経験したから分かる!シングルマザーが貧困になる理由&知って得する支援制度14個

子供を持つ女性が離婚を考える際、頭をよぎるのは今後の生活についてです。 共働き家庭も増えていますが、子供を持つ女性の就業率は52%。その内正社員雇用で働く人はたったの8%。 離婚しシングルマザーとして、一人で働きながら子供の生活を支えるのは、大変厳しい道だと言えます。 また、夫も非正規雇用で働く世帯も以前より増え、離婚時に慰謝料や養育費が貰えないケースも多いそうです。 私は、元夫のDVが原因で過去に子連れ離婚を経験しました。 その際の取り決めで、相手が養育費などは一切支払わないことを条件に、離婚の承諾と親権の放棄をしてくれたので、無事離婚することができましたが、それからの数年間の生活は本当に厳しく、毎日のように脳裏にお金のことがよぎっていたくらいです。 しかし、それでも何とか生活を保っていけた背景には、行政による数々の支援制度があったからだと思います。 その制度には条件がありますし、自分で申請しなければ受けられないので、自分が条件に当てはまるのか、調べて知る必要があります。 今回は、シングルマザー貧困の実態と、受けられる支援制度や割引手当など、生活を助けてくれる様々な制度についてお話していきます。 何故、シングルマザーは貧困に陥るのか 厚生労働省がまとめた「各種世帯の所得等の状況」によると、平成24年の貧困ライン(等価可処分所得の中央値の半分)は年収122万円。これを月収に換算すると約10.4万円になります。 この貧困ラインにいる割合が子どものいる現役世帯で15.1%なのに対し、ひとり親世帯では54.6%(そのうちの約9割が母子世帯)。この数字を裏付けるように、生活意識の調査では母子世帯の84.8%が生活苦を訴えています。 出典: press.mamamoi.jp   このように、シングルマザーの大半の生活が、常に厳しい状況に置かれていると言えます。 しかしそれを回避する為、世帯収入を上げるのに正社員として働きたいと希望しますが、母子家庭ではまずその就職活動でつまずいてしまいます。 かろうじて働くことができてもパートやアルバイト。しかもそれもすぐには決まらないでしょう。 私の住んでいる地域には「マザーズハローワーク」と呼ばれる、子育てをしている女性向けの求人が多く集まる施設がありました。 平成29年7月の時点で全国に21か所、通常のハローワーク内に設置されているマザーズコーナーは173か所あるそうです。 そこなら就職しやすいのでは…と行ってみましたが、子育て女性が確かに働きやすい職種は多かったのですが、シングルマザーとなると話は別の企業が多いのが現実でした。 例え面接にありつけても、何か所も不採用。 正社員はおろかどんどん希望や条件を下げて、結局ありがたく採用してくれたのは、自宅から1時間離れた会社の受付兼事務のパートでした。 時給は1000円、週5日働いても手取りは13万を切るほどです。 1DK家賃6万円の子供と私の2人暮らしでは、毎月生活するのがやっと。習い事をさせてあげたり旅行に行ったりするような余裕はありませんでした。 このようにシングルマザーは思うような収入が得られない為、貧困に陥ってしまうのです。 では、積極的に働かなくてはならないシングルマザーが、思うように就職できないのでしょうか。 その1.就業時間や場所に限りがある
 シングルマザーは、夜は子供の世話をしなくてはなりません。 特に小さいお子さんの場合は、保育園や学童などのお迎え時間も決まっています。 ですから働ける時間が限られてしまいますし、残業もできないので、正社員として働くことは難しいと感じる会社が多いでしょう。 それに長い時間就労する為には、通勤時間をより短くすることが理想なので、働けるエリアも絞られ、その分求人数も限られてしまいます。 私は7年前の東北地方太平洋沖地震の際、職場にいました。 当時保育園にいた娘がとても心配でしたが、交通機関もストップ。また回線が繋がりにくく、保育園や実家にもなかなか連絡がつきませんでした。 …結局数時間歩いて、娘に会えたのは夜遅く。 この時、シングルマザーは子供と離れた場所で働いていては、いざという時に守れないことを痛感しました。 そういう事を考慮しても、やはり働けるエリアは限られてしまうでしょう。 子供の急な病気やケガで出勤できない
 子供の急な発熱やケガで、どうしても仕事を休まなくてはいけなくなることが年に数回は訪れるでしょう。さらにインフルエンザや感染症の場合、看護していた自分も感染して、倍の期間お休みしなくてはならない事も…。 近くに子供を預かってくれる実家や、病児保育の施設がない場合、会社としてもなかなか正社員採用に踏み切れないのだと思います。 資格やスキルがない
 私は若くして1度目の結婚をしたので、正社員として働いた経験がなく、パソコンも独学でワードやエクセルが少し扱える程度、資格も普通自動車運転免許しかありませんでした。
