いのに、怒って私が言い返すと速攻でそのメールを消去し、「そんなメールなんかない!確かめてから言え!」と怒鳴り散らかす・・・ たった今目の前で消去したのに、平気でこんなことが言える馬鹿さにいい加減うんざりして、この時すでに「この人とはもう生活できないかも・・・」と思いだしていたのかもしれません。 生活費が減る 妊娠7カ月。 生活費として渡してくれる金額が急に少なくなりました。理由は同僚が借金をして返済が出来ずに困っているからとの事。 いくら仲がいい同僚とは言え、他人を助けるためにうちの生活費が減るのは納得いきません。 次女の小学校卒業、中学校入学、そして出産も迫っており、人助けしている余裕はなかったので、何度も話し合いをしましたが、一番の友人で自分も前に助けてもらったから・・・との事で結局は私が生活を切り詰めて何とかする事になりました。 口だけ男 前夫が長期出張で他県に行くことになりました。 今までの前夫と違って、これから生まれてくる子供と私の娘たちの為に「酒はもうやめる」「お前たちと離れるって考えたら怖い」といつも言っていました。 確かに電話で話す前夫はまったく酔ってなくて、これから5人での未来についてたくさん語っていました。 だけどやっぱり口先だけの約束にすぎませんでした。 休みのたびに帰ってきていましたが、「社長から呼び出された」「取引会社の接待」「友人から相談されているから」などと言い、出かけてはまた大酒飲んで酔って帰ってくる。 酔っぱらってケンカして交番から電話がかかってきたこともありました。この頃にはもう何を言ってきても信じられなくなってきており、お酒もやめる気は全くないんだと確信しました。 1本の電話 そんな矢先に鳴った1本の電話。相手は名乗りましたが知らない女性でした。 そこで話した事はショック過ぎてくわしく覚えていませんが、 「子供の養育費がここ数カ月振込されていない。電話やメールをしても一向に返事がなく、仕方なく職場に電話したら、再婚したと聞いてびっくりした。」という内容。 名乗った名字が前の奥さんでなかったので、訳わからずパニックになりました。 初めて知る過去 その女性は高校の時の元彼女で、子供が出来たけど親の猛反対で駆け落ちしたそうです。 出産したものの、前夫の酒癖の悪さ、浮気、借金が原因で籍を入れる間もなく親元に帰り子供を育てているの事。 女性の両親が激怒し、慰謝料、養育費をめぐり両家で何度も話し合い毎月支払っていく約束だったそうです。 私にはバツ1と言っていましたが、事実上バツ2。子供はもうすぐ生まれてくる子供で3人目だったのです。 言い訳 その電話の後は、頭が真っ白になり何をどう考えればいいかわからず、泣く事も出来ず、ただただぼーっと過ごした記憶があります。 私が事実を知ったと知り、あわてて出張先から帰ってきました。 「そんな女は知らない」「前の嫁にはめられた」「お前は俺だけを信じてくれればいい」とかなんとか言っていたと思います。 聞けば聞くほどつじつまの合わない嘘を、平気な顔では話す前夫。 この時はっきりと再婚を後悔しました。だけどもうすぐ子供が生まれてきます。とりあえずは我慢することしかできませんでした。 今思えば、言い訳にもならないような事をよく真剣な顔で言えたもんだとびっくりします。 普段から小さな嘘をつく人間は平気で大きな嘘がつけるんだ・・・と、この時冷静に考えていた事を今でも鮮明に覚えています。 甘えればすむと思っているばかな男 私の体調が悪くなり出したのはその頃からでした。 出産まで1カ月・・・ 妊娠中毒症で足がパンパンにむくみ、急な頭痛で倒れる事が増え、救急車で運ばれる事も何回かありました。 医者からは出来るだけ家事もやめて安静にするよう指示がありました。 「自分が甘えているからお前がこんな苦労をして申し訳ない。だけど俺はお前と一緒にいたいから、わがままでも許してほしい」と訳がわからない事をつらつらと言っていました。 