離婚した私の元夫とのリアルな付き合い方

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自分のわがままで、31歳の時に離婚した女です。半年という短い交際期間ののち結婚して6年目、二人の子ども(5歳、4歳)がいた状態で離婚しました。理由は私のうつ病からの行動です。その後激しい後悔に苛まれ生活にも困窮し、命を絶つことまで考えましたが、優しい子どもたちに育ってくれたことに救われて今は自分なりの人生を歩むことを考えられるようになってきたところです。

私の元夫との関係は、厳しい環境からの離婚を乗り越えてきた皆さんには申し訳ないぐらい良好、とまでいいませんが平和な関係を続けています

離婚してもう11年ほどになる今もLINEで連絡も取り合っているぐらいです。

そんなありがたい環境はなにより元夫の人柄ゆえと感謝している毎日ですが、もちろん辛い時期もありました。今回はそんな元夫とのお話をさせていただきます。

深い愛情を注いでくれた元夫

私たちは恋愛結婚でした。付き合っている間も元夫の家族や友人などに仲良くしてもらい、結婚式では200人近くの人々に祝福されてこれ以上ない幸せを感じたのを今でも覚えています。

その後ふたりの子どもを授かり、家を建て、誰が見ても幸福な家庭だったはずでした。

元夫はどんなときも私をいたわってくれて、どんなときも寄り添って励ましてくれる存在でした。

何よりも私を愛してくれている実感があり、周囲の人たちにもその愛情はわかるほどだったようです。

私の気まぐれでわがままな性格を受け入れてくれて、それにつきあってくれる人などそういないと今でも思います。

それなのに、私はそんな元夫を裏切りました。元夫が求めてやまなかった幸せな家庭を壊しました。

そのため周りの人たちと顔を合わせづらかったこと、そして人妻にも関わらず恋をしてしまった人が住む土地で就職活動をし、仕事が決まったタイミングでそちらへ引っ越したのです。

別居する際に元夫が言った「離婚だけは絶対にしないから」という一言。その思いが私の行動によってどういうふうに変化していったのかは、私には知る権利もありません。

「子どもに恥じるようなことだけはしてくれるな」

コンビニでのアルバイトと教師の経験しかない私でしたが、どうにか正社員として就職することができました。

しかしうつの状態もよくなかったので、その仕事もアルバイトも長くは続かず、行き着いた先が風俗の世界でした。

自分の生活資金、私が取り決めた慰謝料と養育費の送金分を作るには、当時の私はそんな道しか見つけられなかったのです。

寝る間もないほどに働いたため10キロは軽く痩せました。それでもこれは私に与えられた罰だと考えて送金だけは続けていました。

たまに子どもたちから電話があっても、初めに勤めていた会社を続けていることにしていたのですが…。

ある日の仕事帰りにテレビ電話がかかってきて、なるべく私の顔ははっきり見せないよう話していたのに、「おかあちゃん、やせちゃった?」「何か顔の色がしろいよ?病気?」と心配してくれました。そんな様子を元夫は後ろから見ていたのだと思います。

何かおかしいと感づかれたようでした。今までしてこなかった化粧をして、しかも濃い化粧で。

ずっとベリーショートだった髪を伸ばしていた私は、普通の会社員をしているようには見えなかったのでしょう。

男性なら、水商売や風俗の世界にいる女性を見抜くことができたのかも知れません。

送金するたびに私はメールで知らせていました。そのテレビ電話のあとの送金後メールを送った時、普段なら「了解です」ぐらいの返事だったのに、その時は違いました。

「頑張って送ってくれているのはわかる。でも子どもたちに言えないような、後で知って子どもたちが恥じるようなことだけはしてくれるな。そんなお金は受け取りたくない。

やっぱりあなたにはわかるんだね、と思わず涙がこぼれました。あれだけ私を大事にしてくれて、どんなことがあっても愛し続けてくれた人です。

でも、そんな元夫を裏切った自分には他に償う方法と手段は見つけられませんでした。もちろん大切な子どもたちのための言葉だったのでしょうが、こんなことになってもまだ、私の身を案じてくれているようにも思えました。