 こういった事から、事務職にしても経験者が優遇されますし、非常に厳しい就職活動になりました。 また、専業主婦期間が長かったシングルマザーの場合も社会復帰までのブランクがありすぎる不安から、面接時に自分をうまくアピールできなかったり、また就職活動自体を積極的に行えなかったりする場合もあるでしょう。 シングルマザーが受けられる支援制度 上記のように、シングルマザーの就職はとても厳しい道だという事が分かりました。でも日々の生活は少しも待ってはくれません。 ここからは、思うように収入が得られない中で、少しでも生活を助けてくれる制度をご紹介します。 各制度は各地域で支給額や内容が変わっていますので、ご紹介することを参考にご自分の自治体の制度を調べてみてくださいね。
 児童手当 これは、シングルマザーに限らず、子を持つ全家庭が受け取れる国からの手当てです。 国内に住所がある0~15歳までの子供に年3回、数か月分がまとめて振り込まれる仕組みです。 
児童扶養手当 こちらも国が行っている制度ですが、対象者は0~18歳までの子供を持つ母子・父子家庭に限定されます。扶養人数や所得によって「全額」「一部」「不支給」に分かれ、対象者には年3回、数か月分がまとめて振り込まれます。 特別児童扶養手当・障害児福祉手当 所得制限や等級制限がありますが、20歳未満の子供に精神や身体に障害がある場合、申請し条件を満たしていれば、こちらの手当てを受給できるようです。 母子・父子家庭の住宅手当 こちらは市区町村独自の制度で、行っていない地域もあります(私の住んでいた地域もありませんでした)。 条件も地域によって異なりますが、 ・20歳未満の子を持つ母子・父子家庭 ・民間のアパートに居住している ・申請先の住所に半年以上居住している ・前年度所得が児童扶養手当の所得制限限度額に満たない ・生活保護を受けていない このような条件を設けている所が多いようです。 児童育成手当
 18歳未満の子供を持つ母子・父子家庭に市区町村から支払われる手当です。 こちらも所得・受給制限が地域によって異なります。 
ひとり親家庭の医療費助成制度
 母子・父子家庭を対象に、保護者と0~18歳までの子供に医療費の自己負担分を一部または全額助成してくれる制度です。 所得制限があり、こちらも各市区町村により助成内容が異なります。 こども医療費助成 先ほどのひとり親家庭の医療費助成制度を所得制限により受けられない場合、こちらの制度が該当する場合があるようです。 こちらは親に対する助成はありませんが、子供にかかる負担金の一部が助成されます。 生活保護
 ・援助してくれる身内がいない ・資産が一切ない ・やむを得ない事情で働けない ・月の収入が、最低生活費を下回る 以上のような条件を満たしている場合、シングルマザーも生活保護受給の対象になります。 本当に困っている場合は相談してみましょう。 シングルマザーが受けられる減免・割引などの手当
 保育料の免除や減額 子供の年齢と所得や税金額により、子供を保育園に預ける際の保育料が免除または減額になります。働いているシングルマザーは所得が低い場合が多いので、私もそうでしたが、こちらの手当てを受けられている方が多いようです。 寡婦控除
 離婚や死別などで夫と離れ、再婚していない女性が受けられる所得控除で、満たしている条件によっては、特別寡婦控除が受けられます。 国民健康保険料・国民年金料の免除 母子・父子家庭に限りませんが、所得が少なく支払う事が難しい場合、その金額が減額・免除される場合があります。 各市町村によって細かい条件は異なります。 電車・バスの運賃割引
 児童育成手当を受け取っていると、これもお住いの地域によって異なりますが、都内を例に挙げますと、JRの通勤定期が3割引きになったり、都営交通の全区間無料乗車券が発行されるようです。 粗大ごみの手数料免除・上下水道料金の割引 各市区町村によって詳しい内容は異なりますが、私の住んでいた地域では、指定ゴミ袋も無料になりました。 地味かもしれませんが、毎日の暮らしに関わることですので、この制度を受けられて本当にありがたく思いました。 
自立支援教育訓練の給付金
 私は、この制度に非常に救われました。 資格もスキルもない私が将来を考え、より収入の良い職に就くためにどうしたら良いのか役所に相談しに行った際に、この制度を紹介してもらいました。 雇用保険から職業訓練給付を受けられない母子・父子家庭の人が条件を満たすと、自立支援のための訓練給付金を、支給してくれます。 そして、私は半年間の職業訓練を受けることを決意したのです。 その甲斐あって事務に関する4つもの資格を取得することができ、自身のステップアップに繋がりました。 終わりに… 長くなりましたが、以上がシングルマザーが該当するであろう、様々な支援制度と減免・割引手当です。 これらは、離婚と同時に自動的に受け取れるものではなく、自分で各窓口を調べ申請しなければなりません。 そして、ありがたくその制度の恩恵を受けることは、少しも恥ずかしいことではありません。 子供と自分自身の生活の向上の為に、是非活用できるところは活用し、母子家庭の困窮の苦しさから少しでも解放されるように役立ててみてください!