それでも嘘をついて飲みに行き、酔って甘えて、夜中に迎えに来いという前夫にいい加減嫌気がさしてきました。 出産した日に酔って面会 ストレスを感じながらも、やっと出産することが出来ました。予定日を1カ月早く生まれてきた息子。 朝、大量の出血をして、ただ事ではないと思いましたが娘たちをまず近くに住んでいる実家に送っていきました。 前夫は既に出勤しており、親にも心配かけたくなくて、病院には自分で車を運転して行きました。 病院に着き、検査をすると重度の妊娠中毒症と早期胎盤剥離との事で緊急オペで出産しました。 オペの途中、先生慌てている声や、私を呼び続ける看護婦さんたちの声が遠くで聞こえていましたが、その時私は走馬灯のように今までの苦しかった出来事が頭の中でぐるぐると回っていたのを鮮明に覚えています。 予定日より早く出てきた為未熟児でしたが無事に息子が生まれました。 しかし私のほうは出血が止まらず、術後の経過がとても悪かったそうで危険な状態だったそうです。 前夫が面会に来たのは、出産が昼だったにもかかわらず面会時間がとうに過ぎた深夜。看護婦さんに無理を言って入れてもらったのでしょう。 病室に入ってくるなり、強烈なアルコールのにおいで吐きそうになりました。真っ赤な顔をして、酔っぱらい特有のすわった目で私を見るなりべたべたと甘えてくる・・・ 「気持ち悪い」と思いました。「早く帰ってほしい」と真剣に願いました。この時すでに私の気持ちは離婚に向かっていました。 退院した翌日に督促状 通常よりも長く入院しましたが、母子とも無事に退院する事が出来ました。 しばらくは実家にお世話になる事になっていたので、足りないものを前夫と自宅に取りに戻りました。 自宅に戻るとテーブルの上にたくさんの封書があり、見るとどれも私宛になっています。一つは私と子供たちの以前から生命保険が解約された事を告げる書類。 もう一つは私が再婚する前に自分で買った車を売った契約書。(車の引き取りは5日後になっていました) そして極めつけは私が20代の頃、初めて作ったクレジットカードの督促状。ショッピングもキャッシングも限度額ぎりぎりまで使っていました。 このカードは普段クレジットを使用しない私が通帳と一緒しまっていたもの。利用したのは作った当初ぐらいで存在自体を忘れていたぐらいでした。 もう隠す事が出来なかったのでしょう。前夫は涙を浮かべながら 「生活ができなかった。ショッピングで電化製品を買い、質屋に入れて現金に換えた。暗証番号は誕生日だとすぐにわかった。車はお金が出来たら俺がもっといいのを買ってあげる。」 発狂寸前でした。いえ、発狂していたのかもしれません。 離婚を決意 この日を境に、前夫の顔を見ると息苦しくなり吐き気がするようになりました。それと同時に食事が全く入らず、急な激しい頭痛で倒れるようになりました。 実家でお世話になっていても平気なふりをするのが苦しく、2度も私の結婚で心配させられないと思い、早々に自宅に戻る事にしました。 前夫は長期出張でいなかったため、子供たち3人と私だけの生活。借金の事さえなければ幸せだったと思います。 ただ前夫は休みのたびに帰ってきており、反省するわけもなく、相変わらず酔っぱらってばかり。 「もう無理・・・離婚したい」 正直に伝えました。最初は子供も生まれたばかりで冗談だと思っていたみたいです。 「絶対離婚しない」の一点張り・・・。 そのあとはいつもの口先だけの「借金はおれがどうにかする」「俺がお前たちを守る」「何も心配しなくていい」・・・ どの面をしてそんなことが言えるのだろう・・・もう限界でした。 何度も「離婚したい」という私に嫌気がさしたのか、自宅に帰ってこなくなりました。 その間もクレジット会社からは督促の電話や封書がひっきりなしに来ており、前夫に電話しても、「どうにかする」と言うばかり・・・ 電話に出ればまだいい方で、出ない事がほとんどでした。 パニック障害、摂食障害、うつ病 体重がどんどん減っていきました。 