借金男との結婚が壮絶すぎた私の体験談!借金癖・酒乱・嘘つきetc

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29歳と37歳の時に計2回離婚した女です。離婚時子供は1回目2人、2回目3人いました。2回目の離婚した一番の理由は借金。離婚してよかったことはストレスが減り鬱や摂食障害が治ったこと。逆に大変だったのは私のカードで作られた借金の返済。

私が結婚した相手はどうしようもない「クズ男」でした。

借金はする…
嘘つき・口だけ…
酒乱…
スナック通い…

クズ男としての条件はしっかり満たされたそんな男。

この記事では、そんな元夫との壮絶な結婚生活を振り返りたいと思います。

再婚相手はどうしようもないクズ男だった

13歳と12歳の娘二人を連れての再婚でした。相手もバツ1で、別れた奥さんとの間に小さな子供がいると聞いていました。

付き合っている時はとても優しく、娘たちの事も可愛がってくれました。

ひとつ気になっていた事は、お酒をたくさん飲む事・・・。

仕事の付き合いだと言って飲みに行くことが多く、節度のない飲み方をする事がありましたが、「お前と結婚できるなら、深酒はしない」という約束で、妊娠した事をきっかけに再婚することにしました。

口から生まれたのか?

バツ1で二人を育てていくのは大変でした。

何の資格も持っていない私は経済的にとても苦しく、だけど娘たちには人並みの生活をさせたくて、昼も夜も働いていました。

そんな私に「俺が3人を守るから心配しなくていい」「もう頑張らなくていいよ」とその当時一番心に響く言葉をいつも言ってくれていました。

今思えば何の根拠もないんですが、「これで幸せになれる」「この人に任せておけばいいんだ」と思ったのを覚えています。

それほどに普段からいつもたくさんの優しい言葉を言ってくれてました。
あまりにも歯が浮きそうな事をペラペラと言っていたので、かすかな不信感は最初からあった気がします。

大酒飲み

「深酒はしない」とあれだけ約束していたにもかかわらず、「仕事の付き合い」「同僚の相談にのっていたから」「社長の命令で」など、言い訳をしながらも毎日飲んで、それも酔っぱらって帰ってくる事が増えていきました。

家で飲んでいる時は大丈夫なんですが、外に飲みに行くとかなり深酒をして、汚い言葉や大きな声で騒いだり、夜中に電話してきて繁華街まで迎えに行くこともありました

最初の兆し

籍を入れて3カ月を過ぎた頃、すでに結婚前の約束はなかった物に等しく、毎日のように酔って帰ってくることが多くなっていました。

酒臭い息を吐きながらすわった眼をして、娘たちが寝ているのも構わず大声でしゃべりまくる・・・

べたべたと甘えてきたり、相手をしないと急にプイっと出て行き、さらに大酒飲んで泥酔状態で飲み屋から「迎えに来い」と電話してくる・・・

妊娠6カ月の私には苦痛の日々でした。

何度となく話し合って、せめて妊娠中は外で飲まずに家で飲んでほしいとお願いしても返事ばかりで、挙句には「自分は酒が嫌いで飲みたくない。

だけど仕事の付き合いだから仕方ない」と意味不明な事を平気で言います。

朝から私服を準備して言い訳しながら制服で出勤し、夜中の3時頃にチャラチャラとネックレスを付け、香水のにおいをまき散らしながら帰宅する・・・

帰宅した途端、携帯には飲み屋の女の子数人からのお礼メール・・・32歳にもなって、もうすぐ子供が生まれるのにもかかわらず遊びまくる。

再婚したことに後悔している自分に気付きました。

気持ち悪いくらいの嫉妬心

とにかく嫉妬心の強い人でした。

私がいない所で携帯電話のメールを盗み見るのは当たり前で、

昔からの男友達や、同級生など男の名前を見ると即座に聞いてきて、「今も連絡を取っているんだろう」「おまえもどうせ俺から逃げるくせに」と言いながら携帯電話を壊す。

かと思えば、次の日に新しい携帯電話を買ってきてひたすら甘えてくる・・・この繰り返しが3回はありました。

自分の携帯にはしっかりとロックをかけ、前の奥さんや女友達、飲み屋の女の子からメールが多いのに、怒って私が言い返すと速攻でそのメールを消去し、「そんなメールなんかない!確かめてから言え!」と怒鳴り散らかす・・・