実体験!母子家庭に対する偏見と子供へのイジメ…いまだに残る村八分

離婚多いですよね。 2015年の人口動態統計の年間推計では、3組に1組の割合で離婚しているそうです。 母子父子のひとり親家庭は、10件に1件。クラスの中に3~4件のひとり親家庭がある計算になります。 母子家庭が増える事により、珍しい事では無くなりつつありますが、偏見に悩むご家庭も少なくないのではないでしょうか。 今回は、母子家庭への偏見を経験した、私の経験談をお話します。 保育園での偏見 ひとり親の家庭では、母は必ず働かなければ生きていけません。 保育園に初めて入れた時、子供は1歳になる年でした。 本当は産まれた年から働きたかったのですが、産後の肥立ちが悪かった私はオークション等でコツコツと日銭を稼ぎながら生活をしていました。 やっと入れた保育園 母子家庭で保育園に入れるのは、割と容易な方です。 特に私の住んでいる地域では、それほど人口も多くない為、比較的安易に認可保育園に入る事ができました。 それでも、私からすればやっとの思いで入れた保育園。お金の無い1年間を過ごしていたため、「やるぞ!稼ぐぞ!」と前向きに。 子供は人見知りせず、誰にでも抱かれる赤ちゃんだったので、割と安心して預ける事ができました。 最初の仕事はコンビニのバイト 保育園といっても行事があります。 私は「母子家庭だからといって、子供の行事に参加出来ない仕事に就くぐらいなら、貧乏でも良い」と考えていました。 その為、コンビニでバイトをしながら日々を過ごしていました。 日中はバイト、夜は子供が寝てからオークションでの小銭を稼ぐ生活になったのです。 子供の夜泣きがひどくなる…原因は…? そんな日々を過ごして3ヵ月。子供の夜泣きに悩まされるようになりました。 朝は保育園に行きたがらず、グズる様に。 寂しいのかと思って、帰宅後や休日は出来る限り一緒に居る様にしました。 違う時間に迎えに行ったら隔離されてた我が子… そんなある日、仕事が早く終わり保育園へ。 お昼寝の時間だったので、そ~っと行って教室をのぞいてみると、グッスリ眠っている子供たちの中に私の子が居ない。 先生もいないので、ホールに行ってみると、そこには数人の子どもが寝かされていました。 そこにも先生はおらず、職員室へ行って声をかけると、慌てた様子。 「教室で寝ていなかったのでビックリしました~」と、何気ない会話のつもりで話しましたが、先生の顔面は蒼白。 「ちょっとグズってしまったので…」と、口ごもる様子に、違和感を覚えました。 夜泣きの原因は、保育園での半ネグレクト これはおかしい…と思い、数日たってほとぼりの冷めたころ、また違う時間にお迎えに行ってみようと決意。 給食の時間に行ったのですが、やはり教室にはいません。 ホールへ行くと、また同じ子ども達が集められて給食を食べていました。 しかし、先生がいないので動物園状態。 何が起きているのか先生に問いただしても的を得なかったので、役所、周囲の父兄に相談した所、ホールに集められていた子どもは全て「母子家庭世帯の子」という事が判明。 一部の父兄から「片親の子と一緒にするな」というクレームがあった為、その様に対応していたそうです。 先生の手も足りず、その子たちは朝から晩まで、そこに居続けるのみでした。 園長の「母子家庭」を差別する対応 私を含めた該当の母子と徒党を組み、園長に事の真相を確かめる事に。 しかし全く対応してくれず、しまいには 「お母さん方、きちんとした職に就いた方がいいですよ。私は心配しているんです。子供たちがあなた方の様なパートやバイトの底辺に育てられる事が。」 という、何とも差別的な対応。 周りの母親は怒っていましたが、私は「そういう考え方もあるのか。子供が嫌な思いをするぐらいなら“きちんとした職”というのに就いた方がいいんだな」と判断。 保育園を変える事はもちろん、自分の職を見つめ直そうと決心しました。 新しい職と新しい保育園 私は医療事務の資格を4つとり、大きな病院で勤め始めました。 病院だと、土日祝日はお休みだし、子供との時間が取れると思ったからです。 新しい保育園も順調で「これこそ保育士さんだよね」と実感できる様子。 我が子も次第に落ち着き始め、そんな状態が2年続いたある日。 子供の爪噛みと母子家庭 担任から「お子さんが爪噛みをしています」という話が。 不安な状態がある場合、子供はよく爪を噛みます。 前の保育園に入ったころからだったので、気にはしていたのですが、次第に落ち着いてきていました。 そのことを担任に伝えると、大きなため息を一つ。 「あのねぇ、そういう事じゃなくて。母子家庭だから爪を噛むんだって言っているんです。お父さんがいないのが、寂しいんですよ、母親としてどうお考えですか?」 私は唖然としつつも気を取り直し、先生と話をしましたが「爪噛み=母子家庭」という固定概念は覆る事はありませんでした。 その後、保育園は変えませんでしたが、翌年に担任が変わると我が子の「爪噛み」は見事に収まりました。 職場での母子家庭に対する偏見 先述の様に、私は子供の為に医療事務として働きはじめます。 大きな病院だったので、同じように母子家庭の方も働いていて、安心する事ができました。 そんな中、異変は少しずつ、しかし確実に表れ始めたのです。 母子家庭に食堂での居場所はない! 勤務初日、食堂で食事を取ろうとすると「何やってるの!」という大声が。声の主は事務の先輩で「ここはダメ!入っちゃダメ!」と言われ、追い払われてしまいました。 訳が分かりませんでしたが(まぁ入っちゃダメなら別な所で。)と、あまり深く考えず、休憩室で食事をとる事に。 席につこうとすると、また別の声が。「そこは座っちゃダメ。座るならこっちね」と誘導されました。 ここでも(場所が決まっているのかな?)と思い、気にしませんでした。しかし、後から同僚に聞いた所、驚くべき実態が明らかに。 食堂でも休憩室でも「片親とは一緒に座らない」という暗黙のルールがあったそうです。 自分の居心地とかではなく、母子家庭の親と極力関わりたくないという真意からでした。 母子家庭の同僚に対する目に見えるイジメ そんな環境の中、母子家庭の親同士仲良くなるのは時間の問題でした。 しかし、ぽつりぽつりと辞めていき、最後は私とAさんの2人だけしか残りません。 ある日の帰り、Aさんから呼び止められ、Aさんが今日付けで辞める事が判明。 どうしてかと尋ねると「イジメだよ、辞めてったみんなそうだった。あんたも疲れ果てる前に考えなよ」と。 母子家庭の親に対する、イジメまであったとは。しかし、食事の席ぐらいで怒るんだから、ありえるかも。 