なぜ離婚してしまったのだろう…後悔しても戻れない愛する子供との別れ

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自分のわがままで、31歳の時に離婚した女です。半年という短い交際期間ののち結婚して6年目、二人の子ども(5歳、4歳)がいた状態で離婚しました。理由は私のうつ病からの行動です。その後激しい後悔に苛まれ生活にも困窮し、命を絶つことまで考えましたが、優しい子どもたちに育ってくれたことに救われて今は自分なりの人生を歩むことを考えられるようになってきたところです。

私は完全に妻として母親として、失格どころか非情な女でした。

夫やふたりの子どもたち、そして我が子のように大切にしてくれた義母。

こんな私を愛してくれた暖かいひとたちをことごとく裏切り、自分勝手な振る舞いを続けたあげく離婚に至ったのです。

すべて私のせいでした。

どんな苦しみが待っていても自業自得とわかりながらも、激しい後悔と闘いながらもがき続けてきた話を聞いていただこうと思います。

5歳の娘が、声を出さずに涙を流す

公務員として働きながら年子の子どもを持つ母親といえば、バイタリティにあふれた女性が想像できるかと思われますが私はそうではありませんでした。

子どもたちが乳児の頃から発症したうつ病も悪化し、自分に自信がないばかりに仕事にも行き詰まって、思い通りに過ごしてはくれない子どもたちに対して苛立ちを抑えきれず、怒鳴ったりするばかりでした。

元夫はまるで母親のように家事や育児を率先して協力してくれていました。

抑うつ状態で家族と一緒に過ごすこともできず書斎に籠っている私を見て、気持ちが落ち着くなら出かけておいでと言ってくれたのをいいことに、ギャンブルにホスト遊び、ついには浮気ともいえるデリバリーホストとの遊びを覚えて、家庭のことなど省みない無茶苦茶な女になっていた私は、ある時勝手に家を出て家族と別居していました。

別居してから3カ月ほど過ぎた頃、元夫からちゃんと話がしたいと連絡がありました。

私は離婚しようと切り出されるものと思い込んで、離婚後の約束等をしたためた念書と離婚届を持って家に向かいました。

元夫は私が切り出した離婚の段取りを無言で了承し、子どもたちにもきちんと話すことになりました。

当時娘は5歳、息子は4歳。娘は義母の横に座り、息子は何もわからない様子だったと思います。私は今さらながらに涙が止まらず、元夫が口を開きました。

「お父ちゃんとお母ちゃんは、結婚をやめるんだよ。」

すると、娘は義母の膝に顔を伏せて泣き始めました。別居している時点で幼いながらも何かを察していたのでしょう。

鼻をすする音だけが聞こえ、普通5歳くらいの子どもなら「イヤだ!」といって泣きわめいてもおかしくないのに、ただただ静かに、声を出さず義母の膝で泣いていました。

私ではなく、義母の膝で。

その時に私は、自分のしてきたことの重さに頭を殴られたような気がしました。

5歳の子どもに、黙って泣くことを覚えさせてしまった母親。何という重い罪だろうと。

しかしもう後戻りすることはできず、元夫の弟と私の父に証人のサインをもらって届けを出しました。

自分の首を絞めた念書の存在

私が勝手に作った念書は、主にこのようなものでした。

・元夫と共同名義で建てた家、すべての権利や財産はすべて放棄する。ただし夫婦の収入を考慮して計画したため、毎月10万円を慰謝料・養育費として家のローンが終わるまで、もしくは子どもたちが成人するまで支払う

・子どもとの面会は、子どもたちの意思に任せる。私のほうから会いたいということはしない

当時私はうつ病で病気休暇を取っては復職しまたしばらくして病休を取るような状況だったにも関わらず、元夫が家のローンを、そして私が子どもたちの保育園代や生活費を負担していたことを考えてその額を決めました。

虚勢を張ったのか見栄を張ったのか、もしくは何とかなるだろうと気楽に考えていたのか。貯金もなく何の保証もないのに提示した金額でした。

病気のせいにしたくはありませんが、正常な判断ができていなかったところもありました。

その後2カ月ほどして当時の仕事を退職。どう考えてもその仕事を続けていけるとは思えなかったからです。

また同じ土地には住んでいられない気がして、隣県に引っ越しました。

初めは正社員として就職したものの、精神的に安定せず短期間の間に離職・また別の仕事を探すといった生活で、養育費を送りながら自分の生活をしていくことなど到底できません。そこでたどり着いた答えは、風俗の世界に足を踏み込むこと。