たった今目の前で消去したのに、平気でこんなことが言える馬鹿さにいい加減うんざりして、この時すでに「この人とはもう生活できないかも・・・」と思いだしていたのかもしれません。

生活費が減る

妊娠7カ月。

生活費として渡してくれる金額が急に少なくなりました。理由は同僚が借金をして返済が出来ずに困っているからとの事。

いくら仲がいい同僚とは言え、他人を助けるためにうちの生活費が減るのは納得いきません。

次女の小学校卒業、中学校入学、そして出産も迫っており、人助けしている余裕はなかったので、何度も話し合いをしましたが、一番の友人で自分も前に助けてもらったから・・・との事で結局は私が生活を切り詰めて何とかする事になりました。

口だけ男

前夫が長期出張で他県に行くことになりました。

今までの前夫と違って、これから生まれてくる子供と私の娘たちの為に「酒はもうやめる」「お前たちと離れるって考えたら怖い」といつも言っていました。

確かに電話で話す前夫はまったく酔ってなくて、これから5人での未来についてたくさん語っていました。

だけどやっぱり口先だけの約束にすぎませんでした。

休みのたびに帰ってきていましたが、「社長から呼び出された」「取引会社の接待」「友人から相談されているから」などと言い、出かけてはまた大酒飲んで酔って帰ってくる。

酔っぱらってケンカして交番から電話がかかってきたこともありました。この頃にはもう何を言ってきても信じられなくなってきており、お酒もやめる気は全くないんだと確信しました。

1本の電話

そんな矢先に鳴った1本の電話。相手は名乗りましたが知らない女性でした。

そこで話した事はショック過ぎてくわしく覚えていませんが、

「子供の養育費がここ数カ月振込されていない。電話やメールをしても一向に返事がなく、仕方なく職場に電話したら、再婚したと聞いてびっくりした。」という内容。

名乗った名字が前の奥さんでなかったので、訳わからずパニックになりました。

初めて知る過去

その女性は高校の時の元彼女で、子供が出来たけど親の猛反対で駆け落ちしたそうです。

出産したものの、前夫の酒癖の悪さ、浮気、借金が原因で籍を入れる間もなく親元に帰り子供を育てているの事。

女性の両親が激怒し、慰謝料、養育費をめぐり両家で何度も話し合い毎月支払っていく約束だったそうです。

私にはバツ1と言っていましたが、事実上バツ2。子供はもうすぐ生まれてくる子供で3人目だったのです。

言い訳

その電話の後は、頭が真っ白になり何をどう考えればいいかわからず、泣く事も出来ず、ただただぼーっと過ごした記憶があります。

私が事実を知ったと知り、あわてて出張先から帰ってきました。

「そんな女は知らない」「前の嫁にはめられた」「お前は俺だけを信じてくれればいい」とかなんとか言っていたと思います。

聞けば聞くほどつじつまの合わない嘘を、平気な顔では話す前夫。

この時はっきりと再婚を後悔しました。だけどもうすぐ子供が生まれてきます。とりあえずは我慢することしかできませんでした。

今思えば、言い訳にもならないような事をよく真剣な顔で言えたもんだとびっくりします。

普段から小さな嘘をつく人間は平気で大きな嘘がつけるんだ・・・と、この時冷静に考えていた事を今でも鮮明に覚えています。

甘えればすむと思っているばかな男

私の体調が悪くなり出したのはその頃からでした。

出産まで1カ月・・・

妊娠中毒症で足がパンパンにむくみ、急な頭痛で倒れる事が増え、救急車で運ばれる事も何回かありました。

医者からは出来るだけ家事もやめて安静にするよう指示がありました。

「自分が甘えているからお前がこんな苦労をして申し訳ない。だけど俺はお前と一緒にいたいから、わがままでも許してほしい」と訳がわからない事をつらつらと言っていました。

