面会交流権とは,子どもと離れて暮らしている親(以下,非監護親といいます)が,子どもと直接会ったり,それ以外の方法(手紙や写真,学校の通知表の送付,プレゼントの受け渡し等)で,親子の交流をする権利のことをいいます。
親である以上,「子どもに会いたい」と思うのは自然のことであり,また,子どもの福祉にも寄与する点があるため,このような権利が認められております。
このように、子連れでの離婚時には必ず話し合うことになる、子供と親権者ではない非監護親との面会交流について。
離婚をすれば夫婦関係は解消されますが、親子関係が切れることはありません。
夫婦間にどのようなトラブルがあり、どのような原因で離婚したかは子供にとっては重要ではないので、本来は原則としてどのような離婚理由であっても両親は子供の気持ちを尊重した上で会う頻度や時間、内容について取り決めなければならないのです。
しかし私は、離婚当時4歳だった娘に気持ちを問うことすらせず、離婚調停時に元夫にも一応納得してもらった上で、離婚してもう8年近く経過しますが1度も面会交流をもっていません。
当時の娘に尋ねたら、パパに会いたいと言ったかもしれません。
私の勝手な判断でおこなったその決断は、世の中のルール的には間違っているかもしれません。
ですが、元夫が自分の感情をコントロールすることのできず、人を暴力で支配するDV夫だったので、娘への影響を考え、今後一切会わせたくなかったのです。
今回は、離婚後の一般的な面会交流における裁判所の考えに対し、私の個人的な意見を交えて、DV夫と子供の面会交流について考えてみました。
面会交流に一番大切なのは子の福祉
冒頭の「面会交流権」の説明を見ると、一見、この権利が非監護親に与えられているものの様に思えます。
実際に面会を要求できるのは非監護親になりますし、取り決めも両親でおこないます。
それに途中で内容を変更したり、離婚時には面会交流の取り決めをしなかった場合でも、子供の年齢が20歳になるまでは、両親同士でいつでも内容の変更ができるのです。
しかし、民法766条には、
「父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。」
とあります。
つまり、非監護親がいくら子供を愛していても、面会に関して子供の不利益になると判断されれば面会交流が認められないことになります。
この場合の子供の不利益とは・・・
・面会交流により、子供の生活環境に悪影響を与え、精神的に不安定になるなどの可能性がある場合(場合によっては家庭内暴力や不登校などを起こすことがあるそう)
・非監護親が面会交流の際、子供の前で監護親(親権者)との関係を悪化させようと過剰に非難したり、反対に監護親との暮らしに干渉したり、また、子供を連れ去ってしまう危険がある場合
・別居・離婚の理由が、子供に対する非監護親からの暴力であった場合
など、が当てはまるようです。
要するに、
「面会交流によって、片親に会えない子供の寂しさが和らいで心が安定し、監護親と非監護親それぞれと良好な関係を築け、面会交流が子供にとって有益・必要である場合」
には、この権利を両親の都合で拒否してはなりません。
子供の利益=福祉を守ることが、離婚後の面会交流における最重視事項であると言うことをまずは念頭に置いた上で、続いての話に進みましょう。
なぜDV夫でも面会交流を進められてしまうのか
実は、この面会交流権は離婚理由が夫の妻に対するDVによるものだから、というだけでは、拒否することができません。
何故なら裁判所の考えはこうです。
「夫婦間の離婚原因は、原則的には、面会交流に直接影響を及ぼしません。例えば、夫の妻に対するDVや精神的な虐待が離婚原因だとしても、子に対する暴力などが認められないのであれば、子との面会は実施されるのが原則です。」
むしろ、面会交流をおこなうことで「子供が非監護親へ抱いてしまった負のイメージを払拭し、良いイメージに回復させることができる」のとの理由で、面会交流を進められてしまう場合すらあるのが現状のようです。
まるで裁判所の考えでは、こうすることが間違いなく子供の福祉だとでも言わんばかりに・・・。
これっておかしくないですか?
