実体験!DV夫が子供に与えた悪影響6つ…今でも残り続ける傷跡

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27歳の時に離婚した女です。結婚5年目、交際期間含めると7年目で離婚。離婚時子供は1人(4歳)いました。離婚した一番の理由は夫からのDVです。離婚してよかったことは自分のペースで生きられること。逆に大変だったのは「一人で子供を育てる責任」です。でも離婚して全く後悔ありません。

夫からのDVに日々耐えている方々が、すぐに離婚に踏み出せない色々な理由。

1つは子供のためではありませんか?

子どもには手を挙げないし、パパの事大好きだし…何より片親にしてしまっては子どもが可哀相。

これは大きな間違いです。

児童虐待防止法では、DVを目撃させることも児童虐待であると定められています。

DVは夫婦間だけでの問題ではありません。可愛い我が子の身近に常に「暴力」がある生活。

しかも、それが両親間で行われているのです。

私は娘が4歳の時に、夫からのDVが原因で離婚をしました。あれから8年も経ち、娘はもうすぐ中学生になります。

悲しいことに、目の前で私が殴られ蹴られ、髪の毛を持って引きずられている記憶は今でもはっきりとあるようです。

そして離婚してからの子育ての中で、娘に元夫のDVが原因だろうと考えられる影響がいくつもありました。

元夫からのDVは離婚から8年経った今でも、私たちを苦しめているのです。今回は、DVが子供に与えた悪影響を6つお話します。

その1.親の顔色を常にうかがう

これは主に幼児期の頃の話です。

娘はパパが大好きでした。

元夫は、機嫌がいい時と悪い時の差が激しいタイプの人です。

娘には手こそあげないものの、普段なら怒らないような事でも、虫の居所が悪いと怒鳴り散らします。

怒られる=怒鳴られる

と認識してしまったため、私から叱られることにも極度に怖がるようになってしまいました。そのため、親の顔色をうかがい、ご機嫌取りをすることを覚えたのです。

私や元夫が常に機嫌良くいられるように平気で嘘をつき、失敗はごまかします。

私が殴られ、部屋が気まずい雰囲気の時は、作り笑いをしながら楽しい話をしてパパの機嫌を取ろうとしますが、そのエピソードの全てが作り話の時もありました。

今でも一般的なレベルで言い訳したり、嘘をついたりはしますが当時は見ていて痛々しいくらいでした。

その2.夜尿症

もともとオムツが取れたのは早い方だった娘。保育園のお昼寝の時もおねしょすることは滅多にありません。

けれど、どんなに気をつけても治らなかったのがこの夜尿症。就寝前は水分を控え、必ずトイレに行ってから寝てもおねしょしてしまいます。

週5回なんて時もざらにありましたし、なんとそれが小学1年生まで続きました。

いけないことですが、私も朝出勤前のバタバタしている時に毎日のようにシーツやパジャマを洗い、イライラしている姿を見せてしまうこともありました。

すると、「ごめんなさい。気をつけたいけどどうしても出ちゃうの。」と泣くのです。

夜尿症はPTSDの症状の1つだそうです。元夫が私に奮った暴力は、娘に精神的な後遺症を与えていました。

その3.爪かみ

お洒落が大好きで、特別なお出かけの日などに髪の毛を巻いてあげたり、ちょっと色付きのリップをつけてあげるだけで大喜びの娘。

でも、1つだけすごくやりたいのに、どうしてもできないお洒落があります。

それはネイルをすること。4、5歳から始まり、これは現在進行形で今も2人で試行錯誤しています。

娘曰く、本当に無意識で噛みたいなんて一切思っていないのに、気づくと爪がなくなっているそうです。

ひどいときは全部の指の爪が5ミリもなく血がにじんでいます。爪かみ防止の苦いマニキュアも10日くらいしか持ちませんでした。

爪かみも心的ストレスから始まることが多いそうです。

その4.自分の殻に閉じこもる

これも今も続いていることです。嫌なことや都合の悪いことが起きると、自分の殻に閉じこもってしまいます。

具体的に言うと、私がいくら何を訴えても“聞こえないふり”ではなく“本当に聞こえていない”ように一点を見つめ、時にぶつぶつと何かを言いながら私をシャットアウトします。