前夫の声を聞いたり、顔を見ると急に苦しくなり息が出来なくなるのです。激しい頭痛で倒れる私を泣きながら心配する娘たち・・・ 何度となく救急車で運ばれました。 そんな状態だったので、近くに住む私の両親と妹は「嫌ならすぐに帰ってこい」と言ってくれてましたが、前夫からどうにかしてお金を作ってもらい、私のカードで作った借金を返済するまでは帰れませんでした。 だけど身体が持ちませんでした。 体重が40キロをきってしまい、誰が見ても普通じゃない痩せ方だったようで、ある日妹から精神科に連れて行かれま した。 パニック障害、摂食障害、うつ病・・・ 信じられませんでした。まさか私がそんな病気になるなんて・・・ その時初めて妹に今までの事を打ち明けました。なんとなく想像はついていたそうです。 スピード離婚 ここからは早かったです。 両親と妹が私たちの荷物をまとめて、実家に連れ帰ってくれ、部屋を用意してくれました。 相手の親を呼んで話し合う時や、借金の話をする時も私と子供たちが会わなくて済むように違う場所でしてくれました。 離婚もかたくなに応じてくれない前夫に対し、妹がサクサクと離婚調停を申し立て、最後まで顔を見ずに別れる事が出来ました。 ただ借金だけは私のカードだったため、ある程度は残ってしまいましたが、これでもう二度と顔を見なくて済むと思ったら、安いもんだと思えました。 離婚が成立するまでに少し時間がかかりました。その間も携帯が鳴るたびに過呼吸の発作が出て、頭が痛くなりかなり苦しみました。 外で待ち伏せされたこともありました。 精神科で薬を処方されていたので、息子に母乳をあげることが出来ず可愛そうな事をしてしまいました。 娘たちもいつも私の事を心配し、進んで息子の面倒を見てくれました。正直、この頃の事はきつくて、つらすぎてあまり覚えていません。 なので息子の赤ちゃん時代はあまり記憶がありません。それだけが今も心が痛いです。 離婚して得た事 やっと離婚が成立しました。自分でも不思議ですが、あれだけ食事が入らなかったのに 見る見るうちにまともに食べることが出来るようになりました。 借金は法テラスに相談に行き、弁護士さんから自己破産を進められました。 自分で使ったお金ではないのに、この先子供3人を抱えて返済していくのはかなり厳しいという事、せっかく離婚できたのだからいったんきれいにして、これからの人生を開くのがいいのではという事を言われました。 家族とも相談し、7年間はローンが組めず、娘たちの高校入学もあり金銭的にかなり苦労するとは思いましたが、一からやり直すために決断しました。 パニック障害が落ち着いた頃から、昼と夜のかけもちでひたすら働きました。家財道具も私が家を出た後にほとんど質にいれられていて、現金はゼロだったのです。 とにかく生活の基盤を立てなくては・・・自分でもびっくりするくらい働きました。 毎日クタクタで、再婚したことを思い出しては後悔ばかりしていましたが、 日に日に成長していく息子や、あんな不安な思いをさせた娘たちが毎日ニコニコしながら学校での事を話してくれるのを見て、「頑張ろう!」って思えました。 両親、妹にたくさん助けてもらいました。家族のおかげで今の私を得ることが出来ました。 あれから9年・・・ いろんな苦労がありましたが、今では正社員で働き、決して楽ではないですが安定した生活を送っています。 私は心から今の生活が幸せだと思えます。 最後に・・・ ここまで読んでくださって感謝いたします。きっと私よりつらい経験をしている方はたくさんいると思います。 私の場合、男を見る目がなかったので自業自得かな?って思いますが(笑) 今、まさに同じようなことで悩んでいる方。 大丈夫ですよ。怖くないです。必ず助けてくれる人はいます。 それが子供だったり、親だったり、友人だったり・・・といろいろだと思いますが自分をしっかり持つことで、道は必ず見えてくると思います。一緒に頑張りましょう。

