普通過ぎて面白くないほど普通の人と、普通に恋愛して。
当たり前のように周りに祝福されて結婚しました。子供を産んで、これから家族で楽しい思い出を作ろう!と思っていました。
でも…人生、そんなにうまく行きませんね!人生で一番幸せ!と思い、たくさんの夢を見て結婚したはずが、ありえない結婚だった…。
私の体験をお話しさせて頂きます。
夫は暴力をふるう人だった…
夫との出会いは「職場」でした。
部署は違ったのですが、よく顔を合わせる機会があり、飲み会の席で口説かれたのがきっかけでした。
彼も私も29歳。優しい笑顔、柔らかい口調で、彼は人気者でした。背が見上げるほど高くて、好きな顔。
頼んでもいないのに、仕事に必要なものを届けてくれたり、以前から良い印象だったので、純粋に頼ってみたくなりました。
周りの友達はどんどん結婚・出産と人生のステップを駆けていくのを見て、少し焦っていたのもあり…。
同じ年だったので、話は合うし、結婚するのはこの人なのかな?と考えるように。
付き合って一年程で請けたプロポーズに応え、結婚することになりました。
二人とも良い年だったので、お互いの両親も喜んでくれて、とんとん拍子に進んでいきました。
新居を探したり、挙式の準備をしたり。結婚して、楽しい!と思っていました。
結婚し、1年経った頃、妊娠したことがわかりました。主人の第一声は「産むつもり?」でした。
二人で「子供が欲しいね」って、よく話し合った結果だったのに。
一緒に喜んでくれると思っていた私は信じられませんでした。
理由を尋ねると「二人の時間がなくなるから」と。
離婚してでも、産もうと思うと話すと「離婚なんて恥ずかしいこと言うな。きちんと面倒みるから。」
気持ちのズレを感じたのは、この頃でした。
そして、彼の性格が変わり始めたんです。
彼の本性が現れてきただけかもしれませんが。
残業はそれほどない部署だったのに、帰りが遅い日が多くなりました。
深酒して朝方帰ってくることも。
そして、帰ってくると、すごく絡んでくるんです。
友達と遊んだり、実家へ帰ることを嫌がり、一人で外に出るな…と。
軽いヤキモチ?程度にしか考えていませんでした。
それが、どんどんエスカレートして行きました。
結婚するまでは、言いたいことも言わずに我慢していたのかな…と思えるほど、些細なことまで。
ただ、揉めた後は決まって、優しくなるんです。
これこそが、DVの始まりだったのに…
当時の私は「これが愛情だ!」と錯覚していました。
付き合い始めの頃の、優しさが本当の彼だと、必死で思いこもうとしていました。
よくある話ですが…出産で家を留守にした私は、里帰りから帰り、夫の浮気を知ってしまったんです。
車や家の中、至る所に女性の影。
スーツのポケットからラブホテルのメンバーズカードが出てきたり…
友人からも、彼の色んな悪い噂を聞くようになりました。
でも、母は強しとはよく言ったもので、感情的にはならない自分がいたんです。
時期が来れば、戻ってくるだろう。
浮気の一つや二つ、子供の父親なんだし、と軽く考えていました。
目立つように痕跡を残して、私に気づいて欲しかったのでしょう。
私は初めて出産・育児で忙しくしていたので、正直、夫のことまで考える余裕はありませんでした。
でも、毎日、夫のことを疎かにしたつもりはなく、出産前と変わらず、夫の身の回りのことをしていました。
どうしたら正解だったのかは、いまだにわかりません。
ある日、夫にスーツのアイロンがけを頼まれました。
赤ちゃんのお世話で、中断しようとすると…
「お前は、俺の求めている妻じゃない」と私は髪の毛をつかまれ、頬をぶたれました。
驚きと衝撃で、床に座り込むと、蹴り飛ばされ…
何が何だかわかりませんでした。
暴力の後は「ごめん、俺が全部悪かった」と泣いて謝ってきました。
夫よりも育児に気持ちが向いていることが、妻としてはダメだったんだと思い、自分も変わらなくてはならないのかなと言う思いになりました。
夫を責めるよりも、至らない部分を直していかなくちゃと。
義父は、亭主関白で、何をするにも義父の言う通りに動かなくてはならないような所がありましたから、義母のような献身的なタイプが理想だったのかもしれません。
夫は、急に育児に協力的になったり、家事を手伝ってくれたりと、夫婦の形はこうやって出来ていくのかなと思い始めていました。
繰り返される家出
お酒を飲んでいても、飲んでいなくても、家の中で暴れるようになった夫。
少しでも面白くないことがあると、物に八つ当たりしたり、家出をするようになりました。
それまでも、無断で外泊したり、行先がわからないことは何度かありました。
でも「どこにいるの?」とは、怖くて聞けないようになっていたんです。
暴力が恐ろしすぎて、喧嘩にならないように気を遣って生活していました。
一緒の空間にいて、暴力を振るわれるより、夫がどこかで過ごしてくれている方が居心地が良かったのです。
着替えは実家か、浮気相手の女性の家で済ましていたようです。
気が向けば帰ってきて、何もなかったかのように過ごす不思議な結婚生活が続きました。
こんな暮らしを続けて、何になるのか。
将来が不安になってきていました。
パチンコや麻雀で大金を使っていることもありましたが、逆らうようなことは言えません。
その頃には、夫に仕事を辞めるように言われ、私には収入がありませんでした。
毎月のお給料日に3万円を渡すので、その中で食費と育児にかかるお金の遣り繰りをするように決められていました。
「何にいくら使ったのか、どこに誰と出掛けたのかを報告しろ」
少しでも無駄な買い物をすると叱られるなど、完全に夫に支配された生活に変わってしまいました。
夫婦の終わり…DVで全治1ヵ月の打撲!愛情はなくなった
夫は…たまにサプライズでプレゼントをくれるような、優しい一面もありました。
しかし、あまりに驚いて、夫の求めるリアクションを私が出来ないと怒り出したりと、夫の感情の起伏はどんどん激しくなっていました。
ある日、夫の昇進祝いのため、お互いの両親を自宅に呼んで、パーティーを開きました。
帰りがけに、私の両親が「娘のことを頼みますね」と声を掛けました。
楽しいパーティーの後の何気ない一言でした。
車を見送り、家の中へ入った途端「俺のことで、相談事でもしていたのか」と暴れだしました。
当時は誰にも相談できず、ただ耐える日々だったので、その旨を伝えましたが止めることはできませんでした。
ぐずった子供を抱きかかえ、あやしていた私。
私には暴力をふるっても、子供には手をあげることはなかったのですが、その日は違いました。
殴る、蹴るの暴力が始まり、私は子供をかばうのに必死でした。
もう修復できない所まで来たんだなと。
子供を巻き添えにはできない。
命の危険を感じて、やっと気づきました。
翌日、夫が職場へ出掛けている間に、病院へ行きました。
子供は何とか守ることができましたが、私は全治1ヶ月の打撲。
何も言わなかったのに、医師には暴力とわかってしまいました。
「旦那さんかな?警察に連絡しましたか?」
涙がポロポロこぼれてきました。
「診断書を書きますから、誰か信頼できる人に渡してください」
ずっと帰っていなかった実家へ行き、全てを話しました。
夫婦喧嘩くらいで帰ってこないでよ、と言っていた両親でしたが、状況を把握して戻ってくるようにと言ってくれました。
夫からは何日か後に「どのように離婚の話し合いをするのか、早めに決断してください」とメールが来ました。
私の父は警察に被害届を…と言っていましたが、大ごとにしたくはなかったので、調停離婚の準備を進めることにしました。