そう思いつつ、私はまだ自分の身に起こっていないのを良い事に、考えるのをやめました。 母子家庭が原因で私にふりかかるイジメ 翌日出勤すると、私の事務用サンダルが無くなっていました。帰りには、雨傘も。 (あぁ、こういう事か。)と思い、私物は全て鍵付きのロッカーに入れる事に。 靴も毎日持ち帰り、気持ち的には(取れるもんなら取ってみろ)と思っていました。 そんな強気な態度が気に食わなかったでしょう。1週間後、朝に出勤すると私のロッカーが壊されていました。 バールのようなものでこじ開けられた挙句、中はスプレー塗料でグチャグチャ。 入れていた子供との写真は、ビリビリに引き裂かれていました。 弁償と新天地へ 事務長に相談すると「そっかー制服もレンタルだしなぁ。ロッカーと制服代、12万の弁償ね」と驚きの言葉が。 「イジメなんです、物も無くなったりしているんです!」と必死に訴えましたが、糠に釘。 事務長は「母子家庭だから払えないとか、言わないでね」と、その場から逃げるように去っていきました。 この事で、私は転職を決意。今度は個人の小さな病院にしようと思いました。 小規模でアットホームな所であれば良いのではないかと。 離職後、1ヵ月で新しい職場が決まりました。 スタッフ人数は10人程度でしたが、20-40代前半で年齢も近く、楽しく働く事ができました。 最初の3ヵ月までは。 こちらでも母子家庭の偏見 スタッフ10人中9人が女性で、結婚しているのは7人。内、子供がいるのは1人。 母子家庭が大変だという訳ではありませんが、負担はかなりのもの。 子供が熱を出せば、保育園から連絡が来て迎えに行かなければいけません。行事があれば、休まなければいけません。 片親の私達は、それを全て自分たちでこなします。そんな私に対する、周囲の目は次第に変わっていきます。 「そんなに熱出すなんて、何かの病気じゃないの?」 「発達障害とか。母子家庭だとよくあるって聞くよ」 「誰かほかの人に頼めないの?」 そんな言葉を、事あるごとに言われるようになるまで、さほど時間はかかりませんでした。 週5日のパートで働いていたのですが「普段休んでいるんだから、これからは休みなしね」と、月~土曜日の出勤に加え、残業代は無し。 ハードな仕事に体調を崩してしまい、お休みの電話を入れると「これだから母子家庭は!」と、切られました。 仕事を変えよう 次第に私は考えるようになりました。私はどうしてこの仕事をしているのか。 子供の為に“普通”になろうとしていたのに、子供との時間を取れないこの生活に意味はあるのか。 そう考えると、もうそこにいる意味はありませんでした。私は在宅ワークとのWワークで働いていて、在宅だけの収入だと月12万程度ありました。 贅沢をしなければ生きていける額でしたし、日中仕事が出来るとなれば、もう少し収入は増える。 私は自営業で生きていく決心をします。 近所からの偏見 在宅ワークで保育園に入れる為には、民生委員からの認定が必要でした。 地元の民生委員と話し、仕事状況を見せる事で“第三者から働いている事を認めてもらう”という書類。 民生委員の方は、私を怪訝な様子でアレコレ尋ねます。 「仕事は今まで何してたの?」 「何でやめたの?母子家庭なのに」 「どうして母子家庭になったの?」 しまいには「どうせ彼氏に貢いでもらってるんでしょ。だから嫌なんだよ母子家庭は。こんな書類、必要なくなるんだから。」という一言。 この時すでに、この土地の母子家庭という偏見を痛い程分かっていた私は「それでもこの道を選ぶしかない」のだという思いで、相手の刺す様な言葉を呑み込んだのです。 他方からの偏見 日中から家にいる私の姿を、近所の人が見かける度に 「仕事は?辞めたの?」「在宅ワーク、なにそれ」という会話になります。 当時、SOHO、在宅ワークという言葉が出始めた矢先でしたから、片田舎のこの土地には、それを理解してくれる人はいません。 ある時友人から電話がかかってきて「あんた何やってんの!?」と怒られました。 話しを聞くと、どうやら私の事が噂になっており 「あの地区のあの人、昼間家にいて夜の仕事している。母子家庭だから男に頼ってるんだ」 という話が出ていると聞かされました。 そうでない事を友人に説明し、その友人は分かってくれましたが、そうした噂に振り回され、私から離れていった友人もいた事は事実。 けれど、そうした事実から私は「私の事を分かってくれる人が、周りにいてくれればそれで良い」と開き直りました。 部屋が借りられない…! 在宅ワークも多忙を極め、部屋の一室では足りない様になってきました。それでも、外で働いていた頃と比べ、子供と過ごす時間は潤沢にあります。 そろそろ事務所を借り従業員を雇いたい…と思い、まずは物件を探す事に。しかしここでまた、ひとつのハードルにぶち当たりました。 私に事務所を貸してくれる大家さんがいないのです。 正しくは「SOHO(在宅ワーク)で、社長が母子家庭の会社に部屋は貸さない」という事。これには驚きました。 せまい片田舎ですから、私の悪い噂がまだ残っていたのかもしれません。税金も払いその辺の男性よりも収入があった私。 収入証明を出そうが、納税の証書を出そうが、そんなことは関係ない様子です。 「スモールオフィス?在宅?なんでそんな信用出来ない仕事。しかも母子家庭でしょ。貸せない」という結論。 ある大家さんは、契約までした後に「あんた母子家庭なの!?この話は無し無し!」と、断られました。 どうして無しなのか、家賃も前家賃で6か月分入れたのにと聞くと 「金の問題じゃないんだよ。母子家庭ってのは、母親に問題があったから別れたんだろ?そんな人に貸せないよ~」 と鼻で笑われてしましました。 私なりの結論は引っ越しだった 現在、私はその土地を離れもう少し都会の政令指定都市に住んでいます。 ここでは、私の仕事にとやかく言う人はいません。 部屋を借りる時、前の経験から「在宅なんですけど…」とおそるおそる言うと「そうですか。」というあっさりとした返答。 子どもの学校も、大家さんも、近所の人もとても親切にしてくれます。 「田舎は親切、都会は冷たい」というパブリックイメージが、見事に崩れ去りました。 母子家庭で頑張るお母さん方に私は言いたい。私達は、どこへでも行けます。 もし、私の様に思い悩んでいる人がいるのであれば、引っ越しを考えてみて下さい。きっと、今よりつらい事はありません。 子供の事を考え、引っ越しとなると気が引けてしまいますが、まずは私達が笑顔で居られる事が子供の為。 偏見から逃れるには、土地ごとまるっと変えてしまうという手段もあるという事を、忘れないで下さい。