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私が別居中の恋愛で辛いと感じた7つの事

あなたはいまどんな方とお付き合いをしていますか? このお話は、私が元夫との別居中に体験した恋愛を通して「この恋、やめた方がいいよね?」と思いつつも貫き通したお話しです。 恋愛には楽しいこと、辛いことたくさんあると思います。 その中でも、「常識では許されない恋」をしている人はジレンマを感じながら恋愛に向き合っているのではないでしょうか? 別居中の恋愛が辛い…そんな風に思ってるあなたに読んで欲しいです。 

好きでもない人と結婚したのが間違い? 私が最初の結婚をしたのは25歳の時。 周りの友人がどんどん結婚していき、当時付き合っていた彼とも別れたばかりの私は正直焦っていました。 そんな時に出会った元夫。5歳上で、私が今まで付き合った人とは違う「私をとても大事にしてくれる人」でした。その時はそう見えたのでした。 でもお付き合いしてすぐプロポーズされ、結婚まで約一年。その間に「おかしいな?」と思う事は度々ありました。 それでも結婚したのは「婚約破棄した女」と思われたくなかったというちっぽけなプライドでした。そんな元夫はとの生活は続くはずもなく。。。 結婚して二年経った頃、義両親との同居がきっかけで、私は義両親と大喧嘩をして実家へ帰りました。 マザコンの元夫は、私より実の両親との生活を選んだのです。そこから私は、本来してはいけない恋愛をしてしまいました。 

彼との出会いは別居してから
 彼との出会いは、別居中に共通の友人から誘われた食事会でした。実家へ帰った私を心配した友人が食事をしようと言ってくれたのです。 男女合わせて6人ほどの食事会でした。 友人が連れてきた彼は私より7歳下で21歳。すごく大人しくてほとんど会話もしなかった彼を見て「無理やり連れて来られたんだろうな。可哀そう」としか思っていませんでした。 けれど、そこで終わる事はありませんでした。また共通の友人と彼と三人で飲みに行く話が出ました。 友人も一緒ならまぁいいか。と軽く考えていたので特別意識もしませんでしたが、飲み会の最中、以前とは全く違う饒舌な彼を見てびっくりしたのです。 そして携帯番号を聞かれてもなんの抵抗もなく教えている私がいました。その数日後から、彼から連絡が来るようになりました。 最初は全く気にも留めなかった彼なのですが、2人で話をしていると、すごく楽しくて。何時間もお互いの話をしていました。 いつしか、電話がくるのが楽しみで仕方ありませんでした。そんな時、彼に「二人でどこかに遊びにいかない?」と誘われました。 突然のお誘いに、ビックリしたと同時にすごく嬉しくドキドキした私が居たのです。 返事は「OK」でもその直後に「別居中だしこれ、まずいんじゃないの???」そんな不安も襲ってきました。
 
別居中のデートは制限だらけ 

彼と二人で会うのはいつも夜でした。そして、地元をさけて知人とあまり会わないであろう場所ばかりを選んでいました。 彼は運転することが好きで、ドライブがてら遠くに行くのはむしろ大歓迎という人だったので、そこは怪しまれることはありませんでした。 でも私の車を運転したいと言い出したり、昼間に会いたいと言われることが私にとっては一番つらかったです。 ウソを並べてなんとかなだめていましたがいつも取り繕う私の姿は不自然だったかもしれません。 とにかく、人目を避けるために必死でした。 なので、遠く離れた場所まで行ってホテルで過ごすのが私にとって一番落ち着く場所になりました。 別居中の恋は制限が多いだけに辛いことも多いです。これから辛いと感じたことを6つご紹介します。 