当時31歳だった私はデリヘル嬢として収入を得る生活を始めました。幸いなことに稼ぎはよく、多い日で5万もの給料を持って帰れることもありました。

これで何とか生活していける。店の開店から閉店まで出勤して睡眠時間は長くても4時間ほど、体重は10キロ以上落ちてガリガリに痩せても働き続けました。

でも、うつ状態がひどい時は死んでしまえば楽になるかもしれないと思うこともありました。そうやって思い詰めた時にはリストカットやオーバードーズ(大量服薬)をしてしまい、床に流れる血をうつろに見ながら涙がこぼれ、いったい私は何をしているんだろう。

子どもたちがこんな私を見たらどう思うのだろう。

なぜ私は幸せだったはずの家庭を壊してしまったんだろうと自分を責め続けながら生きていました。

子どもたちが、どんどん遠くなっていく

別居していた頃、そして離婚後もまだ幼かった子どもたちは何かと私に会いたいと元夫にせがんで電話をかけてきてくれました。

おかあちゃん遊びに行こう!」「運動会だから来て!」と嬉しそうな声に、少し涙をにじませて電話を取っていたのを覚えています。

保育園の運動会や近くの小さな遊園地に4人でいると、周りからは普通の家族に見えていたと思います。

ふたりの卒園式や小学校の入学式にも行きました。私が県外に離れてからも元夫が連絡をくれて、引け目を感じながらもまだ無邪気な子どもたちと写真も撮って。

そんな成長を見るたび元夫と義母が大切に育ててくれていることに感謝でいっぱいでした。

時にはテレビ電話をかけてきて、「おかあちゃん元気??」「おかあちゃんやせた?」とふたりが画面を取り合う姿を見て、泣いているのがわからないように堪えたこともあります。

小学生のうちは運動会、地域のお祭りで毎年子どもたちが参加している踊りを見に行くことが会える機会になっていました。それが私にとって活力になる時間でもあり、逆に後悔を感じる時でもありました。

なぜこの子たちをいとも簡単に手放したのだろう。

こんなにも愛しいのに、なぜあの時私は自分の気持ちにしか従えなかったのだろうと。会うごとにそんな後悔で心がぎりぎりと音を立てているように苦しかったです。

やがてふたりとも中学生になり、お祭りにも参加しなくなって部活に励んでいるようでした。

毎年誕生日とクリスマスには贈り物をしていたので、小学生ぐらいまでは毎回「おかあちゃんありがとう!」と連絡をくれていたのですが…そのうち気がつくとその電話もなくなってきて一方的に送りつけるような感じになってきた時は、ついに来たか、と思いました。

子どもたちもいつまでも子どもじゃない。

まして離れて暮らしている「母親だったひと」という存在になっているかもしれない。

元夫が離婚に至った理由を子どもにどう話しているのかもわからない。思春期になり少しずつ大人の事情が分かってきて、自分たちを捨てた母親の私を恨んでいるだろうか。プレゼントが届いているはずの夜は、そんなことを考えて眠れないこともありました。

当然です。当然のことです。憎まれて罵られても、恨まれて顔も見たくないと、お前なんて私たちを産んだだけじゃないかと言われてもおかしくないだけのことをしてきた母親です。

なのに今さらつながっていたいと思うのは自分勝手なんて言葉だけでは全然足りない話だとわかっているのに。

悔みました。

かつての自分を憎みました。取り返しなどつかないことだとわかっていても、仮に、もしかしたら当時は最低な母親だったけれど離婚などせずに子どもたちと共にあれば、少しはましな母親になれていたかもしれない…。

都合の良すぎる後悔ですよね。わかっています。どんなに非難されても反論などすることはできません。

娘はもう高校生になりました。女である私が離婚して後悔したこと。

自分が経済的に苦しんだことは自業自得とはいえ、やはり大きかったのは愛すべき子どもたちを無責任に捨てたことが後悔として大きく残ったことでした。

6 コメント

  1. 始めまして、ひかりといいます。
    私は、現在30歳で2人の子供がいます。正確には、いました。今現在、離婚して子供たちは、父親が親権者となっております。