それでも嘘をついて飲みに行き、酔って甘えて、夜中に迎えに来いという前夫にいい加減嫌気がさしてきました。

出産した日に酔って面会

ストレスを感じながらも、やっと出産することが出来ました。予定日を1カ月早く生まれてきた息子。

朝、大量の出血をして、ただ事ではないと思いましたが娘たちをまず近くに住んでいる実家に送っていきました。

前夫は既に出勤しており、親にも心配かけたくなくて、病院には自分で車を運転して行きました。

病院に着き、検査をすると重度の妊娠中毒症と早期胎盤剥離との事で緊急オペで出産しました。

オペの途中、先生慌てている声や、私を呼び続ける看護婦さんたちの声が遠くで聞こえていましたが、その時私は走馬灯のように今までの苦しかった出来事が頭の中でぐるぐると回っていたのを鮮明に覚えています。

予定日より早く出てきた為未熟児でしたが無事に息子が生まれました。

しかし私のほうは出血が止まらず、術後の経過がとても悪かったそうで危険な状態だったそうです。

前夫が面会に来たのは、出産が昼だったにもかかわらず面会時間がとうに過ぎた深夜。看護婦さんに無理を言って入れてもらったのでしょう。

病室に入ってくるなり、強烈なアルコールのにおいで吐きそうになりました。真っ赤な顔をして、酔っぱらい特有のすわった目で私を見るなりべたべたと甘えてくる・・・

「気持ち悪い」と思いました。「早く帰ってほしい」と真剣に願いました。この時すでに私の気持ちは離婚に向かっていました。

退院した翌日に督促状

通常よりも長く入院しましたが、母子とも無事に退院する事が出来ました。

しばらくは実家にお世話になる事になっていたので、足りないものを前夫と自宅に取りに戻りました。

自宅に戻るとテーブルの上にたくさんの封書があり、見るとどれも私宛になっています。一つは私と子供たちの以前から生命保険が解約された事を告げる書類。

もう一つは私が再婚する前に自分で買った車を売った契約書。(車の引き取りは5日後になっていました)

そして極めつけは私が20代の頃、初めて作ったクレジットカードの督促状。ショッピングもキャッシングも限度額ぎりぎりまで使っていました。

このカードは普段クレジットを使用しない私が通帳と一緒しまっていたもの。利用したのは作った当初ぐらいで存在自体を忘れていたぐらいでした。

もう隠す事が出来なかったのでしょう。前夫は涙を浮かべながら

「生活ができなかった。ショッピングで電化製品を買い、質屋に入れて現金に換えた。暗証番号は誕生日だとすぐにわかった。車はお金が出来たら俺がもっといいのを買ってあげる。」

発狂寸前でした。いえ、発狂していたのかもしれません。

離婚を決意

この日を境に、前夫の顔を見ると息苦しくなり吐き気がするようになりました。それと同時に食事が全く入らず、急な激しい頭痛で倒れるようになりました。

実家でお世話になっていても平気なふりをするのが苦しく、2度も私の結婚で心配させられないと思い、早々に自宅に戻る事にしました。

前夫は長期出張でいなかったため、子供たち3人と私だけの生活。借金の事さえなければ幸せだったと思います。

ただ前夫は休みのたびに帰ってきており、反省するわけもなく、相変わらず酔っぱらってばかり。

「もう無理・・・離婚したい」

正直に伝えました。最初は子供も生まれたばかりで冗談だと思っていたみたいです。

「絶対離婚しない」の一点張り・・・。

そのあとはいつもの口先だけの「借金はおれがどうにかする」「俺がお前たちを守る」「何も心配しなくていい」・・・

どの面をしてそんなことが言えるのだろう・・・もう限界でした。

何度も「離婚したい」という私に嫌気がさしたのか、自宅に帰ってこなくなりました。

その間もクレジット会社からは督促の電話や封書がひっきりなしに来ており、前夫に電話しても、「どうにかする」と言うばかり・・・

電話に出ればまだいい方で、出ない事がほとんどでした。

パニック障害、摂食障害、うつ病

体重がどんどん減っていきました。

前夫の声を聞いたり、顔を見ると急に苦しくなり息が出来なくなるのです。激しい頭痛で倒れる私を泣きながら心配する娘たち・・・

何度となく救急車で運ばれました。

そんな状態だったので、近くに住む私の両親と妹は「嫌ならすぐに帰ってこい」と言ってくれてましたが、前夫からどうにかしてお金を作ってもらい、私のカードで作った借金を返済するまでは帰れませんでした。