辛かったこと① 嘘をついてばかりの恋愛
 楽しいはずのデートはウソだらけ。 彼「〇〇へ行こうか?」 私「今日はそこじゃなくてあそこがいいな~」 彼「今度の日曜日は〇〇へ行こうよ」 私「その日は予定があって。ごめんね」 彼「ごはん食べに行こうよ。」 私「今日はコンビニのお弁当がいいな」 そんなやり取りばかり。本当は会いたいのに。 昼間も堂々と地元でデートしたりご飯を食べたりしたいのに。 いつまでもウソをついている自分が嫌になってきました。 彼は純粋に気持ちをぶつけて来てくれるのに私は騙している気分になることもありました。 実際既婚者なのに独身と思わせていましたので騙していましたね。 でもこの時の私は気持ちが止められなくなっていました。 
辛かったこと② 名前さえも偽る日々 彼に対してついていたウソのなかに名前を偽っていたこともありました。当時まだ元夫の姓を名乗っていた私。 彼と初めて会った時、私はとっさに旧姓を名乗っていました。 もうあの名字を使いたくもなかったし、離婚したあとのことを瞬時に考えて、旧姓を名乗ったのです。 でもそのツケが回ってくる事件がありました。 私の車の調子が悪くなり、急きょ彼の叔父さまの経営する修理工場へ行く事になりました。 そこで車検証を見せて欲しいと言われ、彼が私の車のダッシュボードから出そうとしたところでハッと気づいたんです。 そう、車検証は夫の姓のまま記載されているのです。 「まずい!!」私はなにかを確認するふりをしながら彼の手を制止して直接叔父さまに渡しました。 叔父さまに名前を言われたらどうしよう???と軽くパニックになっていましたが 叔父さんは私の名前を読み上げることなく、修理は済みました。

あとから彼に聞いた話ですが、実はこの時、彼が怪しんでいたようです。 
 
辛かったこと③ 浮気調査されているかもという不安
 彼とのお付き合いは順調でした。 でもその裏でいつも心配だったのは「夫が探偵を頼んでいるのではないか?」という疑念でした。 「いや、そこまでするはずがない」という根拠のない自信は最初だけ。付き合いが深くなるほど、その心配は常にありました。 どんなに遠くに行っても実は後ろからずっとつけられているんじゃないか?写真を撮られているのでは…そんな不安と恐怖はいつもつきまといました。 時々キョロキョロしたり、バックミラーから後続車の様子を伺ったり、待ち合わせの場所に行くときは、わざとグルグル回って遠回りしてみたり。。。。 彼の車の助手席に座る時は必ずシートを深く倒してなるべく顔が見えないようにしたり。 私の車を使う時は、彼がどうしても運転したがるのでとにかく私は助手席で顔を隠すのに必死でした。 とにかく知り合いに会いませんように!!と願っていました。 彼を思えば思うほど、こんなことしたくない。堂々と会いたい。夫と早く決着を着けたい。 そんな気持ちになりました。 夫とは10か月の別居中、何度も二人で話し合いました。でも平行線で決着がつかず二人ともイライラしていました。 だからこそ、彼に会いたい気持ちが強くなったのもあるんだと思います。 

辛かったこと④ 彼を巻き込んでいる罪悪感 別居中で、復縁する意思はない者同士とはいえ、私は戸籍上既婚者。こんな関係が許されるはずもありません。 それは十分わかっていながらも、彼を巻き込んでしまっている罪悪感にかられました。 もしこの関係がバレたら。。。。 彼も慰謝料を請求されてしまうかもしれない。 そんなことをさせたくない。 今別れれば、彼になんの影響も及ぼさないだろう。 だったら、いま別れよう。 こんなことを真剣に考えました。彼のことを傷つけたくないその一心で。 自分勝手な考え方だと思います。でも好きって気持ちはどうしても止められなかったんです。 出した結論は「彼は私を独身だと思って付き合っている。私が騙した」ことにしておこうと。 ほんと、虫が良すぎる話ですね。でもそう決めたんです。法律に詳しくないのでそれが理論として通るのかは定かではありませんがそう決めたんです。
 