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私が別居中の恋愛で辛いと感じた7つの事

あなたはいまどんな方とお付き合いをしていますか? このお話は、私が元夫との別居中に体験した恋愛を通して「この恋、やめた方がいいよね?」と思いつつも貫き通したお話しです。 恋愛には楽しいこと、辛いことたくさんあると思います。 その中でも、「常識では許されない恋」をしている人はジレンマを感じながら恋愛に向き合っているのではないでしょうか? 別居中の恋愛が辛い…そんな風に思ってるあなたに読んで欲しいです。 

好きでもない人と結婚したのが間違い? 私が最初の結婚をしたのは25歳の時。 周りの友人がどんどん結婚していき、当時付き合っていた彼とも別れたばかりの私は正直焦っていました。 そんな時に出会った元夫。5歳上で、私が今まで付き合った人とは違う「私をとても大事にしてくれる人」でした。その時はそう見えたのでした。 でもお付き合いしてすぐプロポーズされ、結婚まで約一年。その間に「おかしいな?」と思う事は度々ありました。 それでも結婚したのは「婚約破棄した女」と思われたくなかったというちっぽけなプライドでした。そんな元夫はとの生活は続くはずもなく。。。 結婚して二年経った頃、義両親との同居がきっかけで、私は義両親と大喧嘩をして実家へ帰りました。 マザコンの元夫は、私より実の両親との生活を選んだのです。そこから私は、本来してはいけない恋愛をしてしまいました。 