だけど身体が持ちませんでした。

体重が40キロをきってしまい、誰が見ても普通じゃない痩せ方だったようで、ある日妹から精神科に連れて行かれま した。

パニック障害、摂食障害、うつ病・・・

信じられませんでした。まさか私がそんな病気になるなんて・・・

その時初めて妹に今までの事を打ち明けました。なんとなく想像はついていたそうです。

スピード離婚

ここからは早かったです。

両親と妹が私たちの荷物をまとめて、実家に連れ帰ってくれ、部屋を用意してくれました。

相手の親を呼んで話し合う時や、借金の話をする時も私と子供たちが会わなくて済むように違う場所でしてくれました。

離婚もかたくなに応じてくれない前夫に対し、妹がサクサクと離婚調停を申し立て、最後まで顔を見ずに別れる事が出来ました。

ただ借金だけは私のカードだったため、ある程度は残ってしまいましたが、これでもう二度と顔を見なくて済むと思ったら、安いもんだと思えました。

離婚が成立するまでに少し時間がかかりました。その間も携帯が鳴るたびに過呼吸の発作が出て、頭が痛くなりかなり苦しみました。

外で待ち伏せされたこともありました。

精神科で薬を処方されていたので、息子に母乳をあげることが出来ず可愛そうな事をしてしまいました。

娘たちもいつも私の事を心配し、進んで息子の面倒を見てくれました。正直、この頃の事はきつくて、つらすぎてあまり覚えていません。

なので息子の赤ちゃん時代はあまり記憶がありません。それだけが今も心が痛いです。

離婚して得た事

やっと離婚が成立しました。自分でも不思議ですが、あれだけ食事が入らなかったのに

見る見るうちにまともに食べることが出来るようになりました。

借金は法テラスに相談に行き、弁護士さんから自己破産を進められました。

自分で使ったお金ではないのに、この先子供3人を抱えて返済していくのはかなり厳しいという事、せっかく離婚できたのだからいったんきれいにして、これからの人生を開くのがいいのではという事を言われました。

家族とも相談し、7年間はローンが組めず、娘たちの高校入学もあり金銭的にかなり苦労するとは思いましたが、一からやり直すために決断しました。

パニック障害が落ち着いた頃から、昼と夜のかけもちでひたすら働きました。家財道具も私が家を出た後にほとんど質にいれられていて、現金はゼロだったのです。

とにかく生活の基盤を立てなくては・・・自分でもびっくりするくらい働きました。

毎日クタクタで、再婚したことを思い出しては後悔ばかりしていましたが、

日に日に成長していく息子や、あんな不安な思いをさせた娘たちが毎日ニコニコしながら学校での事を話してくれるのを見て、「頑張ろう!」って思えました。

両親、妹にたくさん助けてもらいました。家族のおかげで今の私を得ることが出来ました。

あれから9年・・・

いろんな苦労がありましたが、今では正社員で働き、決して楽ではないですが安定した生活を送っています。

私は心から今の生活が幸せだと思えます。

最後に・・・

ここまで読んでくださって感謝いたします。きっと私よりつらい経験をしている方はたくさんいると思います。

私の場合、男を見る目がなかったので自業自得かな?って思いますが(笑)

今、まさに同じようなことで悩んでいる方。

大丈夫ですよ。怖くないです。必ず助けてくれる人はいます。

それが子供だったり、親だったり、友人だったり・・・といろいろだと思いますが自分をしっかり持つことで、道は必ず見えてくると思います。一緒に頑張りましょう。

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