両親のDVを間近で見ている娘を知っている私からすると、ちょっと無責任で恐ろしい考えだとすら思います。
何故なら世の中では、子供の前でおこなわれるDVは児童虐待に値すると言われています。
現に私の娘は、たった4歳ながら両親のDVによって精神的にかなりのダメージを受けました。
でも娘の症状は、外や他人には見えない(分からない)ものばかりで、監護親である私しかほとんど知り得ません。
それにもし、仮に私の娘が面会交流をおこなったら、きっとニコニコと表面上は嬉しそうに振る舞う事でしょう。
元夫の機嫌を損ねてはいけないと、本能でそうなってしまうのです。
ですがそれを仮に第三者が見たら、子供が嬉しそうにしている。
これはこの子の福祉のために、今後も面会交流を継続していくべきだと捉えられかねません。
しかも裁判所は、面会交流後のアフターケアなどは一切実施しておらず、判断だけ下したら、本当にその面会が子供にとっての福祉であったか確認できないのです。
この無責任さを恐ろしいと思わない理由があるでしょうか。
私は、DV夫と子供を面会させることは、先ほど子供への不利益として挙げた中の一つ、
「面会交流により、子供の生活環境に悪影響を与え、精神的に不安定になるなどの可能性がある場合(場合によっては家庭内暴力や不登校などを起こすことがあるそう)」
これに該当すると考えます。
私の下した決断、面会交流拒否
実際、離婚調停の時に調停員から、仮に親権を手に入れられたとして、面会交流についてはどうするつもりか尋ねられました。
夫も最初は親権を要求していたこともあり、娘のことは愛していると判断され、会わせるべきではと思われたのでしょう。
私の出したその答えは、即答でNO。
もちろん当時は、まだ追いかけられて暴力を奮われる可能性があり、私と娘は逃げているような立場だったので、今すぐ会うなんて考えが持てるわけがないというのもありました。
しかし、それだけではありません。
夫の要求する親権の背景には、私にびた一文もお金を払いたくないという思いがあり、娘のことは好きではあったでしょうが、離婚を自分に有利に進める為の道具として子供を利用しようとしたのです。
自分の欲求の為なら、そのやり方が道徳に反していても構わない人です。
暴力で弱者を支配する人です。
そんな元夫に娘を会わせるメリットが何一つ感じられませんでした。
ですから、私は娘の意思を無視して面会を断固拒否しました。
「慰謝料も養育費も一銭もいらない。欲しいのは親権だけなので、その代わり今後私たち母娘には一切関わらないで欲しい。」
と。
すると、面会をしないことも親権についても、元夫からあっさり了承してもらえました。
親権を要求していたとは思えないほどの引き下がり具合に、調停員も引いていたくらいです。
終わりに・・・
いかがでしたでしょうか。
今回の記事はDVによる子連れ離婚をした、私の完全に個人的な意見ですので、この考えが正しいのかそうでないのかは今でも分かりません。
ですが、世の中の考えである「子供の福祉を守る」これを私も最重要視した上での決断であることは、はっきりと言えます。
・・・こんなに偉そうなことを言っていますが、実は時々、頭の中によぎっては必死に考えないようにするほど、不安に思っていることがあります。
それは、もし娘が20歳になる前に、元夫から面会交流権を要求されたらどうしようということ。
離婚当時4歳だった娘も、春から中学生になります。
このような子供の成長における大きな節目の時には、必ず元夫の顔が頭をよぎります。
万が一元夫から面会交流を要求されたら、本音では1秒も会わせたくありませんが、今度は中学生の娘の意思も聞いて受け止めなくてはならないでしょう。
そして元夫の娘の記憶は4歳で止まっているのです。
せめて写真などは送ってあげようという気になるのでしょうか。
DV夫と子供の面会交流は、離婚後何年経って考えてみても、本当に複雑なものなのです。