彼との出会いは別居してから
 彼との出会いは、別居中に共通の友人から誘われた食事会でした。実家へ帰った私を心配した友人が食事をしようと言ってくれたのです。 男女合わせて6人ほどの食事会でした。 友人が連れてきた彼は私より7歳下で21歳。すごく大人しくてほとんど会話もしなかった彼を見て「無理やり連れて来られたんだろうな。可哀そう」としか思っていませんでした。 けれど、そこで終わる事はありませんでした。また共通の友人と彼と三人で飲みに行く話が出ました。 友人も一緒ならまぁいいか。と軽く考えていたので特別意識もしませんでしたが、飲み会の最中、以前とは全く違う饒舌な彼を見てびっくりしたのです。 そして携帯番号を聞かれてもなんの抵抗もなく教えている私がいました。その数日後から、彼から連絡が来るようになりました。 最初は全く気にも留めなかった彼なのですが、2人で話をしていると、すごく楽しくて。何時間もお互いの話をしていました。 いつしか、電話がくるのが楽しみで仕方ありませんでした。そんな時、彼に「二人でどこかに遊びにいかない?」と誘われました。 突然のお誘いに、ビックリしたと同時にすごく嬉しくドキドキした私が居たのです。 返事は「OK」でもその直後に「別居中だしこれ、まずいんじゃないの???」そんな不安も襲ってきました。
 
別居中のデートは制限だらけ 

彼と二人で会うのはいつも夜でした。そして、地元をさけて知人とあまり会わないであろう場所ばかりを選んでいました。 彼は運転することが好きで、ドライブがてら遠くに行くのはむしろ大歓迎という人だったので、そこは怪しまれることはありませんでした。 でも私の車を運転したいと言い出したり、昼間に会いたいと言われることが私にとっては一番つらかったです。 ウソを並べてなんとかなだめていましたがいつも取り繕う私の姿は不自然だったかもしれません。 とにかく、人目を避けるために必死でした。 なので、遠く離れた場所まで行ってホテルで過ごすのが私にとって一番落ち着く場所になりました。 別居中の恋は制限が多いだけに辛いことも多いです。これから辛いと感じたことを6つご紹介します。 

辛かったこと① 嘘をついてばかりの恋愛
 楽しいはずのデートはウソだらけ。 彼「〇〇へ行こうか?」 私「今日はそこじゃなくてあそこがいいな~」 彼「今度の日曜日は〇〇へ行こうよ」 私「その日は予定があって。ごめんね」 彼「ごはん食べに行こうよ。」 私「今日はコンビニのお弁当がいいな」 そんなやり取りばかり。本当は会いたいのに。 昼間も堂々と地元でデートしたりご飯を食べたりしたいのに。 いつまでもウソをついている自分が嫌になってきました。 彼は純粋に気持ちをぶつけて来てくれるのに私は騙している気分になることもありました。 実際既婚者なのに独身と思わせていましたので騙していましたね。 でもこの時の私は気持ちが止められなくなっていました。 
辛かったこと② 名前さえも偽る日々 彼に対してついていたウソのなかに名前を偽っていたこともありました。当時まだ元夫の姓を名乗っていた私。 彼と初めて会った時、私はとっさに旧姓を名乗っていました。 もうあの名字を使いたくもなかったし、離婚したあとのことを瞬時に考えて、旧姓を名乗ったのです。 でもそのツケが回ってくる事件がありました。 私の車の調子が悪くなり、急きょ彼の叔父さまの経営する修理工場へ行く事になりました。 そこで車検証を見せて欲しいと言われ、彼が私の車のダッシュボードから出そうとしたところでハッと気づいたんです。 そう、車検証は夫の姓のまま記載されているのです。 「まずい!!」私はなにかを確認するふりをしながら彼の手を制止して直接叔父さまに渡しました。 叔父さまに名前を言われたらどうしよう???と軽くパニックになっていましたが 叔父さんは私の名前を読み上げることなく、修理は済みました。