辛かったこと⑤ 調停離婚に向けての話し合い
 別居が半年以上たった頃、実家に私宛の封書が届きました。裁判所からの通知でした。 夫が申立人となり、離婚に向けての調停が開始されることになったと書いてありました。 裁判所からの呼び出し。私は被告人のような気持ちになりました。 いつまでたっても平行線のお互いの罵り合いを続けるよりは第三者に入って頂いたほうが楽だと、相談した弁護士さんにも言われていたのでなにかほっとしたような気持にもなりました。 調停というものが、どういうものなのかもわからずもしかしたら裁判になるのかも?という不安もありながら私は恐怖で眠れませんでした。 きっと裁判になったら色々調べられるんだろう。。。 裁判になったら絶対バレる。 やっぱり会わないほうがいいかもしれない。 そう思って、私はまたウソをつき、会う回数を減らしました。 学生だった彼はバイトもしていましたし私も仕事が忙しかった時期だったので会う回数が減ったとしても不審には思われませんでした。 でもやっぱり会いたいものは会いたい。夜待ち合せして車の中でご飯を食べたりしていました。 
 

辛かったこと⑥ 先の見えない不安

調停が始まってからも夫との罵り合いが続きました。 でも良かったことはそれぞれ個室に通されたことと、調停委員さんがいてくれたおかげで冷静に話しを進めることが出来たことです。 夫に一度も会うことなく調停は進んでいきます。でもすぐに決着をすることは出来ませんでした。 話し合いが終わり、裁判所を出る時。「いつになったら終わるんだろう」と絶望感もありました。 いっそ、慰謝料を払ったら楽になれるんだろうか? それは周囲に反対されました。私だって払いたくない。でも終わらせるには慰謝料払えば楽になれるかもしれない。 先の見えない不安に押しつぶされそうでした。




 辛かったこと⑦ 離婚はエネルギーが必要 離婚するにはエネルギーがいる。よく聞く言葉です。実際、本当にエネルギーが要ります。 私だけでなく、両親にも相当のストレスをかけてしまい母は倒れてしまいました。 私は彼が居てくれたおかげでストレスがあっても頑張れたのですが両親の方が悩んでいたんだと思い、本当に申し訳なかったと思っています。 私の場合はお互いにもう愛情もなかったですし、夫から「憎い」と言われていましたので、離婚に向けてのベクトルは一緒だったせいか調停に入ってからは「どうしたらお互いが納得して離婚できるか?」というところが焦点になっていました。 だったらもう協議離婚でもなんでもいいから済ませちゃえばいいのに。。。。どれだけお金欲しいんだこの人は??? 内心そう思いながらも調停に行っていました。

ちなみに慰謝料を請求されたのは私の不貞行為が発覚したのではなく、精神的苦痛の面からでした。 

調停3回目に急展開が!!
 調停は相変わらずお互いを罵り合う場でした。 調停委員さんはなるべく裁判まで持ち込まないようにお互いの気持ちや現状を第三者の目で見てアドバイスしてくれました。 「どうしても離婚したいという思いが一緒なら条件面で折り合いをつけていきませんか?」 という方向で進めてくださっていました。私はいつしか調停委員さんの言うとおりにしていました。
 そして三回目の調停に臨んだ時のこと。いきなり夫から妥協案が提案されたのです。 私は嬉しくて嬉しくてその要求を呑みました。結局は財産分与の件で私が余剰分を払うという形で成立となったのです。 まだまだ続くだろうと思っていた調停が、ついに成立したのです! 成立した旨の書類が出来上がった時、私はなんとも言えない気持ちになりました。今でもその光景は覚えています。 数日後、夫と離婚届けを提出し、握手して別れました。その時の爽快感と達成感と言ったら!! その時の事も一生忘れる事はないでしょう。そして一番に会いたいと思ったのは彼でした。 
離婚成立。彼に全てを告白した 