浮上した元夫の再婚話

元夫は仕事にも部活動にも熱心で多忙な人でした。

そのため恋人を作る時間などないように思えましたが、離婚して2年ほど過ぎた頃だったと思います。

結婚を考えている人がいると知りました。すでに子どもたちとも一緒に出かけたりしていて、すっかり打ち解けたようであるとも聞いたのです。

私は、少しほっとした思いでした。子どもたちが、母親のいる温かい家庭で育ってくれること、私のような女ではなく優しい母親に愛されることがいちばんだと考えたからです。

相手の女性は、年の離れた若い方だったようです。ということは結婚したらいきなり二児の母となるわけです。

そのため不安もありました。母親としてやっていけるのかなどというおこがましい考えではなく、ご両親が許してくれるのかという不安でした。

私は親の言うことなど聞かずなんでも事後報告で、反対されようが聞く耳持たない性格ですがみんながみんなそうではありませんよね。

特に人生の大きな岐路である結婚に関しては、大事な娘を嫁がせる先がどういう家庭なのかを考慮するのは当然の話だと思います。

私の不安は的中してしまい、やはりご両親の猛反対を受け結婚には至ることができなかったということでした。

つきあい自体までできなくなったのかまではわかりません。

私がどうこう言うことではない身勝手な話ですが、少し残念に思った覚えがあります。その後は再婚の話は聞くことはありませんでした。

その後の元夫・元義母との関係

うつの苦しみや自殺願望にさいなまれながら生活していた私でしたが、慰謝料と養育費については子どもたちが成人するまで、あるいは売りに出している家が売れるまで送金するという念書を書いたので、家が売れたのち送金はしなくなりました。

(このことに関しては、本当によかったのかとまだ悩んでいます。それについてお互い話せていませんが、やはり養育費として成人するまでは支払うべきではないかと…。)

そのうちいろんなきっかけがあって、私は海ひとつ渡った実家へ戻ることになり、子どもたちに会える機会も少なくなってしまったのですが、少し会わない間に子どもたちはどんどん成長していきます。保育園から小学校へ、中学校から高校へと。

元夫は、行事ごとのたびに連絡をくれていました。私から聞いたこともありますが、たいていメールかLINEで「入学式、何日の何時からなので」といった感じで、学校から配られたプリントの写真と一緒に送ってくれました。

そのためふたりの子どもの入学式には参加でき、終わった後には一緒に昼ごはんでも食べてこいと言ってくれて、おかげで私は子どもたちと過ごす貴重な時間をもらうことができたのです。

部活動や新学期のクラス写真などは元義母が時々送ってくれて、元夫は卒業アルバムを毎回私の分まで用意してくれていました。本当にありがたかったです。

あんな形で家を出た私に気を遣ってくれる元義母は、結婚した時には娘ができて嬉しいといって実の娘のように大事にしてくれた人でした。

世でいうところの嫁姑問題なども全くなかったので、元夫もこのお義母さんに育てられてああいう優しい人になったのかとつくづく考えたものでした。

今でもお会いすることがありますが、いつも笑顔を絶やさない穏やかな方なので正直なところの義母の心境はわかりませんが…。

息子が部活で足を痛めたり、手術になるかもしれないということが何度かあったのですが、元夫がその度に連絡をくれました。

これはまだ最近のことですが、娘が高校受験で進路の話が始まった頃も、私から尋ねて長話になることもありました。

いざ受験という時にも、たびたびLINEで話しました。

離婚してもお前はあの子たちの母親であることには変わりないと言ってくれているようで、許されることはないにしてもありがたく感じています。

私はまだ外に出ての仕事を長時間することができない体調ではあるのですが、元気でいなくちゃいけない。

幼い子どもたちを置いて家を出た私でも母親には違いないのだから、恥ずかしくない生き方をしなくてはいけない。

そんな風に考えられるようにしてくれたのは、間違いなく元夫のおかげだと思っています。

でも離婚後私のように、元嫁ぎ先や元夫とのような関係になれるのは珍しいケースではないかと思います。

どんなに頭を下げても許されることではない罪を犯した私に、子どもたちとの繋がりを持たせてくれることなどあり得ないですよね。

だからこそ私は、これからの自分の人生を2度と間違える事なく生きていかねばならないのです。

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