元夫と私は恋愛結婚でした。元夫は3歳年上で結婚願望が強く、付き合いを始めて7か月ほどで入籍しました。
付き合っている間は毎日のようにお互いを求め合うようにセックスして、あんなに強く愛し合って結婚したはずなのに…。
いつの間にか、私は元夫を求める気持ちがなくなっていきました。
自分でも不思議なくらいで、ついには元夫から求められることさえ嫌になってしまいました。
その心境の変化や当時の出来事をお話ししたいと思います。
【この記事の目次】
むさぼるようにお互いを求め合った日々
私と元夫は、私が就職した職場で出会いました。
若手でありながら率先して議長などを務め、自分の意見がハッキリと言えて仕事もできる人。尊敬できる先輩。私たちは教師でした。
小さい頃から憧れて必死で勉強してつかんだ夢。
そのため恋愛よりも仕事に没頭していて、まさか元夫が私に好意を持ってくれていることなど気づきもせず夏休みに入った頃、元夫から告白を受け、その時私は「この人を逃したら、私は一生結婚できない気がする」と不思議な縁を感じました。
それからというもの私も気持ちに火がついて、ほぼ半同棲状態で食事が済んだらどちらからともなくベッドに入って愛し合う…そんな毎日が始まりました。
まだ20代で若かったこともあり、セックスせずに眠るような夜などなかったと思います。
この人が愛してくれることが自信になる。指導がうまくいかず落ち込んでいても優しく抱きしめてくれる。心底愛していました。身体の相性も良かったのだと思います。
心も身体も絡まるようにつながって、女に生まれてよかったと思えるほどでした。
入籍、年子の妊娠と出産
その翌年の春、元夫の茶目っ気からの提案で私たちは4月1日に入籍しました。
それから堂々とふたりでの暮らしが始まり(職場では秘密にしていたので…)仕事に励みつつも家に帰れば好いた者同士。
毎日一緒にお風呂に入り、持ち帰り仕事もそっちのけでベッドへ倒れこむようにしてお互いの身体を求め合いました。
元夫とのセックスで得られる快感と幸福感は例えようがないものだったのです。
その秋に挙式したのですが、すでに私のお腹には新しい命が芽吹いていました。
ちなみに妊娠中も、安定期に入ってから時々セックスするほど私たちは愛し合っていたのです。そして長女を出産。早く仕事に戻りたかった私は、卒乳してすぐに乳幼児保育園に娘を託して復職しました。
その頃から頻度は減ったものの娘の眠っている合間にセックスしていたこともあって、まだ生理も始まっていなかったのになんと2人目の子を妊娠。
元夫は年子がほしかったそうで、狙っていたとのことでした。
私は産休ギリギリまで仕事は続け、無事長男を出産。それからは子どもたちにかかりきりになって、あまり余裕の持てない生活が始まりました。
「男性」「夫」ではなく「父親」になった元夫
元夫は今考えても文句のつけどころのない協力ぶりで、「授乳だけはできないけど」と言いながら育児に積極的でした。
積極的どころかほとんどの世話をしてくれていました。
私がしていたこといえば食事と離乳食作り、元夫が順番にお風呂に入れてくれる子どもたちを受け取って服を着せること、そしておっぱいでふたりを寝付かせること…ぐらいでした。
とてもありがたかったし、こんな男性が他にいるのかなと思うほどで、私なんかにはもったいないくらいの人だと感謝していました。
そうして月日が過ぎていくにつれて、私にとって元夫は「私の夫」「愛する男性」というより「父親」であり「家族」であるという感覚を覚えていくようになりました。
元夫の愛情に応えられなくなった私
元夫はそんな忙しい毎日の中でも私をいたわり、妻として女性として愛してくれていました。
子どもたちが寝静まると、以前のように毎晩ではありませんが時折セックスを求めて身体に触れてくることもあり、私はというと徐々に違和感と抵抗を感じるようになってきました。
もちろん愛情がなくなったわけではないので応えてはいましたが、恋人同士だったころのように、身体で、セックスで愛し合い求め合うような欲求が薄くなっていきました。
ちょうどその時期に私は少しうつの症状が出始めてきた頃でもあったので、病気のせいにはしたくありませんが人間の三大欲求のひとつでもある性欲の減退が表れてきていたことも一因かもしれません。