暴力を受けている最中は、元夫の怒鳴り声や私の悲鳴や泣き声が飛び交い、とても3、4歳の娘には耐えられない苦痛だったと思います。

最初のうち暴力はたまにでしたので、娘はそのたびに恐怖で大泣きしていました。

でも離婚間際の2,3日に1度くらいの頻度の時は、私も保身に必死ではっきりとは覚えていませんが娘は大人しくしていたように思います。

きっとその時に自分で殻に閉じこもり、妄想などの世界でその場をやり過ごすことを覚えてしまったのだと思います。

ただこれをされると、本当に私が娘のためを思って伝えたい話も1ミリも伝わらないので、今では本当に対処に困っています。

その5.自分の満たされない欲を暴力で解決しようとする

小学校高学年になると心身の発達とともに、反抗期が訪れます。そのことは理解しています。

ただ娘の場合、時々一切感情をコントロールできず感情のタガが外れると発狂・錯乱状態に陥ってしまうのです。

きっかけはほんのささいなことです。欲しいゲームソフトがあったり、絶対に見たいテレビ番組があったり。

私が日頃の生活態度や学習状況を見てNGを出すと、話し合いで解決しようとせず、ただ感情を爆発させ大声で喚き散らします。

時に母親である私を脅し暴れ、刃物を持ち出して私が認めるまで敵意を剥き出しにするのです。

毎回ではありませんが、年に数回このようなことが起きています。

時間が経ち、落ち着いてから何故あのような行動を取るのか問うと、

「自分でもわからない。例えるなら、心の中が急に真っ黒になって、どうなっても構わない気持ちしか出なくなる。」

と言います。

自分の思い通りにならない時に、感情の爆発と暴力で人の心を支配していた、元夫と全く同じやり方です。

こうなってしまう前に、もっと彼女の心のケアをすべきだったと悔やんでいます。

同じ血が流れているからとか、そんなことではないと思います。

やはり幼少期に頻繁に目の前で起きたことが、強烈に娘の心に残っているのです。

その記憶が自分が大声を出した時に呼び戻され、今起きている目の前の嫌な事と、当時とても嫌だった気持ちが混同し、自分でもコントロールできない状態になってしまうのだと思っています。

その6.消えないDV夫との最後の記憶

私は最後、元夫から逃げるように娘を連れて実家に帰り、そのまま調停離婚をしました。

ですので、大好きなパパとの別れは突然で、その後1度も会うことなく今に至っています。

4歳でしたのでママに対する暴力は良くないということは理解できますが、それとパパに2度と会えなくなることが何故なのか結びつかなかったと思います。

…最後の日のことを少しお話しますと、激しい暴力から逃げるため裸足で逃げた私をそのまま締め出した元夫。

もう限界だと思いました。

いつもお酒が深く入っているので、一度寝たら起きないだろうとその日のうちに家を出ることを決意。

数時間後、鍵がなかったので一か八か。

1階の居間の窓を軽くたたいてみたら、当時4歳の娘が2階の寝室からバレないよう電気をつけずにそっと真っ暗な階段を降りて、部屋のカギを開けてくれたのです。

そのまま、まず一番に娘を車に乗せ、最低限の荷物をまとめて家を出ました。

そのことを娘は今でも鮮明に覚えているようで「私がママを助けたんだよね。」とたまに話します。

パパとの最後の記憶は私を閉め出した後、再びお酒を飲みながら「お前は早く寝ろ」と言った怖い顔だそうです。

保育園のお友達や先生と、何のお別れもできないまま。パパには怒られたまま。

4歳だった娘は、ママに対する暴力は良くないということは理解できるけど、それとパパに2度と会えなくなることが結びつかなかったと後に言います。

そんなモヤモヤした思いを「ママを助けた」と自分に言い聞かせることで納得しているのだと思います。おそらく娘にとっては一生忘れられない、未練の残る別れにしてしまいました。

終わりに…

ご覧いただきありがとうございます。

このように、たった4年間…物心ついた時から考えるともっと短い期間に受けた心の傷が、今でも娘に様々な悪影響を及ぼしています。

子どもは新しい環境にも柔軟に対応できますし、いつも母親の幸せを願ってくれています。もしも継続的に子供の目の前で暴力を受けている方がこれを読んでいたら…。

はっきり言って、離婚を決意してから成立するまでの数か月間、今までで一番エネルギーを使いました。簡単なことではないと思います。

けれど先述したような悩みや壁にもぶち当たっていますが、現在はとても幸せです。

この記事が離婚に踏み切れないDVで悩んでいる方にとって、少しでも離婚をする勇気を持つきっかけになれたら…と思っています。

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