離婚届が受理されたと言っても、これで堂々とお付き合い出来る!と言うのは時期尚早というのはわかっていました。 なので、しばらくはいつも通り夜だけ会っていました。いよいよ彼に全てを話そうと決心したのです。 私「話したいことがあるから今度いつ会える?」 そんなメールに彼は「別れ」を切り出されるのかもと思っていたと後日話してくれました。 一台しか停められない、秘密の夜景スポットに彼を連れて行きました。 そこで私は今まで突き通してきたうその数々を話し、既婚者だったこと、別居中だったのに隠してお付き合いしていたこと。 名前も旧姓を名乗っていたこと。 すべて話しました。 「騙してたのか、じゃあ別れよう」って言われても仕方のないことをしていたので内心どんな返事が来るかドキドキしていました。 でももう離婚も成立し、これからはうそのないお付き合いを真剣にしていきたいと伝えました。 彼は受け容れてくれました。 彼が唯一質問してきたのは「子供はいるの?」でした。「子どもがいるならちょっと考えちゃったかもしれないけど」と、正直に話してくれました。 「でも話してくれてありがとう」と最後は言ってくれました。そこから8年、私たちはお付き合いをしていました。 周りから「結婚するんでしょ?」と言われるくらい私たちは仲良しでしたし、私も彼と結婚すると思っていました。 
8年後・・・別れのとき

 別れは彼から切り出されました。 お付き合いしている8年間、何度も言われていた 「会いたい時に会いたいって言って欲しい」 私はそれを直すことができませんでした。 別居中の恋愛の仕方が板についてしまったのか、私は自分から会いたいと言えなくなってしまいました。 そして、彼が私を愛してくれているという奢りから私はいつも彼の連絡を待つ女になったのです。 そんな傲慢になった私に愛想を尽かしたのか、ある日から彼は一ヶ月ほど連絡をくれませんでした。 私はというと「忙しいんだろうな」と勝手に決めつけ、自分から連絡をしなかったのです。 今思えば、なんで連絡しなかったんだろう。週末が近くなると、会いたくてたまらなかったのに。平日の夜、少しでも会えればすごく嬉しかったのに。 自分のプライドが邪魔をしていただけなのに。。。。 結局彼は私に会うと決心が揺らぐからと、メールでお別れしました。何度も「会って話したい」とメールしても返事は変わりませんでした。 その夜、自分のふがいなさに泣く事しか出来ませんでした。 翌日も泣きはらした目で仕事に行き、仕事中も自然と涙が出てしまいとても辛かったです。 
あれから20年ほど経ちました。…
 別居中に辛いと感じたことを7つほどまとめてみました。 あんなに好きでずっと一緒に居たいと思っていた彼と別れ、現在はその後出会った夫と二人の息子、愛犬に囲まれて幸せに暮らしています。 夫とはなんでもオープンに話せる仲なので、元彼のことも知っています。 過去は過去とお互いわかっていますし、信頼もしています。

不貞行為という法律に反したことをしていたあの時期は、元夫にばれたら・・・という不安がいつも付きまとっていました。 でも、辛さや不安よりも、彼に会いたい気持ちは抑えられなかったのです。 
世の中には私のように、日の当たる場所で堂々と好きな人に会えない恋愛をしている人も多いと思います。 私も実際してきたことなので、他人の恋愛に対して肯定もしませんし、否定もしません。
この先離婚成立となり、再婚。というゴールには行きつかないかもしれません。 再婚ではなく、今の関係をずっと続けられたらそれでいい。それでもいいのであれば、どんな形でもいいと思います。 私のように彼とは別れたけれど、違う人と再婚。というケースもあり、さまざまです。 別居中の恋愛は楽しいこともあるけれど、制限があるために辛く感じることは沢山ありました。 でもそれでも続けていきたい相手なのか?日の当たる場所で堂々とお付き合い出来る日まで我慢したほうがいいのか? 私は続けることを選択しましたが、それを決めるのはあなたです。 いけないことをしているのはわかっているけれどやめられない。そんなあなたへ。 このお話が、あなたにとって一つでも参考になれば嬉しいです。