いつしか私は元夫に求められることや触れられることさえ不快というか、心も身体も拒否するようになってきました。
寝る時もタイミングをずらして、元夫が眠った頃に布団に入るようにしたり「ちょっと仕事済ますから、子どもたちと先に寝ててね」と書斎に逃げてみたり…。
性欲が完全に失われたわけではなかったのですが、元夫とのセックスが苦痛でしかない行為になってしまったのです。
もはや元夫は私にとって実の父や母、兄弟にも近い肉親のようにしか思えなくなっていました。
あんなにも子どもたちに愛情を持って育ててくれているというのに、私はわがままで身勝手な女です。
かえってその協力ぶりというか父親らしさが、どんどん「男」として見れなくなっていってしまったのです。
もちろん申し訳ない思いもありました。元夫の変わらぬ愛情に応えられない自分を責めました。でも、一度湧いてしまった感情はどうしても払拭できなかったのです。
「ややこしくならない相手なら外で済ましてきて」
いつからだったか、私はハッキリと拒否するようになってしまいました。
疲れ切った様子で寝たふりをしたり、身体に触れてくる元夫に「やめて」と言ったり…。
元夫はそういう風に断られても「なんで~?」というような人だったので、それをいいことに私の言動はエスカレートしていってしまいました。
「したくないの!触らないで!」と手を振りほどいたり、「そんなにしたいなら飲みに行ったついでに誰かとしてきたらいいじゃない!」「同僚とか人妻とか、ややこしい関係にならない人とだったら外で済ましてきていいから!」などと、間違っても夫に対して言うようなことではない暴言を吐いていました。
私がそんなことを言うたびに、「そんなひどいこと言うなよ~…」とすねているような素振りをしていましたが、いくら温厚で人のいい元夫でも、傷つかなかったはずがありません。
わかっていました。たくさんの数え切れない傷をつけて、時には刺し傷までつけたはずです。それでも私は受け入れることができませんでした。
逆の立場だったらつらすぎて耐えられなかったはずです。本当に最低な妻だったと今でも思います。
別居前夜の、最後のセックス
私の別記事(なぜ離婚してしまったのだろう…後悔しても戻れない愛する子供との別れ)と少し内容がかぶっているのですが、さらに私はもっともっと元夫を傷つけることをしました。
うつがひどくなり仕事も休職し、子どもたちのわがままぶりに耐え切れず家を飛び出して車の中に逃げ込んだり、一緒に過ごせても子どもたちの呼びかけに反応もできない。
そしてリストカットがやめられず切り続けていた私を見かねて、元夫は「気持ちが落ち着くならドライブとかしてきなよ。」と夜を自由に過ごさせてくれたのをいいことにパチンコやホスト遊びを始め、身体の関係を持つデリバリーホストとたびたび会うようになったのです。
当然いつまでも隠しきれるはずもなく、元夫に知られる日が来ました。
「お前の気持ちが楽になるのならと自由にさせていたのに…まさかこんな…」とこぶしを握り締めて、元夫は泣いていました。
元夫のことはあんなに拒否していたのに、他の男とセックスしていたわけで…私はその姿をなぜかうつろにながめていました。
その時私は家を出て行くことを勝手に決めていて、部屋を借りる段取りまでつけていたのです。
そして明日出て行くという日の夜、「もう一度だけ、抱かせてくれ」と元夫はうつむいたまま言いました。
おそらく2年ぶりぐらいにはなるであろう、元夫とのセックスでした。
かつてはあんなにも激しく愛し合っていたのに。このぬくもりがどれだけ私を救ってくれたわからないのに。どうしてこんなことになってしまったのだろう。裏切った私のほうが泣いていました。
最後のセックスは、私をまだ愛してくれていることが感じられるセックスでした。
ふたりして黙ったまま服を着て、ぽつりと元夫は言いました。「離婚だけは、絶対にしないからな」と。
その後3カ月ほど経ってから、元夫の思いをよそに私たちは離婚しました。
あれだけ私を愛し大切にしてくれる人はもういないかもしれません。
セックスレスになった原因は出産後の生活の変化もあると思いますが、本来なら愛を深めていけるはずの暮らしなどのいろんな要素を、私の気持ちや考えが悪い方向にしかもっていけなかったことだろうと思います。
参考になるような話ではないと思いますが…最後まで読んでいただきありがとうございました。