DV&モラハラ夫との壮絶結婚生活を告白!エスカレートしていくDV…そして調停離婚。

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27歳の時に離婚した女です。結婚5年目、交際期間含めると7年目で離婚。離婚時子供は1人(4歳)いました。離婚した一番の理由は夫からのDVです。離婚してよかったことは自分のペースで生きられること。逆に大変だったのは「一人で子供を育てる責任」です。でも離婚して全く後悔ありません。

DV&モラハラ夫との壮絶結婚生活を告白します!

10数年前から、ツンデレやドSなキャラの男性との恋愛映画や漫画が、女性の多くに愛されるようになりました。

当時高校生だった私もその一人で、そういった性格の男性。

昔ながらの言い方をすると「亭主関白」な男性に憧れ、恋愛や結婚をし、一生ついて行きたいと思っていました。

そして数年後、20歳の時に友人の紹介で14歳年上の男性と知り合います。

全てはここから始まりました。私の壮絶な7年間をこれからお話します。

徐々に感じる不安

程なくして、その男性(以後・元夫)と意気投合し、付き合うことになります。

14歳も年上で頼りになるし、ちょっと口は悪いけれど優しく引っ張って行ってくれる「亭主関白」タイプ。

まさに理想の男性に巡り会えた…そう思っていました。

お互いお酒が好きで、会うと必ず一緒に飲んでいました。

お酒が入りすぎるとちょっと気が大きくなるのか、お店で飲むと店員さんへの口調が乱暴になったり、友人にも突然キレて喧嘩腰になったり…。

でも私が制止すると収まりましたし、その矛先が私に向くことはなかったので、まあ仕方がないくらいに考えていました。

初めて私に攻撃的な面を見せたのは、一緒にいる時に私の男友達からメールが届いたのを見られた時です。

浮気を疑われ、否定するとその場で私の携帯電話を奪い取り、その友達に電話をかけました。相手がなんと答えたかわかりませんが、元夫は一方的に怒鳴り散らしていました。

電話が終わると、その場で私のメモリにある男性の名前を全て消去させられました。

とても恐怖でしたが、その頃は彼が大好きでしたし、これは嫉妬からくることだからと素直に応じました。

そして、消去が終わった後はいつもの優しい態度に戻ったのです。

しかし、これをきっかけに徐々に行為がエスカレートしていきます。

DV・モラハラの日々

付き合って一年、私は妊娠しました。

元夫からは以前に結婚を匂わせるような話もされていたので、喜んでくれると思ったのですが、話した途端表情を曇らせました。

理由は、「今結婚するのは、俺の考えていた時期と違う!!時期がきたら結婚するから堕ろそう!!」

…その後、色々ありましたが、無事結婚が決まり、これからの明るく幸せな生活を送っていこう、という希望しかありませんでした。。

妊娠から出産

妊娠を機に、私は力仕事の多かった職場を退職。

車がないと不便な町にアパートを借りることになったので、元夫から運転免許を取れと言われ僅かな貯金は教習所代に消えました。

次に、自分だけ働いて私が家にいることが許せないらしく、教習所に通うのと並行して働くようにと強要されます。

妊婦を雇ってくれるところなんてないと言うと、数日後、スナックの求人を持ってきてここに電話しろと。

以前は男性と連絡を取ることすら嫌がっていたのに…。それ以上に自分だけが働いて犠牲になることが許せなかったようです。

…こうしてお腹が目立つまでの数か月間、私は昼間は教習所、夜はスナックで働きました。

寝不足の毎日に、夜はタバコの煙の中でたまにお酒も強要されます。辛かったですが、これから生まれてくる我が子と元夫との幸せな生活を守るため、必死でした。

お腹が大きくなり、ずっと家にいるようになると、元夫は私に頻繁に暴言を吐くようになりました。

主に深くお酒が入った時。子供の性別は女の子が良かった彼は、

「女じゃなかったら育てないからな。」
「妊婦だからって甘えるな。嫌なら堕ろせ。」
「このデブ!働け!!」

など、出産間近には初めて手をあげられ髪を引っ張り、引きずられました。

その反面、日中の機嫌のいい時は料理を作ってくれたり、ベビーグッズを二人で楽しみながら購入したりするのです。

この楽しい時間の方が圧倒的に長かったので、当時別れることは一切考えていませんでした。

子どもが生まれたら私も働けて、怒らなくなってくれると信じていたのです。

洗脳された結婚生活

冬の寒い朝、私は彼立ち合いのもと元気な女の子を出産しました。

娘のことは溺愛し、見たこともないような笑顔で喜んでくれたのでとても安堵したことを覚えています。しかし….

1か月の里帰りを経て我が家に帰宅。何事もなくただ笑って暮らせていたのは、ほんと数週間でした。

家で家事と育児をしている私が、外で働きもせずのんびりした生活をしているように映ったのでしょう。

「誰の金で生活できると思ってるんだ。」
「家政婦は家政婦らしく働け!!」

など、まるでドラマのワンシーンかのような典型的なモラハラ夫のセリフを浴びせられ始めました。

暴言はしょっちゅうでしたが、暴力も最初は2、3か月に1度から徐々に1ヶ月に1度、数週間に1度と頻度を増していきました。

「俺は子供は養うが、お前を養う義務はない!携帯代や自分の使った分の光熱費は自分で払え」

と、今度は内職の求人を持ってきて、子供が保育園にあがるまで内職をさせられました。

家事の合間や睡眠時間を削って1日10時間以上費やしても、2万円ほどの収入でしたが、

「これでも足りない分は俺が払ってやってるんだ。俺がいないと、お前は何も出来ない奴なんだ。」

と言われ、今考えると本当に不思議なのですが、当時の私はその通りだと思い言いなりになっていました。一種の洗脳状態だったのかもしれません。

別居へ

娘が保育園に上がると、私は日中パートに出ました。これでお金のことで文句を言われなくなる…。

そう安心していたのも束の間、今度は家事の面で文句を言われるようになりました。

元夫の仕事は必ず定時で終わり、職場も近かったため17時すぎには帰宅します。私は17時にパートが終わり、娘のお迎えと買い物を済ませてから帰宅するので、私が帰る頃には、もうお酒がすすんでいるのです。