あとから彼に聞いた話ですが、実はこの時、彼が怪しんでいたようです。 
 
辛かったこと③ 浮気調査されているかもという不安
 彼とのお付き合いは順調でした。 でもその裏でいつも心配だったのは「夫が探偵を頼んでいるのではないか?」という疑念でした。 「いや、そこまでするはずがない」という根拠のない自信は最初だけ。付き合いが深くなるほど、その心配は常にありました。 どんなに遠くに行っても実は後ろからずっとつけられているんじゃないか?写真を撮られているのでは…そんな不安と恐怖はいつもつきまといました。 時々キョロキョロしたり、バックミラーから後続車の様子を伺ったり、待ち合わせの場所に行くときは、わざとグルグル回って遠回りしてみたり。。。。 彼の車の助手席に座る時は必ずシートを深く倒してなるべく顔が見えないようにしたり。 私の車を使う時は、彼がどうしても運転したがるのでとにかく私は助手席で顔を隠すのに必死でした。 とにかく知り合いに会いませんように!!と願っていました。 彼を思えば思うほど、こんなことしたくない。堂々と会いたい。夫と早く決着を着けたい。 そんな気持ちになりました。 夫とは10か月の別居中、何度も二人で話し合いました。でも平行線で決着がつかず二人ともイライラしていました。 だからこそ、彼に会いたい気持ちが強くなったのもあるんだと思います。 

辛かったこと④ 彼を巻き込んでいる罪悪感 別居中で、復縁する意思はない者同士とはいえ、私は戸籍上既婚者。こんな関係が許されるはずもありません。 それは十分わかっていながらも、彼を巻き込んでしまっている罪悪感にかられました。 もしこの関係がバレたら。。。。 彼も慰謝料を請求されてしまうかもしれない。 そんなことをさせたくない。 今別れれば、彼になんの影響も及ぼさないだろう。 だったら、いま別れよう。 こんなことを真剣に考えました。彼のことを傷つけたくないその一心で。 自分勝手な考え方だと思います。でも好きって気持ちはどうしても止められなかったんです。 出した結論は「彼は私を独身だと思って付き合っている。私が騙した」ことにしておこうと。 ほんと、虫が良すぎる話ですね。でもそう決めたんです。法律に詳しくないのでそれが理論として通るのかは定かではありませんがそう決めたんです。
 
辛かったこと⑤ 調停離婚に向けての話し合い
 別居が半年以上たった頃、実家に私宛の封書が届きました。裁判所からの通知でした。 夫が申立人となり、離婚に向けての調停が開始されることになったと書いてありました。 裁判所からの呼び出し。私は被告人のような気持ちになりました。 いつまでたっても平行線のお互いの罵り合いを続けるよりは第三者に入って頂いたほうが楽だと、相談した弁護士さんにも言われていたのでなにかほっとしたような気持にもなりました。 調停というものが、どういうものなのかもわからずもしかしたら裁判になるのかも?という不安もありながら私は恐怖で眠れませんでした。 きっと裁判になったら色々調べられるんだろう。。。 裁判になったら絶対バレる。 やっぱり会わないほうがいいかもしれない。 そう思って、私はまたウソをつき、会う回数を減らしました。 学生だった彼はバイトもしていましたし私も仕事が忙しかった時期だったので会う回数が減ったとしても不審には思われませんでした。 でもやっぱり会いたいものは会いたい。夜待ち合せして車の中でご飯を食べたりしていました。 
 

辛かったこと⑥ 先の見えない不安

調停が始まってからも夫との罵り合いが続きました。 でも良かったことはそれぞれ個室に通されたことと、調停委員さんがいてくれたおかげで冷静に話しを進めることが出来たことです。 夫に一度も会うことなく調停は進んでいきます。でもすぐに決着をすることは出来ませんでした。 話し合いが終わり、裁判所を出る時。「いつになったら終わるんだろう」と絶望感もありました。 いっそ、慰謝料を払ったら楽になれるんだろうか? それは周囲に反対されました。私だって払いたくない。でも終わらせるには慰謝料払えば楽になれるかもしれない。 先の見えない不安に押しつぶされそうでした。




 辛かったこと⑦ 離婚はエネルギーが必要 離婚するにはエネルギーがいる。よく聞く言葉です。実際、本当にエネルギーが要ります。 私だけでなく、両親にも相当のストレスをかけてしまい母は倒れてしまいました。 私は彼が居てくれたおかげでストレスがあっても頑張れたのですが両親の方が悩んでいたんだと思い、本当に申し訳なかったと思っています。 私の場合はお互いにもう愛情もなかったですし、夫から「憎い」と言われていましたので、離婚に向けてのベクトルは一緒だったせいか調停に入ってからは「どうしたらお互いが納得して離婚できるか?」というところが焦点になっていました。 だったらもう協議離婚でもなんでもいいから済ませちゃえばいいのに。。。。どれだけお金欲しいんだこの人は??? 内心そう思いながらも調停に行っていました。