    離婚の原因は、私の浮気でした。旦那さんも、十二分に優しく申し分のない人でした。
    当時長男を出産してから、育児ノイローゼのように精神的におかしかったのですが、誰にも相談できず

    私の弱さ故、言い寄られた相手には、なにも考えずフラット行ってしまい、軽く考えてしまい、そうすることが私の心を楽にし、全てから逃げ道を自分で作ってしまったのです。

    今思えば、あんなに幸せだった家庭を壊してしまった自分を恨みます。お腹を痛めて産んだ子がどれほど可愛いものか。。そんな子を自分の一時の気持ちで、裏切ってしまったこと。本当に今は、毎日涙が止まらないほど自分を責めてます。
    今私にできることあるのかな?

    つい、少し今の現状が似ていたのでコメントさせていただきました。長々とすみません。

    • あります。
      法律的に縁が切れない事が一つだけあります。
      それは、相続です。
      産んだお子さんの権利です。
      これからどれだけ多くの
      財産をお子さんに相続してもらえるかが
      貴女ができる唯一の罪滅ぼしです。

  2. 初めまして。似たような状況でしたのでコメントさせて頂きます。
    私は20歳で結婚し、25歳で離婚しました。
    当時4歳と2歳の息子がいました。
    どちらもママっ子で、甘えん坊でとっても可愛かったです。
    ただ、私が立ち上がりキッチンに立つだけで泣きわめく子どもたち、育児に協力的でない夫には小言を言われ、そんな状況で子ども達の泣き声と旦那の小言がストレスになり、キッチンに立ち包丁を握ると子どもたちを刺して自分も刺して死んでしまおうかと思うくらい追い詰められていてそんな自分が恐怖でした。唯一の気晴らしが仕事で、後にコンパニオン、デリへル、男遊びと、家に帰らないことが多くなり、親権を父親に渡し離婚しました。。

    何故こんな結果になってしまったか、
    夫のせいにしたい半分、自分の情けなさにとても後悔する毎日です。
    今はその男性と別れ会社に勤めていますが、子どもたちに会わせてもらっていないので

  3. 初めまして。似たような状況でしたのでコメントさせて頂きます。
    私は20歳で結婚し、25歳で離婚しました。
    当時4歳と2歳の息子がいました。
    どちらもママっ子で、甘えん坊でとっても可愛かったです。
    ただ、私が立ち上がりキッチンに立つだけで泣きわめく子どもたち、育児に協力的でない夫には小言を言われ、そんな状況で子ども達の泣き声と旦那の小言がストレスになり、キッチンに立ち包丁を握ると子どもたちを刺して自分も刺して死んでしまおうかと思うくらい追い詰められていてそんな自分が恐怖でした。唯一の気晴らしが仕事で、後にコンパニオン、デリへル、男遊びと、家に帰らないことが多くなり、親権を父親に渡し離婚しました。。

    何故こんな結果になってしまったか、
    夫のせいにしたい半分、自分の情けなさに後悔する毎日です。
    今はその男性と別れ会社に勤めていますが、子どもたちに会わせてもらっていないので会わせてもらえるように努力しています。

    勝手ながら、私はひとりじゃないんだと思えました。ありがとうございます。

  4. はじめまして。
    私は20歳で結婚、31歳で離婚しました。子供は二人いました。親権は夫に渡しました。

    私は母親としても、人としてもダメダメでした。子供、元夫を何度も裏切り、傷つけて。その度にチャンスをくれたのに、ここには書けませんが信頼をゼロにするほどの裏切りをし、離婚しました。

    離婚後は月に2回ほどの面会をしていましたが、1ヶ月が経ったくらいでしょうか。離婚時に元夫とした約束を破ってしまい、二度と子供とは会わせないと言われてしまいました。

    今は毎日ふとした瞬間に涙があふれて止まりません。ここまでならないと自分のしたことを反省できない自分が本当に悔しいです。自分を愛してくれていた子供を思うと胸が痛いです。謝りたいけど謝れない。抱き締めたいけどできない。写真を見るのが本当に辛い。

    気持ちを誰にも話せず、辛かったのでコメントさせていただきました。
    これからは会うことは出来ないけれど、子供に少しでも多くの財産を残せるように生きていきます。

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