夕飯を出すのが遅くなったり、家事をしながら話を聞いていて相槌がおろそかになったりすると、娘の前でも平気で怒鳴りつけ、この頃にはもう暴力も数日に1回のようになっていたので、蹴られ髪を引きずられる日々…。

娘はこの光景を見るたびに号泣していました。

元夫は暴力を奮う際、よくこんなことを言っていました。

「顔や腕に傷をつくると周りにバレるし恥ずかしいだろ。だからケツや腹を蹴ってやってんだよ。」

自分のDVが止められなくなって、いよいよ周りに発覚してしまうことを恐れたのかもしれません。

そんな毎日の中にもまだ、一家で笑い合う時間がたくさんありました。これが離婚に踏み切れない大きな理由です。

けれど仕事のストレスや精神的に追い詰められ、もう毎日死を考えてしまうほど精神状態はボロボロになっていました。

…そして転機は突然訪れました。

ある夜、洗濯物をたたんでいる時に仕事の同僚から相談の電話が来ました。元夫は隣でお酒を飲んでいましたが、話が長くなるにつれ機嫌がだんだん悪くなっていきます。

20分くらいでしょうか。そろそろ切り上げないと危ない…そう思った矢先、彼は私の手から携帯を取り上げたのです。

しまった!!と思いましたが、もう手遅れ。「お前と違ってうちはそんな暇じゃねーんだよ。ふざけんな!!」

そのまま電話相手の女性を怒鳴りつけ、罵倒し私の携帯電話を真っ二つに折りました。

頭の中で何かがぷつんと音を立てて切れた、という表現を良く聞きますが、まさにそう。そこですうーっと頭の中がクリアで冷静になりました。

今まで私だけが我慢すれば全てうまくいくものと思っていたけれど、周りに被害が及んだことでそうではなかったことが分かったこと。

また、人に自分の夫がそういう人なんだと知ってもらえたことで、彼女には本当に申し訳ないですが、なんだかほっと安心したこと。

そこからは自分の行動力に自分でもびっくりしますが、元夫が深酒をして熟睡しているその日の深夜に、最低限の荷物を車に運び出し、娘を連れて家を出たのです。

決意の離婚

実家に帰った私は、両親に全てを話しました。両親は泣きながら、話の全てを受け止めてくれました。

不思議なことに自分のことを人に話すと、自分を客観視できるのか話すエピソード全ておかしいことに気づきました。

あんなに自分が悪いんだ。自分さえ頑張れば…と思っていたのに。元夫の言動がどれも異常だとそこで初めて分かったのです。

離婚に向けて動き出しました。顔を合わせての協議離婚はどう考えても不可能でしたので、調停離婚。

それも絶対に鉢合わせることのないよう徹底してもらいました。

最初の調停に、彼は現れませんでした。その日は、この5年間の結婚生活で起きたことを時系列にまとめたレポートを元に調停員に話をし、終わりました。

2回目の調停には現れましたが、話を聞いた調停員から、

「双方の言っていることに食い違いがある。親権は譲らない、むしろ復縁したいと言っている。あなたも今は熱くなっていると思うから、少し冷静にもう一度考え直してみては?」

…愕然としました。

当時私は26歳。社会経験はほとんどありません。一方、14歳も年上の元夫は外面が本当に良く、金銭面で子供1人を育てるのに苦労はしません。

調停員の目には、少し私が話をオーバーにしていると映ったようでした。

先ほど、調停の際には一切鉢合わせることのないよう徹底してもらったと書きました。帰る時間もずらすようにしてくれましたが、駐車場は同じ。

帰りに元夫の車を見つけた時は恐怖で鳥肌が止まりませんでした。

それから数回、私の必死の訴えも空しく話は平行線を辿り、離婚も親権もお互い譲らないまま、次で決まらないようなら裁判へというところまで来ました。

そして最後の調停。私は最後に、とにかく離婚がしたいこと、慰謝料も養育費も一切いらないから親権だけは譲って欲しいことを訴えました。

…するとあっさり離婚に応じたのです。

全ては私に一銭も払いたくなかったことからの発言だったのです。この手のひら返しには調停員もあきれているようでした。

私も親権を譲りたくないということは、それだけ娘を大事に思っていてくれているのかと、少しだけ心が揺らぎそうになったのに…。

やっと終われることと娘のことを思うと、涙が止まりませんでした。

幸せな今

現在私は、理解ある心から信頼できる優しい男性と再婚し、新たに授かった娘と家族4人、血のつながりを超えた幸せな生活を送っています。

あの壮絶な7年間を忘れることはできません。未だにたまに夢に元夫が出てきては私に暴力を奮います。

今、DVで悩んでいる方にこれだけは伝えたいです。

家族でも友達でも、相談窓口でも誰でもどこでもいいから、自分の身に起こっていることを誰かに話してください。

絶対離婚に向けての解決の糸口が見つかります!!

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