ちなみに慰謝料を請求されたのは私の不貞行為が発覚したのではなく、精神的苦痛の面からでした。 

調停3回目に急展開が!!
 調停は相変わらずお互いを罵り合う場でした。 調停委員さんはなるべく裁判まで持ち込まないようにお互いの気持ちや現状を第三者の目で見てアドバイスしてくれました。 「どうしても離婚したいという思いが一緒なら条件面で折り合いをつけていきませんか?」 という方向で進めてくださっていました。私はいつしか調停委員さんの言うとおりにしていました。
 そして三回目の調停に臨んだ時のこと。いきなり夫から妥協案が提案されたのです。 私は嬉しくて嬉しくてその要求を呑みました。結局は財産分与の件で私が余剰分を払うという形で成立となったのです。 まだまだ続くだろうと思っていた調停が、ついに成立したのです! 成立した旨の書類が出来上がった時、私はなんとも言えない気持ちになりました。今でもその光景は覚えています。 数日後、夫と離婚届けを提出し、握手して別れました。その時の爽快感と達成感と言ったら!! その時の事も一生忘れる事はないでしょう。そして一番に会いたいと思ったのは彼でした。 
離婚成立。彼に全てを告白した 

離婚届が受理されたと言っても、これで堂々とお付き合い出来る!と言うのは時期尚早というのはわかっていました。 なので、しばらくはいつも通り夜だけ会っていました。いよいよ彼に全てを話そうと決心したのです。 私「話したいことがあるから今度いつ会える?」 そんなメールに彼は「別れ」を切り出されるのかもと思っていたと後日話してくれました。 一台しか停められない、秘密の夜景スポットに彼を連れて行きました。 そこで私は今まで突き通してきたうその数々を話し、既婚者だったこと、別居中だったのに隠してお付き合いしていたこと。 名前も旧姓を名乗っていたこと。 すべて話しました。 「騙してたのか、じゃあ別れよう」って言われても仕方のないことをしていたので内心どんな返事が来るかドキドキしていました。 でももう離婚も成立し、これからはうそのないお付き合いを真剣にしていきたいと伝えました。 彼は受け容れてくれました。 彼が唯一質問してきたのは「子供はいるの?」でした。「子どもがいるならちょっと考えちゃったかもしれないけど」と、正直に話してくれました。 「でも話してくれてありがとう」と最後は言ってくれました。そこから8年、私たちはお付き合いをしていました。 周りから「結婚するんでしょ?」と言われるくらい私たちは仲良しでしたし、私も彼と結婚すると思っていました。 
8年後・・・別れのとき

 別れは彼から切り出されました。 お付き合いしている8年間、何度も言われていた 「会いたい時に会いたいって言って欲しい」 私はそれを直すことができませんでした。 別居中の恋愛の仕方が板についてしまったのか、私は自分から会いたいと言えなくなってしまいました。 そして、彼が私を愛してくれているという奢りから私はいつも彼の連絡を待つ女になったのです。 そんな傲慢になった私に愛想を尽かしたのか、ある日から彼は一ヶ月ほど連絡をくれませんでした。 私はというと「忙しいんだろうな」と勝手に決めつけ、自分から連絡をしなかったのです。 今思えば、なんで連絡しなかったんだろう。週末が近くなると、会いたくてたまらなかったのに。平日の夜、少しでも会えればすごく嬉しかったのに。 自分のプライドが邪魔をしていただけなのに。。。。 結局彼は私に会うと決心が揺らぐからと、メールでお別れしました。何度も「会って話したい」とメールしても返事は変わりませんでした。 その夜、自分のふがいなさに泣く事しか出来ませんでした。 翌日も泣きはらした目で仕事に行き、仕事中も自然と涙が出てしまいとても辛かったです。 
あれから20年ほど経ちました。…
 別居中に辛いと感じたことを7つほどまとめてみました。 あんなに好きでずっと一緒に居たいと思っていた彼と別れ、現在はその後出会った夫と二人の息子、愛犬に囲まれて幸せに暮らしています。 夫とはなんでもオープンに話せる仲なので、元彼のことも知っています。 過去は過去とお互いわかっていますし、信頼もしています。

不貞行為という法律に反したことをしていたあの時期は、元夫にばれたら・・・という不安がいつも付きまとっていました。 でも、辛さや不安よりも、彼に会いたい気持ちは抑えられなかったのです。 
世の中には私のように、日の当たる場所で堂々と好きな人に会えない恋愛をしている人も多いと思います。 私も実際してきたことなので、他人の恋愛に対して肯定もしませんし、否定もしません。
この先離婚成立となり、再婚。というゴールには行きつかないかもしれません。 再婚ではなく、今の関係をずっと続けられたらそれでいい。それでもいいのであれば、どんな形でもいいと思います。 私のように彼とは別れたけれど、違う人と再婚。というケースもあり、さまざまです。 別居中の恋愛は楽しいこともあるけれど、制限があるために辛く感じることは沢山ありました。 でもそれでも続けていきたい相手なのか?日の当たる場所で堂々とお付き合い出来る日まで我慢したほうがいいのか? 私は続けることを選択しましたが、それを決めるのはあなたです。 いけないことをしているのはわかっているけれどやめられない。そんなあなたへ。 このお話が、あなたにとって一つでも参考になれば嬉しいです。